歌舞伎音楽事始から千鳥の合方への随想

『「歌舞伎音楽事始」土田牧子
今までは自分の中で名無しだった音や役割、楽器に名前が見えていくのが味わえる本
アレのことねってなるかどうかは蓄積次第かな
後半、演目毎に詞と共に解説があり次は気をつけて観よう!にも使える
本屋でパラパラしなかったら買わなかったかも
これが実物の面白いとこ』
以上、Twitterから

歌舞伎の音楽がどう始まったか?みたいな本かと思いきや、我々が歌舞伎音楽をことはじめする際の手ほどきのほうであった。昔の演劇界や劇評のたぐいを読むときに知らない言葉が出てきても、こと、音に関しては厳密には確かめずにやりすごしてしまうものだけど、そういえば意味を知らない言葉だらけだったことに今さら気付きまくっている。

#以下は、Twitterに続けて書こうとしたら長くなってしまったのでここへ。

先の本を読んでいて、説明が場面とセットになるな。歌舞伎の音楽は場面と切り離して語れないものなと思いかけて、いや、黒御簾音楽としては(割と強めに)そうだが、「音楽」としてはそうでないこともあるね、と思い出した。

だいぶ昔、故あって活動写真のチャンバラの音楽を探していた。
どんたっぽというゆっくりな立ち回りの音楽があるが、それではない。
見つけたのは千鳥の合方。よく知っているチャンバラの音楽にはそういう名前があったのだ。

それが歌舞伎では海や水に関係する場面の音楽と知ったときには。は?となった。
作品固有ではなく、また立ち回りでなくても演奏される。しんみりした場面でも。

それがなんでチャンバラのイメージに?というのは上村以和於先生のサイトに言及があったのでリンクを置いておく。
(中に”延年”のことも出てきますが、ハットリくんの立ち回り音楽の元はこちらかと思われる)

随談第360回 「チャンバラ節」考 (修正版) | 演劇評論家 上村以和於公式サイト

随談第360回 「チャンバラ節」考 (修正版)

話は少し飛ぶが、若い頃、劇伴は映像から離れても音楽として成立するのか?という仲間内の話題があった。
私は成立するのは自明派。
劇伴だって音楽単体で鑑賞されることはあるし、場合によっては他の作品の伴奏になり全く違う印象を残すこともある。

下々でそんな議論が起こるくらいだから、千鳥の合方が、無声映画の伴奏で使われ始めた頃にはきっと、なんで関係ないとこに使うんだとか言う人もいたんじゃなかろうか。
それが大有名曲となり、歌詞まで付いた。
でもそのイメージは無声映画と一蓮托生であり、いまは消えかかっているように思われる。

歌舞伎では千鳥の合方は生きている。歌舞伎を生かし続けようとする意志が、この曲の劇伴としての命も、もろともに長らえさせている。(余談だがルパン歌舞伎では水とは関係なさそうなとこで使われていた(意図は分からない)。)
音楽として一人歩きをして生き残っていくものもあるけれど、音楽劇や典礼の音楽など用途があるというのもそれはそれで強い乗り物なのだね。

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