初芝居おさらい物語(2026年1月にみたもの)

最終更新日

いわゆる書きものや復活ものを舞台で見なかったお正月です。
客としても古典のおさらいといいましょうか、
分かったつもりで見ていた演目でさらに別のことに気付いたりもしました
シネマ歌舞伎の朧の森についても、こう見せたかったのかと気づくこともあったり。
ふだんから作り手の思ったようになんか見てないってことでしょうね。
あと、気がつけば戦物語やらご注進のたぐいが多い月でした。ライもやってたし。ひと月でこんなに見られるのは珍しいかも。

 

浅草歌舞伎

浅草は昼夜を1日で拝見しました
次の日に休演の知らせが出たタイミングでした
なんと言って良いやらですが、是非もないので見たものについて書いておきます

一部

石切梶原

いいなあ、この刀、いや、いいなあ…ってつくづく呟いてそうな梶原。
自分はこの役の自慢おじさんっぷりがあまり好きでないのですが、染五郎はまだ若く、実際に偉くなってるひとが演じるときのうざさはまだない。刀オタクっぷりは隠さず。さりとて人間に興味ないというふうでもなかったのでそのバランスは良かった。
左近の梢は、町娘系のいそいそ感を足したい。
男寅の俣野は如何にも慣れていなくて、「べりべり」の模索にがんばれを禁じ得ません。ニンじゃないとは思わなくて、やってこなかっただけじゃないかな。
ただ、おとうさんの男女蔵は、やっぱり大人になって歌舞伎に戻った人だけど、若い頃から憎まれ役の憎々しい雰囲気はもっていた。ああいう憎たらしさは男寅にはないですね。
大庭は橋之助。まともそうに見えてしまう。ひと癖ありそうなとこが欲しい。
六郎太夫は又五郎。斬られたと思い込んでるとこが可愛かった
石切りの所のやり方は、親子2人は離れたところ、梶原は後ろ向いて手水鉢を切る形でした。

相生獅子

少し育った子に顔だちがしっかりしてきたとかいうじゃないですか。
そういう違いが鶴松と左近の間に見て取れました。
左近の顔がちっさいのもあるんだけど、鶴松がしっかりした大人の顔だち、体格で、踊りにもその雰囲気がありました。
毛振りは、最初の何周かは綺麗なしの字で合っていますが、次第に鶴松がスピードを上げるのに、左近が姿の美しさを忘れて応じている感じでした。
このコンビでこの演目なら、女形の品を残しながらかっこよく振って欲しい。
俺についてこられるかな合戦じゃなくていいので。

藤娘

莟玉の藤娘。藤娘はいつも寝てしまうんですが、今回は比較的起きてました。
藤デカいな、藤娘ちっちゃいなとか
潮来出島の所で拵えが華やかで、かわいいな、綺麗だなとか
割と目で楽しみました

二部

傾城反魂香

橋之助の又平、鶴松のおとく。
たまたまかもしれませんが、私の見たことのあるおとくのトータルイメージは、明るめの声で矢継ぎ早に話し続けるようなものでした。鶴松のアルトでそこまてまくし立てない様子を聞いて、あれ?想像してたのと違うなと思いました。
ですが、いつまで瓢箪なまずや藤娘を描いた大津絵で暮らしていればよいのかという訴えや、この世では望みがないから贈り号を刻んでもらう石塔の絵を描こうという言葉の内容がすごく理解できました。夫の代弁というよりは自分も当事者なんだ。
また、橋吾の芝居から、将監の絵の道に自信もあり自らの使命に自負もある人格や、置かれた状況、名は絵の道で継いでこそという意味もすっと入ってきて、これまでになく「わかる」吃又でした。
絵から出てきた虎をかき消す所が、理解の変わった点のひとつ。
誰の描いた絵かを鑑定して、その見事な絵にも自分なら勝てると思ったから将監は筆をとろうとしたんだろう。それをとどめて、自分にやらせてくれと出てきた修理が見事にかき消す。
男寅の修理之助が空中に龍という字を書いているのが見えますが、映像にするなら、えがいた龍に対決させる感じかもしれないなーなどと想像しました。
なんか、今まで、虎を墨で塗りつぶすイメージだったので、それがそんなにすごいの?って思ってた。そんなんじゃなかったわ。当代随一の絵師の不思議の虎に筆で勝ったということ、だから印可の筆を貰えたんだろう。
あと、クライマックスの、手水鉢を通り抜けた絵について、将監が見にきて、文字が木や石に入るという中国の古事はあっても日本では例がない、すごいぞ、自分以上だぞって褒めてる台詞が、ほぼ初めて意味を持って聞こえました。
調べたら王羲之の文字の筆致が木に三分入っていたという話があるそうです。義太夫では手水鉢は一尺あると言ってて、絵はそこをつきぬけてるので、三分どころじゃないんですよ。筆に込めた一心がそれほど強い。だから絵の功で苗字をくれたんだな。
私は今までその辺がよくわからなくて、向こう側に描いた絵が念写みたいにこっちに映ったのかなって思ってました。違ったな。染み込んで反対側にまで届いたってイメージだ。まさに岩をも通すだよ。
将監の言ってることが聞こえるだけですごい印象が変わって驚いています。
ただひとり何言ってるのー??ってわからんかったのは橋之助の又平で、過去の観劇経験がなかったら筋がわからんかったと思う。本当に他人にわからないように喋ったら伝わらないわけですよ。ギリギリわかる程度にはしてほしい。
でも苗字がもらえるとわかってからは無邪気で良かった。踊りも行儀が良くて。
あ、そうそう、おとくの鼓は鶴松が自身で打ってました。
将監が感心する様子も、おそらく一緒に密かに伺っていて、にこにこしながら衣服の用意をして出てくる妻もほんとに喜んでる感じでした。
客としては、いつまで喜んでるのか、早く姫のとこへ行けとやきもきしつつ、まあこんなにみんな喜んでるからいいか、と。
(というのは、だいたい、さっきまで軽んじてたのに手のひら返すやんか…と思うんよね。そう思わせないのは愛があるんだろうな。)
途中、御注進にくる雅楽之助の染五郎は、も少し張りがあってもいいなと思いました。もっといけそう。

男女道成寺

男(狂言師左近)は左近、女、白拍子花子は莟玉。
二人道成寺のように娘二人が踊っていたのが、片方は男とわかる。
そこからは、大きくまりをついたり、立ち回りがあったりと楽しげな踊り。素直な左近の持ち味が出ていて、私は今月の浅草ではこの演目が好きです。
途中途中に白拍子がちょこちょこ出てくるのがかわいらしい。
最後は二人とも鐘に怨みをつのらせてぶっかえり、蛇体の姿を顕す
花子は女子なので、清姫の化身ね、はいはい、と思うけれど、狂言師の方はいったいなんなんだろうなあ。ヨメに何してくれんねん的な感じなの?(←深く追及することではない

新国立劇場 中劇場

鏡山旧錦絵

最近上演がなかった鏡山。多分当時時蔵(萬壽)のお初(尾上じゃなくて)のときと、当時菊之助(8菊五郎)のお初のときのを見ています。
今回は時蔵の尾上、8菊五郎のお初、彌十郎の岩藤。
中劇場で3回目の菊五郎一座のお正月。舞台の使い方は毎年模索のようです。
最初の年の石切梶原では、下手に捌けるとき、本来花道でやることを舞台上からやり始めて距離を稼ぐやり方。
去年は、客席24番あたりを9列目までぶち抜いて、そこで直角に曲がって下手壁の揚幕に入る花道が付きました。
今年は客席9列目あたりの下手壁側に揚幕があるのは変えずに、最下手に斜めの花道(巡業でよくあるようなの)ができていました。
ここで歌舞伎をやるようになってからずっと夏冬見ていますが、この公演がいちばんお客さん入ってたと思われます。
いつも前の方で見てて、振り向くと後方の物理的に高さのある何列かはガラーンとしてることが多い。それがびっしり入ってたもの。
どういうこと??

お芝居のほう。
お初は、作っているこどもっぽさがありモノローグが説明じみていて、まあ、そこが菊五郎らしいんですけど、
時蔵尾上の方はしっくり。
立場上怒ってるんだけど見えないとこででちょっと褒めてる尾上
母のことを思いながら最後の手紙をしたためる尾上
部屋の外で神仏に祈るお初の声を聴く尾上
皆皆それらしく。
きっとよくできた娘さんだったんでしょう。でも限界だったんだな。
岩藤は、どういうのがいい岩藤かわかりません。彌十郎は意地悪ばばあっぽいとこもあるなあ。

岩藤の手により尾上が瀕死となっているときに、斜めの花道から舞台上の尾上の部屋の入口へまっすぐお初が向かえるように、周り舞台が斜めになって止まっていました。
尾上がまだ息のあるうちに駆け込むお初。はっきりと仇を認識しての仇討ちなのですね。
立役は少なくて、
奪われた蘭奢待のあれこれで、片岡亀蔵さんがやるはずの役、牛島主税に橘太郎、奴伊達平に彦三郎(あとは宴だけの方々)。
女子ばかりの中に、綺麗なパステルカラーの裃で座っている男子一名、庵崎求女に萬太郎。どういう気持ちなんだろうね。
今回は、この人が仇討ちを見届け、披露したいこともあるからと、次の場へ導く新しい形。
すると劇団らしい庭での宴の場面がついており、七代目菊五郎が頼朝の役。なかなか出家できない大姫(玉太郎)も、政子(魁春)もいて楽しげ。遅れてくる時政を「忙しい」彌十郎が早ごしらえで演じており、客席がわきました。彌十郎はこっちが本領だわね。
全員で「芝居は国立劇場」の締めの台詞もあり。
皆様がそう言うなら国立劇場はそこにあると、精一杯強がってみましょうか。

歌舞伎座

當午歳歌舞伎賑

正札附根元草摺

巳之助の五郎、歌昇の朝比奈
仇討ちに行きたい五郎と、止めたい朝比奈の踊り
朝比奈はあの手この手で説得しようとして忙しく、五郎は突っぱねる。踊る量に不公平が(笑
朝比奈の所を妹にして上演する場合もありますが、朝比奈だと突然女形になって寸劇を始めるんでおかしい
細身の五郎に恰幅がよくて強そうな(歌昇だとそう見える)朝比奈がかかっても敵わない所も面白く
朝比奈版もいいかもねーと認識しなおしました

萬歳

萬歳に梅玉、二人の才造に勘九郎と幸四郎
いいもんを見てる気分で気づいたら終わる
もうちょっと見たくない?

木挽の闇爭

転換に友切丸を所持している悪者のやり取りがあって、曽我ものに見立てた場面へ。
花形による布陣。十郎は隼人。大磯の虎が新悟。片貝姫(誰なの?)に米吉。三浦の姫だそう。もうひとりの誰なの?な”月小夜お玉”は、鬼王新左衛門の妻であることが最後にわかります。
先ほどの草摺引は朝比奈が五郎を止めてる形で終わるのですが、この演目で巳之助の五郎が乱入してくるので
ああ、止められなかったんだなって思いました(笑)
朝比奈だった歌昇は工藤祐経になって着流しで出てくる
普通の対面のずらっと座ってどっしりな所に比べると、なんか建物の前で立ち話してる感覚で、ライトです
後半だんまりの様式になりますが
私の見た日、旗の代わりのもの(なんだったっけ、狩場の絵図面?)を広げる人が失敗して、がたがたになってました。
悪者の親玉の梶原景高は廣太郎。気の優しそうな役の方が合うと思うのだけど、最近ワルが回ってきますね。もう少し時代に寄せて、大きさがほしい。

蜘蛛糸梓弦

尾上右近が8役早替わりで最終的に土蜘蛛になって、頼光を悩ませる変化舞踊です。
前に明治座で見ました。女の童の容姿に割と無理があり覚えていました。誰がやっても怪しいんだな。
上演の度に役が増えてる気がする。
題材が超歌舞伎とかぶるので、先月から連続で蜘蛛の眷属だった人もいた模様

これはスポーツだと思いました
SASUKEみたいにひとつひとつ関門をクリアしていくやつ
もしくは隠し芸的なパフォーマンスとして面白い
蜘蛛の糸も早替わりも大盤振る舞い
座頭の歌と三味線はさすが二足の草鞋
破綻なくこなしていきます(千穐楽はなにか失敗したそうです。ご愛嬌)
右近は「変わる」ことやなんでもやること自体が好きなんではないかと思う
パワーを抑制せずに使える機会なので持ち演目にできると良いかも

実盛物語

勘九郎の実朝。総じて良かったですが、物語がうますぎて。
そのために、「ああ、役者なんだよねこの人…」って現実に戻されます。
そのくらい上手いからこそ、いや腕を孕むこともあるかもしれんとか言いくるめることができるのでしょうが。
小万に七之助。後の手塚太郎である太郎吉に於菟くん。
瀬尾は松緑。白髪の敵役が似合うようになりました。
この演目での勘九郎と松緑の組み合わせは遠慮がある感じでいいかもしれん。一応は講釈を承っておく程度の距離感。

女暫

七之助の巴御前。
取れた席が三階の左で、いいところは全然見えませんでした
下手ギリギリ見えるのが腹出しまでで下段と花道は見えないのよね
しょうがないので半分くらいの時間、腹出しを見てました。
かっこいい人は腹出しでもかっこいい。
だが流石に悲しかったので一幕見で補完しました。
本家暫の持つ無理矢理な圧や説得力には及ばないので、任務を終えてからがいちばん面白い所になっておりました。
引っ込み方レクチャーの幸四郎がここで中村屋って声がかかるから、と説明するのに先駆けて「高麗屋!」ってかけたお客さんがいました。それは無粋だと思うの。

鬼次拍子舞

松緑の山賤実は長田太郎、萬壽の白拍子実は松の前。関扉と似たような並びで、うしろは紅葉。山賤の持つ笛の奪いあい。後に二人とも実はの姿を顕す
そういえば、前に笛を奪おうとする踊りを見たことあるのを思い出しまして、青葉の笛だから敦盛ゆかりの女性なんだろうかとふわっと考えた気がするんですが、その印象はあるのに、今回の記憶が抜けており睡魔に負けたらしい
古風な踊りとのことですがこういうのが古風なのかあと思うくらいなにもわからず
なんで笛を争っているのかもわからず
(松の前は都度誰それ妹とか、誰それ妻だったりするようで、あんまり話の背景は気にしないことに致します)

女殺油地獄

これはAプロBプロあり、私はBプロを見ました。与兵衛を隼人、お吉を米吉で。
席が三階西なわけで、油はほぼ見えませんで、音だけのホラーでした。が、そこまではだいたい見えました。
両手で頬杖のおこちゃまな与兵衛坊ちゃん隼人がなかなかむかつきますね。
商売など無理そう。”不義になって貸してくだされ”に表れている、認知の歪みがあり、その分別のない脆い危うい雰囲気が隼人に合うかもしれない。
米吉は、お富にも通じるような徒(あだ)な魅力が感じられます。少し歳上のおねえさん感。
元々主人の息子である与兵衛を大事に育ててきた父徳兵衛に歌六。
与兵衛の背中に主人を思う様などしみます。
母親は梅花。口では厳しく言いながら実はの息子可愛さがほんとにいい。やっぱこの両親の芝居がよい。
びっくり配役として与兵衛の妹15歳のおかちを宗之助が演じています。
若い頃は貧しい娘役がよく似合っており、今回は決して貧乏ではないものの、板挟みの可哀想な妹にあの頃を思い出しました。
本人もまさかここに戻るとは思わなかったらしい。
永遠の不憫な娘、また見られて嬉しいです。

新橋演舞場(昼)

昼だけ見ました。

操三番叟

右團次の三番叟、九團次の後見
いつもですが、伏せてるのにタイミングがピタッと合うのには、ぉぉぉぉって感心します。
この前御園座で見たのよりも、短かった気がするのは気のせい?
そのときはもっとおぉぉぉってポイントがあった気がするのだけど。

鳴神

鷹之資の回を見ました。
廣松の雲絶間姫。しっかり引かれた黒いアイラインに先代の雀右衛門を思い、声の端々に当代の雀右衛門を思う。力強い顔だちは彼らには似ておらず、宝塚の男役のようです。眉の描き方があの細くてまなじりの上がったやつじゃないのは雰囲気に大きく影響していると思います。
いったい幾つなのか想像つかない鷹之資の鳴神上人。最初の方は低い声を作っていて少し苦しい。だんだん本人の声になってきますが、所々あり得ん甲高い声が混じって、お師匠さま盛り上がりすぎじゃないかい。
どうじゃと真顔で迫ってくる様子は目がすわっており、断ったらころされると直感するような怖さ。この部分は今まで見た鳴神の中ではいちばん怖いな。
いわゆる「身の危険」というやつです。それを恐怖に負けずにいなす絶間姫はかしこい。使命を帯びたかっこいい女性と思えました。
幕切れ、この前見た前進座のは、大岩をぶん投げててまさに大地と天の怒りって感じでしたが、今回のは見境なく人を捻り潰してしまう表現で不気味な怖さが残りました。

熊谷陣屋

團十郎の熊谷直実、雀右衛門の相模、扇雀の藤の御方、虎之介の義経、男女蔵の宗清。
團十郎の熊谷は薄墨のような色でぼかした癇筋を引いていて、熊谷といえばあの筋というイメージを裏切らず、さりとて全くの古風というわけではなく。
髪を落としたさまも、いかにも歌舞伎の坊主のようなつるすべの丸い鬘でなく、頭の形によりフィットした坊主頭で、
さすが、坊主頭の長かったひとは違うなと変な感心をしました
古典を現代に合わせつつ、本来の意図も伝えているいまの團十郎の在り方が端的に見える気がします
また、雀右衛門がこの演目に居ることの重要性を大いに感じました。一年前に松緑が熊谷を演じたとき、ひどく調子を崩していて、雀右衛門、萬壽の二人が芝居を支えていたのを思い出します。今回も熊谷陣屋らしさの半分は女形が持っていたように思います。
義経は虎之介。義経らしい自信のありそうなとこがいい。でも「ホホ満足」のとこは難しいですね。

花道会歌舞伎セミナー 中村歌昇丈 播磨屋の内なる情熱

1/12 花篭にて
タイトルがわかるわかるという感じのセミナー
歌昇さん、黒ずくめのお洋服で、右手でマイクの持つとこじゃなく頭を握って左手はフリー
時々指で机をトントンとなさったり、マイクを両手で握られたり
お話はオフレコなのでぼやっと書きますと、とうかぶや巡業で見るたび違ってるなと思ったとこが
やっぱり都度試しながら変わってたんですねと答え合わせできたのが収穫でした
となると、このひとの出る新作や書きもののときはやっぱり通わないといけないんではないか。どう変わるかわからんもん。
あと、感激屋でいらっしゃるのかなと思いました。

聞き手は今はなくなってしまった雑誌演劇界の編集者の方で、実際に都度都度の芝居を観劇されてお話しされていて、的確でした。
演劇界はいつの頃もなかなかのお値段でしたので毎月買うわけにはいきませんでしたが、古い号に書かれていた劇評などで多くの言い回しを学びました。ありがたい本でした。

シネマ歌舞伎 朧の森に棲む鬼

幸四郎版、松也版とも見ました。
見てほしい所が寄りの絵で明確にわかるので楽だし、便利です。「だーい嫌い」のシキブなんか、あそこまで大きく見るのは現地だと不可能ですし、
いわゆる「目がたりなーい」という状態にならないようになっているのも便利。ラジョウの歌と踊りの合いの手的な台詞の所でちゃんと個人個人が抜かれるので、初めて誰が何やってるかわかったり、この一年で名前の一致する人が増えたなと思ったり。

幸四郎版の方が映像エフェクト多め。あと伏線わかりやすめ。
歌舞伎の印象なのは自分は松也の方。浮世絵の大首みたいなショットがたびたびあったりもします。
映すものを選んでいる所もあって、それは地味にライの印象に影響してるかもしれない。
例えば元々意図があるライと、無意識のライっていうふうに見える。
どこまでが誰の計算なのかなあ。

シネマになると舞台そのままの映像は我々には封印されてしまうんですよね。
今回のシネマでは割合見たいものが拾われていて良かったのですが、それでも元のそのものを見たかったと思う所はありました。キンタが落武者達相手に暴れている時のフレーム外のノリノリの松也ライとか、エフェクトに隠れてしまっている幸四郎の太刀さばきとか。
いずれ忘れてしまうから残っててほしいっていうわがままではあります。

尾上会

1/30、31 尾上流の公演。8年ぶりだとか。
二日目の夜だけ行ったのですが、夜だけで5時間超え。
演目ごとに間5分くらいで次々やってもこの時間
余計な拍手が入らないのもあって唄がよくわかりました。
あまり聴く機会がなかった一中節も聴けました。女声の地声であの低さはすごい。
あと、最近清元はなんとなく判別できるようになった…気がする。(けんけんのおかげ)
美寿太夫がいい節回しでした。いつも歌舞伎だと同じ系統の声しか聴かないので、それが清元だと思ってしまうのだけど、違うものを聴くのも必要ですね。
墨雪先生の「京若衆万歳」が立派でした。
歌舞伎からは、松也の青海波、8菊五郎と菊之丞先生で義太夫の吉野山。語るのは織太夫。
開始4時間後でしたが知っている顔があると起きます。
松也は海の情景(想像)が似合い身体の大きさが生きる踊り。(こまけえこたぁいいんだよ、ともいう)
貝を拾ってるのかなとか、恵比寿さんだ、翁だ、とノー予習でもわかりやすかった。
前日が博多のエリザベート松也出演分の最終日で、戻ってのこれ。いつ稽古してたん?

吉野山は知ってる場面なので安心して菊之丞忠信に没頭できました。
拵えをしていない静(菊五郎)が、忠信の話に乗って何かの役割になってるときその何拍かだけ男になるのとか
背負った着せ長をおろしたり、静に鼓を背負わせるのをパントマイムでする忠信も素踊りならではで面白い。
戦物語が好きだと自覚する今月でした。

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