酒と鳥の年忘れ(2025年12月 歌舞伎座)

最終更新日

3年連続で鳥が舞う歌舞伎座の12月
火の鳥だけと思いきや、鷺もいて、増えとる…。
それと少なくない酒飲みで暮れゆく木挽町です

なお、ネタバレがあります。

歌舞伎座 十二月大歌舞伎

一部

超歌舞伎 Powered by IOWN 世界花結詞

10周年ということで振り返り映像の後、本編。
歌舞伎座の一部すべて通して超歌舞伎だけというプログラムになりました。

今回、ボカロやニコ動には馴染みあり、超会議は行く。歌舞伎や歴史は知らない、超歌舞伎もよく知らない。という同行者を連れて行きました。
(自分はその前に一度見た。)
私が事前に同行者にした説明。

平将門を知っているか。OK。
同じ頃にやはり反乱を起こした藤原純友というのがいて、それは既に死んでいるのだが、息子(盗賊である)のところに化けて出てお前は実は息子だったのだー、将門の娘(ミクさん)を探し出し結託して世界を征服するのだー(?)っていうところから始まる。
一方、源氏は正義の味方で、鬼退治で有名な頼光と四天王がそれを倒す側なのだ。
だいたいオッケー? ちなみにこれは基礎知識だが源氏の旗は白で平家の旗は赤だ。
あとは、あの時助けていただいた白鷺ですっていうのがお姫様になっていて、純友の息子に恋人(恩人)を殺されたので怨みに思って対決するとこがある。
(※力尽きてここまでしか吹き込めなかったので、一幕が終わった後、さっきの袴垂はまた別の盗賊で、源氏の出だが勘当されている身である。女の人は四天王の奥さんで、袴垂は本当はいいもんだからもののけを退治できる矢を奥さんに渡したのだ、という補足をした)
ペンライトは獅童は赤、ミクさんは緑、お姫様は白だが、とりあえずしまっといて最後に言われたら白振っておけばよろしい。
「最近は歌舞伎もペンライトがデフォなの?」
「デフォではない。これだけ。」
(※ちなみに歌舞伎座初の人ではない。しばらくきてない模様)
「(スライドを読みながら)電話屋?」
「NTTの技術がすごいと思ったら掛けるのだ」
「ああ、『電話屋』。
大向こうと掛け声は違うの?」
「わからん。同じでよいのでは」
そういえば、なんでわざわざ並記してるんでしょうね?

見終わって感想を聞くと
「うーむ。やっぱり普通の人にはライブのノリは難しいよね?」と。
客のノリが悪かったということかい?
話は事前知識でわかったとのこと。


自分は前の歌舞伎座の超歌舞伎は行きました。
映像も1,2個見ました。が、10年にわたる歴史に寄り添ってきたかというとそうではありません。

以前の超歌舞伎を知らないと今年のは厳しいのでは?と思う向きもおありかと思いますが
場面場面は超歌舞伎以前に歌舞伎に本歌を取るものが多く、色々の約束も承知なので、歌舞伎民は割と問題なく、アレねーって処理できてしまうと思う。土蜘蛛なのに小狐丸?といった所はたぶん超歌舞伎に何かあるのねーって棚上げすればよか。
本当はあの年のあの話を踏まえて…と捉えるべきなんでしょうけど
ここまでの超歌舞伎不在でも解釈できてしまって、特に引っ掛かりなく通過。

以前のモチーフは松岡亮さんの連載を後から読んで知り、うまいこと繋げたなーと唸りました。
https://originalnews.nico/tag/超歌舞伎連載2021
以前の超歌舞伎で諦めた演出を今回は役者に割り当てたりもしてるんだなとわかります。

どっちかというと、ともしびについて事前説明なしの方が厳しかったんと違うかな。
前に歌舞伎座でやったときはなにかしなきゃいけないんだとわかる前説がありましたよね?
なんでやめたのかな。
それと言の葉…はキーボードで打ちたいものだ。
ニコ動のカルチャーあっての超歌舞伎と思ってしまう私は頭が固いのだろうな。
で、歌舞伎も超歌舞伎も知りませんの人にはやっぱガイドがいるだろうと思います。イヤホンガイドでしかわからないペンライトの色とかあったしね。
ミクさんの曲は知らないと支障があるのかどうかわからない。自分は知ってる曲ばかりだったので。

音楽では、だんまりの時に上に洋楽がかぶさってしまうので
黒御簾の音が聞こえなくてごちゃごちゃしてしまうのはちょっとストレスでした
舞台上の人は黒御簾の音を頼りに動いてるだろうに良くやれてるなあ

獅童は頼光と袴垂の二役で、後ろの席あたりから別の役?別の盗賊?といった声も聞こえました。情報量が多い気はします。
どーんと構えたひと役でも良かったろうに、過去の名場面ゆえに必要だったのかな。

歌昇の悪役と左近の「鳥類」がいいとこに配置されていました。
歌昇は、犬山道節タイプとか、大友黒主タイプが似合いますね。似合うようになったというべきか。
関扉のもじり場面など、本編でも見たいなと思わせます。(そして今月の酒飲みのひとり)
また、左近が綺麗な鷺娘でありながら六方で引っ込むという面白いことをやってて
六方と美少女っていうのがいまの左近の立ち位置そのもの。
眼の奥の光がやっぱ紀尾井町の家の人だなと思わせる。
あと、ミクイメージの和傘もスタイリッシュで良かったです。

鷺の恩人で姫の許婚で歌昇に踏まれてしまう頼光弟源頼信に種之助。無念。のちに二役で卜部。
明らかにツナ様を意識したと思われる渡辺綱奥方に時蔵。闘う十二単かっこいい。
獅童のお子二人は子四天王ということで頑張ってました。

ラストのギター、ベースの演奏を歌舞伎役者が担当してました。よき。
ギター大谷桂太郎、ベース坂東やゑ六

ミクさんはお上手ですね。
でもそこから出てこられないんよな。
あと何年くらいしたらすっぽんからミクさんが出てくるような未来になるんだろう。
そこまでできない今の技術では、歌舞伎座はミクさんには不自由なんじゃないかな
どっかもっと自由に沢山出られる所でいっぱい歌って踊らせてあげてほしい。左近やら歌昇やらが普通に歌舞伎として魅力的というのとは別の話として、初音ミクが物理的にも物語的にも後ろに下がってしまうのは超歌舞伎のパワーにはマイナスじゃなかろうかね。

二部

丸橋忠弥

濠端のおでんには企ての香りがしますね。ふふ。
そんでこないだの五斗兵衛のときも、権十郎が推挙してみたけど酔っ払いはしょうがねえな的な話だったよねえ。デジャヴ。
松緑は丸橋忠弥も呑んでも飲まれないタイプとして作っているっぽい。
三升飲んでからまだ飲むって、ざるってやつかな。
(嘘か誠か、酒ばっかり飲んでると脳が糖じゃなく酒の分解でできる酢酸を燃料にしだすと読んだことがあり、飲むと冴えるのはそういうタイプかと思ったりもします。)
あの浮世絵にもなってるお濠での測量の見得は、あれはなんだかわからんよね。
なにか語りがあるといいんだろうな。

んで、隠し通したのに、大きな声で仕上げをバラすから困る。
松緑の話によれば今までの本とは流れを変えているそう。
舅にうっかり明かして訴人される痛みよりは幸せか。
伊豆守は中車。個人的には、もう一回り上の人が良かったと思いますが、いないよね。みんな京都で。
奥方は雀右衛門。急に大きなこと言い出す夫に直ぐにすんなり寄り添えるのが予想を超える。貞女ってことで良い?
お母さん(齊入)が自害して、ああそういう家かとわかる。
慶安という時代がいまやわかりづらい。
まだ戦国の残り火みたいなのがある時代で、浪人の夫が世をひっくり返すと言い出しても、いつかは天下を取る人と思ってましたくらいの気分になれた頃なのかな。

ここまで、数人ひとが出ていても、丸橋忠弥の一人芝居の印象があります。立ち回りと同じく、まんなかに忠弥がいて、周りの人がからんでいるような後味が残る。

んで、私は今月のいちばんはこの後の立ち回りだと思ってるけど、ここまでみんな寝ちゃうとおもうんよ。とりあえず捕物になるまでは見てっていうには前半が長くて。
立ち回りも最初ややゆっくりで刀の目釘を湿してからがクライマックスじゃないすか、そこまで待ってもらうのがつらい。別に初めてのお客様の心を慮る必要はないのだけど、周りの寝てる方を横目で見ながらなんかごめんって思ってしまう。
それはそれとして、二十余人を引き連れて彼らに命を預けながら15分の立ち回りを続ける松緑は偉えし、技を伝え続ける劇団の人々も偉え。二丁返りは河松。棒は結構たくさん。咲ちゃんが松緑の腰に手を添えていると、信頼だねえって思う
後日見たら少し技が減っていた。誰か負傷していないか。大丈夫かね。

橘屋が昭和40年代にテレビ用にスタジオで撮った忠弥の立ち回りがあって
最初の方がゆっくり目の所作ダテなのは同じなのに
シンの動きと絡みの動きが完全連動ですごい面白いの
触れてない腕がリアルタイムに両隣のトンボを回している
この感じは、今はないんだよなあ
歌舞伎座が広すぎるのかなあ

芝浜革財布

二部もう一演目は芝浜。
また酔っ払いです。
獅童と寺島しのぶコンビでの二作目。
歌舞伎以外の役者さん(梶原善)や女優も交えた舞台になったわけですが、今回のは歌舞伎版に近いものでした。(荒五郎の納豆売りも出てきたよ。)
しかしそのまま歌舞伎ではない工夫もある。5月に松緑が芝浜をやったときに、場面転換の無音に音を入れちゃだめなのかな?って書いたと思うんですが、今回は転換に音楽を入れていました。やっぱ、あるとオンのまま次に行けるのがいいなあ。
そこまで過剰に笑いをとりに行くこともなく普通に芝浜として見られました。
申し訳ないけど前の「文七元結物語」は今回見にきたかもしれない人まで遠ざけたかもと思ってしまう。
私も別に歌舞伎役者以外の参加大歓迎はしてないですが、見る前に対象から外れるのは気の毒。

ところで、獅童って、ろくでもないやつが更生したあとの芝居で詰まる疑惑があるんですよねー。私の中で。
真面目になると滞る。もう少し検証してみたい。

三部

与話情浮名横櫛 源氏店

玉三郎のお富、染五郎の与三郎、幸蔵の蝙蝠安。市蔵の藤八。
染五郎はやんちゃな印象になってしまい、
もう少し大人っぽい坊ちゃんであってほしい。
誰かの表現を借りてきたようでないのは良いと思う
玉三郎についてはなんの文句もございません
本当によくここまでキープしている
兄さんだったと気づくところも、今回くらいの塩梅が良いな。
えっ?となったくらいで戸を締める。旦那は権十郎。

火の鳥

鳥類ふたつめ。
八月に初演されたものです。
練り直して再度試すことがこんなすぐに許されるのはどんなときなんだ。

歌舞伎ではないパフォーマンスのステージとして見ました。
女官たちの涙に見送られた美しき兄弟は、舟を漕いで水を渡り、手を取って険しい山を登る。四季は移ろい、そのさまが映画のようでした。いい絵だ。
そしてそれを見ながら、前にも弟連れてムリゲーに挑んでたよね染五郎…と思い出す。
私、夏のときは、火の鳥見なかったのですが、
あの月、染五郎は研辰でも弟を連れて山を越え、谷を越え、意味があるのかわからないミッションを果たそうと旅してたんですよ。
火の鳥でもそんなことしてたってこと?
それは同月に見たらなんとも言えなかっただろうな。

初演は弟のコンプレックスがしんどかったらしいのですが、
今回は弟の在り方が変わったそうです。
左近弟は、見るからに弟で。本当に染五郎より3、4歳は若そうに見える。あどけない化粧にしています。
火の鳥を捕らえたと思い込んでいるのを見るのはつらかったな。
幼さ故の誤りだろうか。
失敗とわかってることを見たくないし。あんなに頑張ったのに。
やがて兄も帰還し火の鳥が……ってこの辺りまで面白いんですけどね。

火の鳥のお説教に関しては
朝礼の先生のお話の如く聴きました
(胸に手を当てればわかると言われて
どうしてもさっきの与三郎と安を思い出してしまい、邪念が入ったことは白状しておきます)
御伽噺の後に教訓は必要なものだろうか
その美しい姿から我々が受け取りたいことを受け取るだけではいけませんか

今年はこれでおしまい

振り返りはまた別途

(2025.12.26 junjun)

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