錦秋十月大歌舞伎(2024.10 歌舞伎座)

あっちゅーまに1か月過ぎてしまって師走ですが10月の話です

錦秋十月大歌舞伎

昼は、團の出ない團菊祭みたいな感じ

俊寛

こちらを秀山祭でやった方が良かったんではと思ったり。
だって9月もほぼ同じ面子いたし。(もしかして10月の稽古のためかな?)
菊之助初役で俊寛。白髪混じりだけれど若い俊寛だった。最近はひと回り上の世代が早くに世を去ってしまったために、本来ならばこのくらいの歳なんだよねという配役で芝居を観ることがたびたびあり、いつもの見方に随分先入観があったと気づかされる。
枯れていない俊寛。菊之助には珍しく、型よりもハートに牽引させる芝居に見えた。
最近のどの役よりも合っているとすら思った。
最後に船からの声が聞こえなくなっても目から光が消えず、まだ心に何かを抱えたままに思えた。

前半の、島にあって家族のような三人プラスワンのほのぼのした風情は好もしかった。
丹波少将成経に萬太郎、平判官康頼に吉之丞。
吉太朗が初役大抜擢にて千鳥。
いじらしさと強さを併せ持つ島の娘。落ち着きのなさが気になるけれど、頑張って瀬尾に抗うのが、応援したくなるようだった。
昭和三十年代の南洋時代劇映画みたいな、貴公子と島の娘の恋物語の末にこうなったんかなあなどと。(そういえば去年のビーマも追放の末に現地の妖とできてしまっていたぞ萬太郎。)
又五郎瀬尾には意地悪さではなく、四角四面に役目を果たそうとする潔癖さを感じた。
嫌な奴を嫌な奴のように具現する人はもうあまりいなくなっちゃった。團蔵さんが亡くなった。ほろほろ。

音菊曽我彩

対面の趣向を借りた舞踊劇。10月は菊五郎の誕生月だそうで、菊五郎演ずる工藤の誕生月を祝う名目で、本来のように古風ではないが、対面の登場人物を並べる。
大磯の虎、魁春。化粧坂の少将、左近。
すごい歳の差。これが歌舞伎ということね。
普通の対面だと工藤は位置を直して段に登り直さなければいけないが、歩かない、昇降しないよう工夫されている。そのままの位置で、上半身だけの所作事がある。菊五郎が国立劇場のさよなら公演に出られないと聞いてから1年。心配したが、当月はこの一年でいちばん踊りらしい振りがついていてよかった。
曽我兄弟の役は右近と眞秀。稚児姿で菊売りのていで現れる。まだ幼名の一万、箱王である。
「ここやかしこの寺嶋」とか、売り物の菊の名前を問われて音羽菊、眞秀菊と答えるなど、ゆかりの言葉をあれこれ織り込んでいた。
眞秀は腰が落ちなくて微妙なのだが腰掛けている間の親指ピンはちゃんとしている。これを教えてもらう時にお母さんのしのぶさんが一緒に親指を反らせたら菊五郎に初めてすごいと言われたとSNSに書いていた。嬉しいよね。
鬼王役で芝翫が出てくる
本来はご馳走と捉えるべきだろうがちょっと出てくるだけの人みたいに見えて存在感が薄め。

権三と助十

駕籠かきの権三に獅童、相棒の助十に松緑。
権三の女房おかんに時蔵。助十の弟助八に坂東亀蔵。大家さんが歌六。猿回しに松江。
上方から訪ねてくる若者彦三郎役に左近。
仇の勘太郎役に吉之丞。
(この2人は「役」って書いとかないと役者だか役名だかわからなくなる。ねえ、ところで彦三郎役に勘太郎で、勘太郎役に彦三郎はありじゃない?)

亀蔵さん(亀寿のほう)のインタビューで、権三の初演は十五代目羽左衛門と二代目左團次のコンビだとの話題が出ていた。権三は元は超二枚目の役だと。であればいろんなバディが思い浮かぶ。
話は大岡越前の出てこない大岡もので、やっぱり大岡様はえれえなあと言いたいところだが、そのせいでお猿さんは哀れなことになってしまう。作劇の都合とはむごいものだ。

去年あたりから座組のシャッフルが激しくて時々思ってるのだが、菊吉系の座組の中に獅童や勘九郎を置くと中村屋風の台詞回しが浮く。
これはもうどっち中心の座組かということで少ないほうが気の毒な感じだが、今回も結果、獅童が浮いてしまう。
だが、相棒が松緑で、これまた独特の変な(すまん)台詞回しなので、なんとなく互いの個性のように見えて釣り合っている。
歌六と左近が話している前を横切らないで大回りするように伝えたり伝わらなかったりするパントマイムなども可笑しい。
新時蔵は少し貫禄が出て、獅童、松緑に負けていない。
左近ちゃんは全く上方ものと思えないセリフでもう少しヒアリングを頑張ってほしく。あと、ひどいゲラ(笑上戸)だそうで、どうも毎日獅童から仕掛けられて噴いてしまってたらしい。客は本当はどういう場なのかを想像で補いつつ、ゆるいわちゃわちゃを暖かく見守る形となる。相方が松緑だから悪のりがこの程度で済んでいる気もする。

長屋の大勢は菊五郎劇団中心。
井戸替え(=井戸の水全部抜くスペシャル)の手伝いがぞろぞろと出るわ出るわ大人数で笑える。
このあいだまでコロナで封じられてたのが、肌ぬぎや、大勢で綱を引くようなこともできるようになったんだねえ。

伝聞だが千穐楽では出番でないはずの萬太郎が素顔でほっかむりして混じっており、他人のセリフまで喋っていたとのこと。
そういう遊びももはや滅びたかと思っていた。
この文化(?)は菊之助でなく松緑の所に残るのかもしれない。

婦系図

知っているが観るのは初めて。
以前に大学の社会人向けオープン講座で雪之丞から、新派が明治当時の風俗を遺していることについて聞いた。
今回の上演は神楽坂毘沙門天縁日から始まる。
冒頭の人々の会話に「マザーが」と出てきて、うわぁと思った。
「ワイフが」はたまに聞くが、マザー呼びは聞いたことがない。気取った呼び方だったのだろうか。
境内に店を広げる古書屋で、仁左衛門がページを捲る傍らには、先端が青い光を出すものが置いてあり何の機器なのかと気になって仕方なかった。
黒く塗られるでもなく堂々と置いてあるところを見ると、アルコールランプだろうか。
そういった言葉やモノのほか、当時の体面や考え方も改めて意識することになる。
酒井先生(彌十郎)は弟子である主税(仁左衛門)に、芸者のお蔦(玉三郎)と別れよという。
その話をどこでしてるのかというと先生が世話していると思われる芸者の小芳(萬壽)の家なのだ。
どの口が言うのかって話ですよね。

その後にくる有名な湯島の境内の場は元々原作になく、新派がこの場を加えた上演をした後に泉鏡花が更に違う形で執筆したのだそう。

仁左衛門の主税はスリの男に身の上を話すときには立派になる。
でもやっぱりひどい男だよ。人にはそういった多面性があるのだなと如実に見える。

玉三郎のお蔦。
例えばかつてあれほど言葉の粒が際立っていた黒柳徹子の現在の話し方を聞いて歳月を思ったりする。
玉三郎にもそれを思う。
けれど、静岡は箱根より遠いの?と言ってカマトト(半死半生語)でなく本当に知らないんだろうと思えるような女形、若い子にいるだろうか。
そういうピュアさはこの世代の方があるような気がする。

途中、門付けの声色師が出てくる。(←咲ちゃん)
その頃の羽左衛門は知らないけれど、楽善さんたち兄弟に受け継がれる独特の台詞回しがほんのり滲むのが面白かった。
江戸の芝居よりも知らないことが多く出てきて、かつてそこにあった風俗が失われてしまったのを惜しむような思いが立ち上がる。
新派のときはそれを楽しみに見るのもよいなと思った。

源氏物語

歌舞伎の源氏物語は何度か見ていて
自分の印象ではいちども面白かったことがない。(ごめん)
中身は毎回全然違う。
決定版があれば再演を重ねているだろうが
毎度源氏物語という素材を使った新作になる所をみると”今回の源氏は面白いなー”という公演はこれまでもなかったんじゃないかと疑ってしまう。

今回は六条御息所の話
御息所に玉三郎、光源氏は染五郎
全体的に江戸っぽいのが気になる
何がと言われると困るけど
あんな風にお茶出したりするのかしら
大河ドラマではどうしてたかなあ

染五郎はやはり武家顔なんだろう
最近は顔だちを生かして化粧していると思っていたが、源氏の顔は微妙な印象
たおやかな男のときの顔はまだ定まらないとみえる

御息所はかなりのしつこさで、客としてもうんざりしてくる
怖いと言っていい。
もしやこれが疑着の相というやつなのでは。(違)

自分が見た日は吉弥の代役で折之助が女房中将を務めていた。
師匠の具合は気になるがちゃんと実力を示せていたと思う。
それは見てよかったポイント。

葵の上は時蔵。
今回は源氏との絆で生霊を撃退してハッピーエンド
実際撃退できそうな気丈な葵だった。
だがご存じの通り葵はやがてとり殺されてしまうのだ
あれ?こんなハッピーエンドでよかった?と引っかかる。でもしんじゃうんだよね?って。
めでたしめでたしの最後のカットに実は滅していなかった怪異がチラリと映ったのを見たような気分になる。

寧ろそこまでやったら面白かっただろうに。
幸せな家族の背後に御息所が迫り上がってくるのに気づかないまま幕とか?
(ないですね。)

そのほか、新生館シアターで演劇一本観ました。略。

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