文七(1999-2001)
文七についてまとめて書いてあるものです。当時の最後の日付で公開しておきます。
ついでに、ゆっくりな宗之助のお久、でかいお久だった松也についても書いてあります。(2024.9.28 junjun)
文七
文七元結
この役、最後に元結いを売ろうと思いつくところが、すっごく唐突…。
なにがなんでも死んでやるッ
1999.5 歌舞伎座 團菊祭 かなあ。あいかわらずおぼえてねー。
五十両をなくしてうちひしがれている若者、川へ身を投げようかというところへたまたま五十両を持った男が通りかかり…というシーン。
辰之助くんが文七をやったときのこと。
「いいんでございますよわたしがしねばっ!」
と川へ向かって行こうとする文七。その風情は…
俺は死ななければならないんだ-ッ、何が何でも-ッ。
…いや、あの…そうまでして死ななくてもよいぞ。
ふてくされ文七
1999.2 松竹座
同じシーン。菊之助の文七。
いやぁ、うじうじした男だねぇ
ふらぁと回れ右するところはなげやりぎみです。文七、人生なげてます。
その段取りのよさは、松竹新喜劇を見てるかのようです。
もちろん、段取り通りに観客は笑うわけだが。
この呼吸はやはり、菊五郎ゆずりですね。
こういう芝居をするだろうな、というところで、ちゃんとそういう芝居がくる。
それが菊之助のよいところです。
ってーことは、予想もつかないような変な役が来たときに彼が何をやるか見たいものだ。
あ・な・たぁ
2000.10.7 御園座
新之助の文七。出てきたところから、手代という雰囲気ではない。持って生まれた輝きはどーにもなりません。どこかの後落胤か、はたまた元は武家の出か。もしかすると和泉屋主人の隠し子…おっと。
どうしたと聞かれて話し始めますが、「あ・な・たぁ」 聞いてくださいのその口調の強引さ。
これは、すでに「おばちゃん」の域に達しています。んもう、きいてよ、ひどいのよー、わーーーん、の雰囲気です。
新之助の文七がこんなになるとは思わなかったので、ちょっとびっくり。
このお金を・ね
脱線。同じく御園座で、宗之助のお久。左官長兵衛の娘にして、この物語のシンデレラガール。確か、上記の辰之助、菊之助のときも宗之助・お久。すっぴん、のかわいさがあるキャラクターです。
おとっつぁんの道楽のために、この暮れがどうしてもやりきれないので、自分から色街へ行ってお金を作ろうとする孝行娘。貸してもらったお金をおとっつぁんに渡すときに、このお金をばくちに使ってしまうとおっかさんがあの気性だから持病の癪でも起こすと私がいないと看病する人がいないから、おとっつあんばくちにつかってはいけないよ、と諭すわけです。この口調が、 「この おかねを ね」「看病する人が い な い か ら ね」ってなぐあい。
「あ・な・たぁ」の文七と夫婦になったら、いったい、どういうとろいテンポの夫婦喧嘩になるのか、想像するとかなり疲れてきます。
考えた末の結論ということ
2001.7.15 国立劇場歌舞伎鑑賞教室
菊之助の文七。
文七はうじうじした少年ではなくなっていました。50両持たせても安心できそうな落ち着きがでてきました。
その強引さに新之助を、その飛び込もうとする勢いに辰之助をちらと私は感じました。しかし、それは、文七が考えに考えて固く決心した末であるゆえの強引さであり、決して意味なく寒中水泳するわけではないことが、今の菊之助からなら読みとれます。
新之助や辰之助は同じことを断片的に掴んでいてあの芝居になったのかもしれません。菊之助の芝居を見てその意味に思い当たりました。
い・い・ね いいかい い・い・ねーーーーーー
で、お久です 。松也です。でかいです。
菊五郎演ずるおとっつぁんの膝にすがりついて泣きますが、膝からはみださんばかりです。
それを隠すためか、終始下を向いていてほとんど顔が見えません。貧乏で身を売るというせっぱ詰まり感はわりと出ていたよう。お客が笑わないのはその証拠でしょう。