忙しい人のための入門月間?…7月にみたもの(2024.7 歌舞伎座、鑑賞教室、特別歌舞伎巡業)

最終更新日

7月
俄獅子の評判を聞き、今度は松竹座に行きたいよぅーとなっている7月

入門的な公演が2本

まず、松竹特別歌舞伎なる巡業。
以前の東西中央コースの名前がなくなって今年は今発表されている限り、夏に松竹特別歌舞伎(たぶん、お得なパック的な奴)、秋に松竹大歌舞伎、ほかに團十郎襲名の巡業(まだ巡り切ってなかった)、勘三郎追善の巡業がある。
以前は先に公文協のサイトでコースが出てたのに、なかなか情報が出ず、発表になった会場から順次知り、歌舞伎美人のページでの発表は後からなので、発売情報を逃さないかとやきもきする。

私の見に行った日は完売。
獅童とその子供たちの威力だな。
「中村獅童のHOW TO かぶき」
当地との関わりなど話し、基礎的なお話。
鞘當ほぼストーリーありません、など。
おやすみの日は下の子も舞台に出してもらえる日で、ツケと見得の解説のための所作をなっちゃんがしてました。出たいものなんだね。
所作板は各会場が用意するものなのだそうで、会場ごとに具合が違うので確かめるために事前に使ってみるのだが、子供たちはその音が楽しくて走り回っていたそうな。
獅童は、見得を「切る」と言っていた。彦三郎などは、見得は「する」ものと教わったと頑固だが、切るという役者さんもいる。
そして、斬新なのは、獅一、國矢、蝶紫の化粧前を舞台に据え、その場で下地を塗り眉をつぶす所からお化粧大公開。
よく、目が足りないなんて言うけど、同時進行の鏡台3つ注視は無理やて。これこそ目が足りない状況。
手持ちのカメラで映したものはバックのスクリーンに映るので遠くでも安心仕様。
企業秘密でリフトアップする蝶紫さんやばい。
いいもの見せてもらいました。
女形は退場してお着替え。立役は舞台上で衣裳と鬘もつけて、そのこしらえでそのまま休憩なしで「鞘當」の上演。
國矢、獅一では國矢のほうが安定感ある。
しかし、鞘當は台詞がむずいな。久々に何言ってるかわからない。滑舌が悪いのではない、聞いて意味が取れない。
切る場所とかテンポとかで変わるものなのかな?他と比べたいが次に鞘當見るのっていったいいつなんだ。
それから吉原の大道具をそのまま生かして種之助の供奴。技に拍手する。
最後は獅童、陽喜の親子で橋弁慶。はるくんちっちゃい。
獅童はこういうのが合っているかも。少し時代っぽいはしゃがない役がよい。
柔らかい解説に対して、歌舞伎は堅めの小編を3本で、それぞれ15分から20分しかないのにちと眠い。自分の隣は三人で寝てた。獅童見た、こどもかわいかった、歌舞伎やっぱり寝ちゃった、って感じじゃないかなあ。
マスクすれば大向こうかけていいよと言われたけどこの日はかからず。

もうひとつの入門編、国立劇場歌舞伎鑑賞教室の2ヶ月目は、前半、ティアラこうとう、後半、調布市グリーンホールの二ヶ所。
調布に行く。演目は橋之助と芝翫ダブルキャストでの義経千本桜 四の切。
自分の見たのは橋之助の回。
この日もほぼ満席。
歌舞伎のみかたは玉太郎。解説がすらすらと出てこない様子が初々しい。
先輩とは場数が違うとは思うが日程を半分終えたんだしそろそろ慣れてもよくない?
しかし内容は濃い目。久しぶりに、黒は見えない約束ですの解説を聞いた。
最近はツケや見得のことを言うだけで歌舞伎のあれこれを解説しない「歌舞伎のみかた」が目立った気がするが、今月は約束ごとを丁寧に解説している。
狐忠信の「出があるよ」フェイントがあるので、揚幕の音がしたら役者が出てくるよの解説もあったが、公共ホール仕様の短い斜めの花道なので同じ視界の中に正面の階段も入ってしまうんだよね。うまく効いただろうか?
また、少し込み入った狐忠信の事情も、逸見藤太と狐の人形を出した寸劇で苦心の解説。藤太は橋吾。
改めて四の切を子供が観ることを想定すると背景が結構難しい。
飛鳥と川連法眼のやりとりとか、わからんよな。
橋之助が忠信の回では、法眼は芝翫がつとめる。あまり老け役はしないだろうし、模索中ですかね。
私の隣に座ってたおとうさん(たぶん)は、ここは気にしなくていい、とばっさり。お子様に場面がくるごとにパンフレットの漫画をひとつひとつ指さして現在位置を示していた。
国立劇場でやるときに比べ親子で体験的に来た人が多い印象で、
帰り道では別の親子連れが、狐忠信見られてよかったね。やっぱ一度は見たいよね。つぎは、め組の喧嘩、身替座禅…と次々見たい演目をあげていくのを聞いた。近くの街で連日の公演があることがこの人達の背中を押したなら、会場を渡り歩いての親子鑑賞教室も災い転じて福かな。
あと、四の切って憧れの演目なんだな。これは澤瀉屋の功績だろうね。
今回は音羽屋型。しかし最後の化かされダンスの辺りの速さはちょっと聞いたことない高速だった。お囃子大変。
これは何?芝翫のうちがそうなの?橋之助が若さに任せて超高速なの?
狐と本物忠信でいうと、本物忠信がよかった。
ずっと、偽忠信がいるであろう方向を見据えながら下緒をたぐっていく所など、かっこいいなあ、と。
「小袖の模様もちごうてある」の着物の模様は見慣れない柄だった。あれ?普段どんなだっけ。これじゃないよね。
狐忠信になると、頬にちょっと紅がさしてあり、なぜかお母上(寛子サン)の面影がちらつく。
兄弟の中では福之助がお母さん似だと思ってたが、橋之助も似てるのね。
静は新吾。まずまずよろし。義経と亀井を交互で歌之助、福之助がつとめる。橋之助が忠信の回では亀井が福之助、義経が歌之助。多分この組み合わせのほうがニンではある。義経は発展途上。同じものを先に歌舞伎座の代役松也で見たので年季で違うもんなんだねと。なんだろうね。何が違うのか。

幕が閉まると拍手が鳴り止まないが、カーテンコールはなし。
早く終演アナウンスしてあげればいいのに。
幕が再び開かなくて当たり前の人が多ければここでこれほどの長い拍手にはならないだろう。違う客層が足を運んだことを喜んでおく。

歌舞伎座


星合世十三團
成田屋が義経千本桜をもとにひとりで13役をつとめる通し狂言。二度目の上演だそう。
行かないつもりだった。
しかし、義経役の梅玉休演、代役は松也と聞いて、
は?義経?、え?連休?
ここは我慢してワンチャン松竹座へ…などという考えは吹っ飛び歌舞伎座へ。
(これを観た2日後だったか幸四郎と松也の歌舞伎家話の配信が控えており、これが昼の部の最中。代役は三日御定法で三日間はつとめるはず。
しかし配信出られませんのアナウンスはなし。
えーと出番のない二幕目があって、次は切だから義経結構最初から出るよね。えっ、何分配信出る気?と劇場でタイムテーブルをまじまじと見てしまった。家話には、小忌衣(おみごろも)の下の真っ白ないでたちで登場。すご。)
本演目は今回最初の方を変えたそうで、平家の武将達が生きていたいきさつを早替わりしながら示す。お、おう??めまぐるしくて混乱する。
いつもはばらばらに上演される千本桜を貫くテーマがそんな「もしもの世界」であることを團十郎は発端で共有したかったのかもしれない。だが、これはぁ、先に言わないと伝わらないのでは??
その後で裃の團十郎白猿がパネルを使った解説口上をして本編へ入っていく。早替わりのめまぐるしさは本編に入ってからはそこまでではない。が、総集編のようで、まだ観たいのに次に移ってしまう肩すかしや、削られたエピソードに気づいたときのアレっ?が溜まってくる。
いつも、ちょっとしつこすぎん?と思うようなところは短くなっており、例えば鮨屋のお里(莟玉)の寝ましょう攻撃もあっさりだった。(まるるのお里はそんな演出によく合ってる。)
でも義経の出番はちゃんとあり、むしろいつもより存在を感じる千本桜になっている。
代役松也は危なげなくつとめていた。台詞によどみがない。
義経千本桜は知ってる演目だとはいえ、普段出ない御所の場面も、知盛との対峙もあるのによくこなせるものだよ。
眉間に皺を寄せた立ち姿に、戦上手の気早な大将の風情がある。いつもならひとつ上の次元にいる義経だが、團十郎との歳の具合か、知盛の大きな目から発せられる渾身の怨みを真っ向で受けながら凛と立つ姿に張り詰めた空気を感じた。これはこれで物語がある。
團十郎のキャラクター作りが独特だなと思うのは権太。
甘さと多少の哀を秘めたような雰囲気がある。
木の実で小金吾を退場させて権太が登場。小金吾とのやりとりができないので、芝のぶの腰元が小金吾の役割をやっていた。色々考えるもんだなあ。

四の切は宙乗りありで、化かされの方々も澤瀉風の長い立ち回りをしていた。混成なので音羽屋のお弟子さんもたぶんやったことない奴をこなしてたはず。お疲れ様。
客席からは手拍子が起こる。狐が鼓を持ちながら手拍子するので仕方がないね。
六方や宙乗りの際の手拍子は、黒御簾の囃子の揺らぎが奪われて均一なリズムになってしまうのがいやだ。
手拍子よりは、ヒィーーヤーーと全員で唱歌する方がましと思うくらいw(そんなやつぁ居ねえ)

とにかく、最初から最後まで何がなんでもぎっちぎちに詰めて千本桜やり切ってやるという気概は十二分に感じる昼の部でした。
成田屋さん、先代萩通さない?
あのすごく長いまま炊きがコンパクトになるのは見てみたい。カットですかね…

裏表太閤記

思ったより薄い、という感想。
43年ぶりの再演だそう。前は昼夜通しだったそうで、そこから切り取るとこうなるのか。
絵本太功記と同じく実名を憚っていた原作に対し、今回は武将も実名になった。
ここは真柴久吉に小田春長でいいと思うんだけど。
歌舞伎のそういう約束に最初から触れることも面白い入門じゃないかな?

序幕はじめは松永弾正(中車)。晩年ゆえかいつもの髪型で白髪混じりになっている。使者に詰め寄られ潔く切腹を…するわけなかった。
この人が、たとえ三日なりとも、とか言うからいけない。一年くらいにしとけばよかったのに。
弾正と光秀の間の秘密と白旗を託される但馬は青虎。義賢最期の小まんのようだね。後まで生き延びるので、もう少しドラマを感じたかった役。
そして茶釜爆破のくだりがあるw 弾正は高笑いして滅びてゆく。
中車はこういう「細けえこたぁいいんだよ」な役より、大いに細かい役の方が合うと思うんだけど、この座の構成ではこうなるわな。

その後旗がどうなったかの説明はなくいきなり本能寺になる
信長に彦三郎、光秀に松也。
ここは馬盥をもじった場面で、信長は圧倒的に声の芝居で威圧感を示してくる。申し開きも通じず、蘭丸からの打擲、信長からの行き過ぎた試しに光秀は怒りを押し殺して応じる。
古典的には秘めた怒りを眉などで表す所だろうが
松也の場合は、目がみるみる充血してくる
これは技術でやっているやつだと思う
遠いと見えないんで歌舞伎的にはどうかなと思うけど、近くか双眼鏡で見とくといいと思います。面白いです。
(ところで馬盥を彦三郎は「ばだらい」といい、松也は「まだらい」と言う。合わない主従であります)
そこまで疎まれたなら潔く切腹…するわけない再び。
「時はいま」 え、ここで?ここでなの?
昼も大概ハイテンポだったが夜も忙しい人のための馬盥w
既に謀叛の手筈は整っており、裃を脱げば戦支度に隠し持った白旗。
源氏の白旗に足利の二つ引き両、これは元々の柄。そこにわざわざ自分の桔梗の紋を追加してくる光秀である。(これはうざい)
信長の目の前で一段高い位置に入れ替わり、幕が引かれてもずっと高笑いし続ける光秀。
ここがこの話の前半のすっきりポイント。
物語的には弾正の豪快な最期と光秀の用意周到にとち狂った謀叛が二重写しになり
謀叛だけで繋げた無理矢理設定なれど親が親なら子も子だよとなる面白さのはず。「はず」
しかしあまり連続性が感じられずちと残念。
(仮に中車と團子だったとしてもあんまり説得力ないが、
幸四郎と染五郎だったらこの辺のあほらしさ(褒めてる)はある程度出るのでは。)

信長の血筋を絶やさんと光秀の手の者は信忠を狙う。
そうとは知らず、山中、腰元たちの化けた市女笠の女たちにいいよって踊る信忠。
演ずるは巳之助。合うんだなこれが。
うつけものという設定だがそこはそれ、やる時はやる。鴉天狗に化けた敵をあしらいながら妻子を落とす。その本来の姿も巳之助に合っている。
(個人的な好みの問題だが、踊りの音楽は琴じゃない方が良かった)

乳飲み子三法師の母は右近がつとめるお通。
光秀の義理の妹という役どころ。
乳母が菊三呂なのが現実の関係のようで面白い
子を連れて落ちのびるお通は赤子を抱いた反対の手で薙刀をふるう女武道っぷりながら、子が泣くとその刃をでんでん太鼓のようにくるくるしながらあやす
これもまた右近のニンによく合っている

場面は西国に移って、秀吉との和睦に失敗し、水責めにあって苦戦する高松城軍師鈴木の砦
お馴染み寿猿の年齢&澤瀉屋ギャグを交えてそんな年寄りまでいくさに駆り出される戦局が表される。
その先は真面目な義太夫の幕
砦の主である喜多頭(きたのかみ)は幸四郎。
このカツラと化粧似合わないなー
熊谷みたいな顔だけど、なんかバランスが変。
不本意にも勘当された息子孫市に染五郎。こちらはしっかりした顔立ちになってきた。(染五郎最近お化粧迷走してた)
笑也笑三郎が妻と姑。

ここは、原作から変えているそうで、
謀叛(また謀叛かい)を口にする父、喜多頭を孫市が討ち取ろうとしたら、実はそう仕向けてその首を土産に秀吉に持っていけという意図だったと。
わけのわからん幼子が言いつけられるのではなく、分別のある息子が自ら決断する為の葛藤になっている。だが最後まで欺かないでちゃんとモドって種明かしはするめんどくさい親だった。歌舞伎だからな。
そんなわけで首になった父とお別れしながらも、早く秀吉に持って行かなきゃと思ったら
その必要はない!みたいなシチュエーションで白塗りになった幸四郎が秀吉役で出てくる。
はっっっや。
着替えだけじゃない、顔が違う。塗り替えてる。家話によれば企業秘密があるらしいです。

そこから、男装の勇ましいお通が三法師を抱えて合流、孫市を連れて秀吉は京へたちかえる。
3人の衣裳も変わるが舞台そのものがぶっかえるという風情で、一気に船上と大海原に変わる。視界が青い。
これは上から見るべき。目を見張る。マジックや。

そしたら海が大荒れで、オトタチバナヒメの故事を引き、お通(さっき変わって姫姿となっている)が海へ身を投げると、海は鎮まり、上手背景からツツーと海神の登場。白鸚。おそらくマイクも入っている。
この神様方式での登場を見ると心中複雑になる。でも出ないよりは全然いい。
で、高麗屋親子三代プラス赤子の人形を揃え、すべての文脈を超越した船は空へ。
ここからはもうなんでもありですよ宣言だろう。ワンピかな?

幕が引かれて、その先は花道と客席降りての芝居でつなぐ。
秀吉がびっくり手法で戻ってきたというので、光秀側は琵琶湖の滝に誘い出して倒すぜみたいなことを言っている。
なぜ滝へ?(水を出したい一心ですね)

客席を2階まで使い、1階での剣戟、2階の秀吉軍(蔦之助とか)と1階の但馬の問答などあって…ここは下の方の席がいいんですよね。さっきの海を見るのと両立しないんだわ。
客席の前の方はいつビニールを広げたらよいかしらとそわそわしてるが、
やがて幕の向こうで、ごぉぉぉぉ!!って尋常じゃない滝音がするのでそこで構えれば間に合います。今後の参考に。
(余談ですが、前方で見た日、このビニールに見知らぬ隣の方「あら。水が飛んでくるのかしら」 ワシ「結構来るらしいですよ」。反対隣の方「なんか憂鬱なものが置いてあるわ…」 憂鬱なんだ…。水かけてもらった、きゃっきゃっみたいな人間ばかりではなかった。
水あるよ!はご贔屓にもっと伝えておくべきだな。)
幕が開くと滝ができている。本当に水音がすごくて幕見のときは花道で喋ってる秀吉、孫市の声も滝の前の光秀の声も聞こえんかった。やりすぎでは^_^;;;
秀吉は藤吉郎の昔に立ち返ってとかエモいこと言ってるけど、多分濡れてもいい服に着替えてきたよね
薙刀を持ってそれなりの装備の”三日なりとも天下人”光秀のほうが重そう
(槍の方がよくない?滝の中から槍でつけばいいのに←そゆこと言わない)
松也の長物での立ち回りはFFX以来に見たがやっぱいい
どんどん飛び込み水かけ合戦になり、まあ、これは明らかに前で見るのがいいです
いやぁ、これでも頭にしがみついてる鬘すごくない?

で、光秀が討たれ、そのあとは大喜利所作ごとですよの口上に中車が出てくる。
澤瀉だねえ。
大喜利所作事は初演時の昼の部の最後の華果西遊記(所作事??)と、夜の部最後の三番叟が続けてかかる。
孫悟空は幸四郎。のびやかにやっているように見える。
当然また顔が違う。如意棒での立ち回りもある。大変よな。
この幕では天界の者たちが出てくるが灘太子(卯瀧)が凛々しくて好み。
いまこの位置に西遊記を入れるのがよかったかは正直不明
代わりにもっと本編が厚くても良くない?
「リスペクトとして入れる」以外に理由が見つからない
あ、あと、宙乗りができるはあるな。でも自分は宙乗りより六方にときめく民なので、沙悟浄頑張って欲しい

次の幕では、俺の半生と西遊記の夢をみて太閤の位を貰った、幸先がいいぞみたいな事を言ってる白塗り秀吉。
西遊記はいいんだけど、もしかしてその前も夢って言ってない?
シチュエーションは大阪城落成の祝い。北政所、淀殿、家康の舞の後、五色の装束で武将が三番叟を踏む(帰るときお客様がぽろぽろと「嵐」と言っていた)
五者五様ですね。巳之助の頭のブレなさが他と全然違うのが印象深かった。真っ直ぐ回っている独楽と、減速して揺らぐ独楽のような。或いは長距離の終盤でのフォームの乱れの差のような。
巷の感想を読むと、これを見に通ってる方も多いみたいだけど、自分はひとつ見るなら二幕かなあ。

こうして振り返るうちに気づくのは、
太閤記の裏の物語だから裏表かと思ったが、全部があざむきから始まりひっくり返る筋なのだ。そのへんも実に裏表ではないか。
親の謀叛、子の謀叛、偽の天狗とつくり阿呆、謀反と見せかけた忠臣、男と欺き落ちのびてきた姫、同僚に騙される孫悟空、まさかの夢オチ。
見ているうちにこの連続に気づくような仕掛けがあったら面白かったのに。
少なくとも自分はこの趣向の面白さに気付かぬままこの月を終えてしまった。
ことに光秀は元の馬盥の光秀とは違い、自分の鬱憤を晴らすだけでなく企てをもって親の仇も討ちにきているんで(自分はそういう解釈)、いままでのは芝居でしたー!ってもっと派手にやらかす手もあったんでは。

この全編裏表の芝居と大喜利の間にスペクタクルのためのスペクタクルが挟まっている。初演時にはなかったものだから今ショーとして入れたかった趣向だろう。
穿った見方をすれば、陣と見せかけて海になり空になるのもあざむきのうちかもしれないが、
その中で、水を出したい!だけはなんとなく真っ直ぐな欲望が感じられる。
なんか、水で終わってくれてもよかったな。それから踊りで打ち出しでよかったんじゃないかな。
7月の歌舞伎座に思い入れのある観客であればもっと違う感慨があったろうか。

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