蛙鳴き、千鳥鳴き、百足も鳴いてお正月(2025年1月 歌舞伎4劇場)
しぼろうと思ってたんですけど気がついたら東京4座巡回してました。
曽我、忠臣蔵、太功記。
浅草と各劇場の世界がリンクする図式になっているようです
いろはのいを見せてくれる浅草の意義をひしと感じるお正月になりました
ネタバレあります。
新国立劇場 中劇場 令和7年初春歌舞伎公演
彦山権現誓助剣
年明け1本目は菊五郎劇団から。
九月に工夫した短い花道が今回もつきました。
実質の2列目(5列)で見ましたが、これだけ前の席だと短い花道でも視界に入ってくる度合いは同じなので充分でした。前方席でのめり込んでみるのは結構いいかもしれない。
今年はいつもは毛谷村しかかからない彦山権現誓助剣の通しです。知らないことばっかりでした。
(感想より粗筋っぽくなってすみません。)
菊之助の六助、時蔵のお園、彦三郎の京極内匠、吉太朗のお菊。又五郎の一味斎、吉弥の一味斎妻お幸。
発端で突然門下でもなさそうな六助に山口から福岡までわざわざ奥義を伝授しに行く吉岡一味斎先生(しかも神様のふりして)がだいぶおかしいですが、いろいろあって京極に討たれてしまう。
手がかりとして仇の片袖を手にした娘のお園。
それが次の場面ではへべれけになって(なったふりで?)帰ってくるんですね。
強い女性が酔っ払って、どこで飲まされて、ここで飲まされてみたいな話をする場面、なかなかないです。これは時蔵の家が得意とする話芸に通じる気がします。
え、お父さん大変なのに、お母さんに知らせないの?どういうこと?って疑問符いっぱいになってたら、これは妹のお菊(事情により我が子と暮らせていない。年若いのに赤ちゃんがいる役で吉太朗くんは苦労したかも。)の子を自分の養子にとってお菊がそだてれば、一応自分の子が家督を継いだことになるからそれでよくない?っていう相談をお母さんにするためだった模様。(設定が難しくて困る)
そこでわかる衝撃の事実。実はお園は一味斎の実の子ではない。赤子のときに拾われ、その身のそばには千鳥の香炉が添えられていたのだという。
いや、千鳥の香炉って普通添えられてていいものじゃないですからね?(この香炉はお園にいろいろアラームを送る役となってます)
毛谷村を見ててもそこはわからないですね。普通に家族の仇討ちをするんだと思う。力持ちの娘さんなんだなくらい。そこにこんな背景があるのに驚きます。
序幕では仇討ちを遂行可能かどうか力試し的な場面がありますが、これを見ると、力持ちの娘とかいうレベルじゃないです。すごい手練れ。スーパーヒロイン。
(上使がつぶてのように路銀百両の紙包みを投げ渡すやりとりとかもおかしい。ちょっと少林サッカーとかああいうノリがある)
一方、京極は京極で朧の森…じゃなく瓢箪棚に引き寄せられ明智光秀の亡霊(又五郎さん再登場)にお前は我が子だ、小田から奪った蛙丸(刀。かわずまる。抜くと蛙が鳴く)をやるぞとか言われて久吉を討つ気になってる。
#この蛙の件は、本能寺で蛙の香炉が信長に危機を知らせたという逸話から来てるらしいです。
で、お園と京極が瓢箪棚で対決。つまり久吉と光秀の代理戦争をやっている。千鳥VS蛙。そんな話だったとは。
お園の得物は鎖鎌です。女子の鎖鎌ってすごくない?彦三郎の京極もがぜんいきいきしてます。この場面結構面白いので時々やったらいいのに。
なお、ここにいたる途中、お園の妹のお菊が死んでしまう話は今回の上演では省略。京極の横恋慕はちょっと台詞で説明があったかどうか。付いている若党友平(萬太郎)はお菊を護りきれず責任を感じて切腹。いい奴さんなのにもったいない。
その先がやっと六助の話になります。騙されたのに気付かず、額を打たれても怒らない(※この傷は貼ってあり、後から無くなる。)。いやあ今日はいいことしたなあ、みたいな風情が菊之助によく合ってます。のんきだな君は。
そしてようやくいつもの毛谷村に話がたどりつく。お菊の子を保護していたら、急に来る知らない姑と許嫁。特に姑が先に来るのがおかしい。
あの先生の妻ですからね。似たもの夫婦だったのね。
で、大詰め仇討ちとなり、お子さま達も登場。今年は音羽屋萬屋に加えて種太郎くんもいます。(秀乃介くんがお菊ちゃんの子の役でいちばん活躍)
彦三郎が時々インスタにこどもさん達のオフショットを挙げてましたが、毎日自分で化粧をし、自分で脚絆をつける得がたい機会なんですね。こうしてコミュニティで育てるんだな。
通してみると、意識的にお園へフォーカスするカットのしかたをしてあるのでしょうが、まあ、お園の話ですね。毛谷村に表れる部分よりずっと強くて信念のある女性。時蔵の当たり役でよいのでは。
そんで、悪もたった一人にフォーカスしたのでしょうね。
討たれてしまうので彦三郎の手ぬぐい遠投はなし。残念。ミスター手ぬぐいまきなのに。
〆に菊五郎の台詞で国立劇場の名が出ました。菊五郎は少し歩いて舞台のセンターに立ち手ぬぐいを撒いてました。いつものように背景に赤い初日がありました。
我々は菊五郎というエボンのもとで、かつてあった国立劇場の夢をそこにみている。これはザナルカンドなんだよなあ。
夢を見ることに私たちが疲れてしまう前に夢でないちゃんとした計画がたちますように。
歌舞伎座
今月は1日いたらとても長かったです
昼
寿曽我対面
お正月に正しく曽我ものがかかりました。
ここのところ小林の印象が強かった巳之助が待望の五郎です。
ぎしぎししたものと正確な段取りが相まった五郎でした。←伝わる気がしませんが、うまく言えない。
十郎の米吉は、五郎を止める時に毎回弟へ顔を向けて見合わせ、腕は少し下向きなのが気になりました。
普通は工藤に向きつつ背後の五郎を牽制する感じじゃないかな
小林は尾上右近。大磯の虎は新悟。化粧坂少将を宗之助。どっちが虎?って少し混乱しました。
工藤は芝翫。声が苦しそう。最近あまり調子が良くなさそうで。
えーと、対面の良かったとこは…
精四郎の八幡三郎良かったです。
中車の鬼王新左衛門も、いい所に出てきたじゃんと素直に思える出方でした
陰陽師 大百足退治
陰陽師の晴明はここでは名前だけしか出ません。実質は単発の幕です。
日本振袖始の八岐大蛇のような大人数で大百足をやる方式
この場は新開場のときの陰陽師でもあったらしいですが全く覚えていません。松緑が魂魄以外ほぼ同じと言ってたからそうなんでしょう。
百足の音(鳴くのか?百足)がキィキィというか、しゃあしゃあというかなんとも言えない嫌な音。夢枕獏の平仮名の擬音てこんな感じ?。
そして百足の本体が昭和の特撮の怪人的なので、足の方々が戦闘員のように見えて、いやぁ剣友会かな?と楽しく見ていたら、それが倒されると代わって魂魄が出てくる。
大幹部だ(笑)
美しい方向の大幹部。白い癖毛の長髪は珍しい。後シテなんですかね。
亀蔵さんはこの路線、いけると思います。
それを倒すとお姫様から宝物がもらえる。俵藤太の誕生だ。
六方もある。大好物だ。
ヒーローショー面白かった
で、ここで幕間が入って次に全然別の話の鉄輪がくる。
なんでここで陰陽師分割されるん?
てゆか、かなわだけでよかったんでは?いや、むかでもすきだけど。
陰陽師 鉄輪(かなわ)
最初は、真っ暗な中壱太郎の姫が藁人形持って出てきます
鉄輪ってのは八つ墓村のアレが頭に被ってるアレです。五徳ですね。
新作歌舞伎だなーという雰囲気が満載
壱太郎はこっち方面の姫適性に定評があります…私の中で。
晴明と博雅は歌舞伎座新開場時の陰陽師の配役に戻っています。
晴明/幸四郎、博雅/勘九郎で定着させたいのかもしれない。(大百足退治の松緑も初演と同じ。)
夢枕獏の陰陽師は晴明と博雅の会話パートと毎回の怪異の筋で成り立っており晴明と博雅はだいたい毎回同じような会話をしてるのですが、そこが入っています
これが一昨年4月のときはほぼなかったので、個人的にはその復権に加点したいところですが
勘九郎の博雅は軽やかで、
ちょっと呪(しゅ)がわかったとか言い出しそうに思える
博雅には、本質に迫る話をしながらそれに気づかず、ずっと、腑に落ちない顔をしていて、ずっと煙にまかれていてほしい
今の幸四郎なら逆配役もあり得るかなと思ったり
でももし七之助の晴明なら勘九郎の博雅でしっくりだな、不思議だな…とか思ったり
式神では笑三郎の暗妃(蘆屋道満の式神)の風情が好きです
呪われる側の屋敷の道具立てが、こないだの源氏物語でしょこれ…って感じでしたが、こそっと存在している式神に性格がありそうに見えるのは少しだけ面白かった
上の階から見ると式神同士の対戦(群舞)はロールプレイングゲームのバトル部分を俯瞰してる状況に思えました
後からNHKの録画で下からの映像を見たら普通に舞踊に見えましたが上からだともっと盤面っぽい
どちらが優勢か劣勢がということは振りでわかる
でも情報を消化しているようで納得まではいかない
概念なんですよね
ナウシカのオーマの戦いやFFXの召喚獣との最後のバトルをなぞらえた踊り、あれと似た類のやつだと思う
マスゲームをみたような印象。
最後に黒幕であった蘆屋道満が出てきます
白鸚が腰掛けての出演です
振りはほぼなく言葉のみ
ひとり遠くから式神を操って、晴明や博雅にお寂しいのだって言われる道満
やるせないですね
三度目の正直というか、今回がいちばん「陰陽師」に近いとは思いました
封印切
鴈治郎の忠兵衛、扇雀の八右衛門、魁春のおえん、孝太郎の梅川
忠兵衛は昨年巡業で見ています。
うっかり破滅タイプだな。
扇雀の八右衛門がどうなるかなと思いましたが暗くて冷静な印象。
去年見た亀鶴もこんなタイプ。
面白がるでもないし、さほど嫌な男にもみえないし、どんな気持ちでいじめてるのかよくわからない。いじめてる意識じゃないのかな??
最後、いつまでも見送るおえんさんは目に残りました。
(月後半は忠兵衛八右衛門の配役が入れ替わりますがこれは見られず)
夜
熊谷陣屋
ポスターが明朝体のせいか国立劇場みたい。
熊谷/松緑、義経/芝翫の立役が2人とも声の調子を崩していました。
それゆえに相模/萬壽、藤の方/雀右衛門の支えが頼もしかった。
首が我が子と気づいたときの相模をありありと思いだせます。
松緑は幕外が印象的でした。松緑って最後に良くなる役者じゃない?
二人椀久
右近と壱太郎。
くるくるしてすごかったですみたいな小学生並感想しか出ないのですが
大向こうがじゃまだったというのは書いておきたい
待ってました!じゃないから
おとなしく待ってて
大富豪同心
隼人主演の時代劇の舞台化。演出は幸四郎。
本編は録音した和楽器アレンジのBGMを使いますが、幕開きは黒御簾の三味線があのテーマ曲を奏でます。頑張ってるー。
テレビの第二シリーズを三分の一程度形にできたかどうか…くらいのボリュームで、陰謀?的なものの始末は全くできてないので、そこは気にせずシチュエーションを楽しむ「時代劇」として観るのが良さそう。
明治座的でお江戸でござるでドリフ。
ですが、ストップモーションの中、清少将(巳之助)だけが動いているとか、場面転換や卯のさんと幸千代君(隼人)早替わりや気絶などは工夫されていて、カットを割ったり、すぐに次のシーンへ移ることができる動画を見慣れた人への配慮を感じます。さすが幸四郎、常に歌舞伎座を走り回って使い方をよくご存知。
一方で言葉や間は喜劇を要求していてその素地が必要。
澤瀉屋の役者さん方が上手いですね。
今回の舞台で地口のたぐいがやたら多いので原作のノリはどうなの?と読んでみましたが、普通の時代小説でした。あれは幸四郎の感性がだいーぶ入ってると思う。
何とは言わないけど、も少し品が欲しいでげす。
なお幕切れがお姫様のあの台詞なのは、原作どおりでした。
最後の踊りはテレビっぽくて良かった。
ところでせっかくはまり役の清少将が早々と退場したのは勿体無くない?
次は清中将出しちゃう?
松竹創業百三十周年 新橋演舞場百周年 初春大歌舞伎
双仮名手本三升(裏表忠臣蔵)
成田屋発、忙しい人のための仮名手本忠臣蔵書替え。昼夜で通しですが昼も夜も短いです。でも割と見た気はして意外とちょうどいい。
梅玉の判官が見られるのがまず幸せです。
團十郎は、高師直、由良助、定九郎、勘平の4役。師直がいやらしいですね。やっぱ定九郎があってるかなあ。
追加されている裏の話で面白かったのは、別の間で安宅が流れる中、加古川本蔵一行に化けた由良之助達が果たしてここを切り抜けられるのかが同時進行的に演じられる「東海道金谷宿本陣の場」。
対して、一見そのままな表についても、よく考えるとこうではないかと突っ込まれてるところを、そうですがなにか?と混ぜてある。
二人侍はなんで最初から傷を改めないのか?とか、
その時点での連判状の人数は45人とか、
当然近い家来は計画を知っていただろうという実録っぽさとか、
文箱を持ってくるおかるにスポットが当たるようにしておき後からおかるの責任を想起するようにもってきたり。
手紙の内容を読んだけれど漏らしてはいないとはっきりわかってから許してあげたり、
ちょいちょい「合理的」な説明をいれて繋げてきます。
これさぁ、おかるはいいけど勘平は死ななきゃいけないというのが大星の意向だということですよね。
そうか。そうなのかなあ。武士ってのはやり直せないのかなあ。
仮名手本忠臣蔵と大きく違うのは定九郎の生存です。50両要らんのかーい。
(原作のそれはないだろう?ポイントを削ったのに、新しい特大の、そんなわけないでしょ?を突っ込んでくる。)
定九郎は平右衛門が仇討ちする為に生かされてるのかな。
平右衛門も後半の裏主人公っぽいです。私が見たときは立ち回りがちょっと調子悪かった。でも歌昇の平右衛門、とても似合っている。こちらで出た人は3月にほとんど出られない。そこがもったいない。
で、宙乗り。
宙乗りすることだけは決まっており、インタビューによれば師直の宙乗りは流石に團十郎が阻止したと。じゃあ誰が?
三択になりますやん。
答えは、いちばんなさそうな定九郎。
團十郎は空中の歩き方が上手いっすわ。夏の狐よりよかったかもしれない。
そういえば2か月連続で宙乗りですね。
設置撤去がまとまるとか少しはコストダウンになるんだろうか?
そしてお子達の道行風の舞踊。学校が終わってから出られる時間にもってきたのね。
二人で舞うには舞台が広いですね。
ラストに特大の落雪があります。
ものや粉や水が上から落ちてくるギャグってありますよね。それを思い出して笑ってしまう
上から見てたら、一階席の9列目くらいまでだばぁーーっと雪が届いてました。
最前列とか、えらいことになってると思います。
新春浅草歌舞伎
橋之助を座頭に新メンバーが揃っての1年目
今年はお年玉ご挨拶も長めでした。
また、解説の時間を別途とって、そちらは誰が出るか予告なしという形でした。
私が見た中では解説はどの方もしっかり。
お年玉ご挨拶はやはり場数をこなしているまるるが立板に水でしたねえ。
1部
絵本太功記
落人
2部
春調娘七種
絵本太功記
棒しばり
絵本太功記 尼崎閑居の場 (太十)
初めて見ます。
予習は橋之助莟玉の解説動画だけ、イヤホンガイドなし、筋書きなしで挑戦しました。
おかげさまでお坊さん(には見えん)が久吉なのは分かったが光秀は急にでてきたなー
あれは前の段で様子を伺っていてのことらしい…←今更床本読みました
婆様はおかしな旅僧のことも外にいる息子のことも悟った上でああいう行動になるらしい
十次郎が隠しているのになんで操と婆さまは銚子に蝶花形を携えて出てくるん?とも思いました。
前段を読むと初陣の願いと三三九度の準備自体は祖母、母とも合意が出来ている。
ならば伏せているのは決意のみということでしょうか。
この絵本太功記は1,2部同演目で配役はシャッフルする形です。
年長組の実力はしっかりと示され、若い人達は可能性を試されることとなりました。
光秀は一部:染五郎、二部:橋之助。
橋之助が、染五郎の芝居を見ているとおそらく教わったことが全然違うと推測していましたが、こちらから見える景色も異なりました。
橋之助では、倅の傷の深さへの動揺を隠し、厳しく、あるべき姿を要求して奮い立たせようとし、一方の倅も立派であろうとして必死で応える、武士の建前のかなしさ、光秀という武将の愛情表現のぎこちなさと見えます。
母と息子を喪って初めて泣く仕草も大きかった。
染五郎の光秀は、やはりやり方は大きく時代であるのに、倅が戻った動揺、気付け薬が必要だという判断、父はここじゃぞという一連に、型、約束から来るものではない現代人が普通にわかるものが感じられました。
あと化粧のグラデーションがすごいんだこれが。
浅草は舞台が回りませんが庭に出て遠見をしてからまた家に戻るところの背景の入れ替わりは面白かったなあ。2人、歩き方も違ったような。
倅の十次郎役は一部:鷹之資、二部:鶴松で、同じ幸四郎に習っているそうですが、これが結構印象が違いました。
大きいのは「間」の違いで、
鶴松の十次郎では、最後に初菊は呼んでもらえるのか、と、初菊と一緒にやきもきさせられるようでした。この緩急は経験値によるものですかね。
初菊は、一部:玉太郎、二部:左近。玉太郎は少しぎくしゃくしますかね。
重くて持ち上がらない兜の運び方が2人で違っていて、左近は振り袖に乗せて水平に袖を少しずつ引っ張っていくやり方。玉太郎は斜めに数センチ持ち上げて引いては下ろし、持ち上げては下ろししながら運んでいく。面白いです。
お母さんの操は一部:鶴松、二部:莟玉。どちらもしっかりしたお母さんです
初菊を気遣ってあげる所も夫に意見するのも立派。
眉がないので、造作の大きな莟玉は夫のこの事態にだいぶ険しい表情にみえます
佐藤正清は一部:左近、二部:鷹之資。左近の目が大きくて女形のときと全然違う。これも似合ってしまうのね。足の親指をピンとしてました。大ちゃんは5本で大地を踏んでました。
一回、十次郎がこときれるかという静かなとこで着信音が鳴りまして、ほんま浅草公会堂名物着信音、ゆるさん。
もう電波抑制装置のために納税してもいいくらい。
でも去年よりずっと静かでした。
去年はやっぱり定着したメンバーの一区切りでお祭り感があり、お客様が多かったからかなあ。
道行旅路の花聟(落人)
唄を聴く限りでは夜らしいのに、いちめんのなのはなと桜で明るい舞台
清元延寿太夫の白い髪、日焼けした顔が桜の精のようだという話を思い出して勝手に可笑しくなってしまいました。
裃は桜のじゃなかった。惜しい。
勘平・おかるは橋之助と莟玉。
2人の間に思いやりが感じられました。
ずっと憂い顔の勘平もおかるの説得に思い直して、袖を脱いでからはかっこよく、
こういう普通の立ち回りが普通に見たかったし、お正月っぽくなって良かった
鷺坂伴内は玉太郎
やわやわとしてる鷺坂は珍しいな。頑張って鷺坂
春調娘七種
脇の大道具に巳の字と七草をあしらった絵が描かれていてかわゆい
静御前は鶴松、十郎は玉太郎、五郎は左近
これはニンしっくりで、きれいで、楷書で
特に玉太郎はこれがいちばん良かった
左近はこれも似合ってしまうんだよな
鶴松はやはり一日の長あり
兄弟をリードするおねえさんっぽかったです
棒しばり
太郎冠者/染五郎、次郎冠者/鷹之資、大名/橋之助
楽しい演目で客席もわいていましたが、太郎次郎共にあまり狂言らしくなかった
絵本太功記の親子もですけど、もうちょっと待つ所を待てるようになるとよいかなあ。
染五郎は大袈裟な動きをしようとして現代っぽくなることもありました。
何度も見た演目ですが、次郎冠者の武芸への自信が強く感じられたのは面白かった
隠れてジムに通うタイプだな
「っぴーーん」 (だいぶ飛んでいったと思われる)
錠前拾っとかないと怒られるよー
能のような舞のあたりは流石に見応えがあり
私の見た日は大ちゃんが扇を落としてしまったけれど、ああ去年もこんなふうに固唾を飲んで見守ったり残念がったりしたなと、歌昇の太神楽を思い出してました
一年は早いです
以上、見たもの。
おまけ。太十と彦山権現と四王天
尼崎閑居で光秀が出るとおびただしく蛙が鳴く声がするのですが先に初台で瓢箪棚の場面を見ていなかったら自分は気にしてなかったと思います。
もちろん、彦山権現のほうがもじりなのでしょうが、見る順が逆だったので、浅草で気づくことになりました。
多分絵本太功記を先に見たら気づいてないな。
太十の光秀は謀反を責められて、家来が無道の君を弑した例を挙げ、彦山権現のお園は逆に運尽きて人手にかかった例として源義朝や小田春長の例を挙げるといったあたりも呼応しています。
六助が額を打たれるのも、わかりやすい光秀の連想ですね。
気になったので両方の床本に目を通しました。
今回の”彦山権現”上演では久吉の韓入り関係の筋をバッサリ切っています。(今のご時世だと上演は難しかろうと思います)
舞台が九州でちょうどよく久吉が出てくるのはその時期の設定だからなんですね。お菊が活躍する話もそっち筋にあります。
その発端は、”太十”で十次郎が行方知れずだと答えている「四王天田島頭/四方田但馬守」。これが大陸から三韓人に化けて戻ってきて日本を明智のものになどと画策している。
行方知れずの先がびっくりすぎだよ。
この人は絵本太功記では春長を討った後自刃しようとする光秀を止めて天下へ心を向けさせ、自分は計略で秀吉を伐とうとして見顕わされて失敗する役どころ。
“彦山権現”では計略がだいぶスケールアップしていますがやっぱりバレてしまう。
だがそこで運命の出会いが。
京極は自分が光秀の忘れ形見と言われても取り合わずこの男を介錯しますが、その瞬間に我が身を贄にしてでも旗揚げさせずにおくべきかという四方田(四王天)に憑かれたってことなんでしょう。ここが京極にとっての朧の森ポイントその一ですね。(その二は上演にあった瓢箪棚。)
京極ってよく考えるとあの健気な十次郎の兄弟なんですよね。
お兄ちゃんか弟か知らんけどちょっとうぬぼれが強いくらいの男だったかもしれないのに。
みんな四王天のせい?
床本はこちらを参考とさせていただきました。
仮想空間
https://tiiibikuro.hatenablog.com/
絵本太功記の経緯はこちらがわかりやすいです
文化デジタルライブラリー
https://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc18/ehon/himotoku/index.html