歌舞伎をつくる人の話を聴きに行きました(2024.2.10 戸部和久さん講演)

最終更新日

戸部和久さん(歌舞伎演出・脚本)のお話を聴きに行きました。

歌舞伎をつくる〜伝統から未来へ〜

2024/2/10 14:00-
星陵会館ホール
講師 戸部和久
ゲスト 中村鷹之資
聞き手 竹平晃子
高校生以下無料、大学生1000円、一般2500円

日比谷高校の元の運動場の敷地にある(らしい)星陵会館ホールはキャパ250名。
上手に桟敷席みたいに90度横を向いた席があるのを除くと(そこにも人がいましたが)満席になるくらいの盛況でした。
若い方が当日スタッフとして動いておられて新鮮。
お客様にも学生さんが多くいらしたようです。
単に歌舞伎を作ることを紹介するのではなく、若い人たちの進路の参考としての側面が多分にあったようで、図らずも戸部さんや鷹之資さん(大ちゃん)の10代から20代の自分の進む道への向かい方を聞く機会となりました。
戸部さんくらいの年齢は、現場でも自分のやりたいことができる裁量と実力が兼ね備わってくる頃で、自分の責任で仕事を進められる、外野からみても仕事の成果が面白いお年頃です。自分で選び取った道と導かれた道とが相まってのいま。なんか、誰かが見ていてこっちじゃね?って手を添えてくれるときがあるんじゃないかな。それが「縁」なのかなと思う。
一方で鷹之資さんは、とにかく懸命に邁進する毎日でふと周りを見て、やっと今自分がどんな道の上にいるのか気付いたという感じでしたね。若い。二十代半ばならそうだよなあ。あと「よい青年」だ。(そういう言葉選びでしょう?この方には)
メモはできていないのですが、進行の竹平さんが非常に的確で、ご準備もされているだろうし、要点を聞き取りよどむことなく次に繋げているのも見事でした。おそらく本当に興味をお持ちの世界なのだなと思います。

お話のメモ

(SNSおっけーとのことでしたので書き留めておきます。
手もとを見ずに書いた走り書きで言葉の端々は異なります。忘れたこともあるさ。私の頭の回路を通した話の内容とご理解ください。
文中コメ印※はトーク内容ではなく筆注)

壇上に花瓶を置いたテーブルをはさんで、椅子が2つ
はじめは聞き手の竹平さんと戸部さんとのトークで、戸部さんの歩んできた道の振り返り。
・(昨今の活躍の中から”笑コラ”の「歌舞伎座支局長」への反応について)
楽屋で”支局長”とからかわれる。僕よりオタクの人を表に出していきたい。ヘンタイがいるので。
・歌舞伎の脚本・演出が主な仕事。コロナで暇になったときは、zoomによる歌舞伎や夜話など企画の仕事もした。
・父は戸部銀作さん。(※知らない人は検索)
父が東大に入れなかったので、息子を東大に行かせたかった。お茶の水の小中へ進んだ。
周りは授業中に塾の勉強をしていた。自分は勉強しなかった。高校では成績がトップになった。そんなことは初めて。(※勉強した学友と自分の進んだ高校が分かれた結果、自分の行った学校では上がいないということでしょう。)
周りに引け目を感じ、その年で自分がいちばん優っているものは何かを考えた。
小さい頃は父に連れられて楽屋に預けられていた。((聞き手)「楽屋が託児所状態」)その間父はもっと偉い人の楽屋に行っている。
母は宝塚に連れて行く。今だと子供がいると行けないとかいうが、当時はそういうこともなく。
戦争と平和、たまゆらの記、レットバトラー(風と共に去りぬ)など見た。(※1980年代後半)
同年代の人と宝塚の話が合わない。『エリザベートの初演を見た』というと『映像で見ましたぁ』とか。
…ということで、歌舞伎の世界ならなんとかなるかも、と。
・日大芸術学部へ
大学のときは舞台監督を沢山やった。(※舞台監督は何でもやる人だと思う(語弊))
東大の歌劇の演出。脚本を書くのは歌舞伎でやるまでなかった。
・松竹に入社。国立劇場は、国家公務員に落ちた。
・入社後は旅回り。吉右衛門、錦之助襲名、玉三郎の巡業。コクーン歌舞伎のスタッフ。スタッフTシャツが似合わない
・歌舞伎座の宣伝部で当時は筋書(プログラム)も作っており、地下の事務所で編集をしていた。(今は別途編集をする部署がある。)
当時はポスター、取材対応、ほうおう(雑誌)など4,5人で。
後半日程で筋書に入る写真のページを作るサイハンが大変。
(※歌舞伎座の筋書は、1か月興行の最初の頃は過去の上演写真が載っており、後半になると、当月の写真に差し替えられます。)
以前に吉田千秋さん(写真家)がやっていた、客席の中や後ろから写した写真のようなことが再現したくて、歌舞伎座のさよなら公演のときに、助六の花道を桟敷から撮った写真を載せた。
コウセイ(※構成か校正か分かりません。後者かな)や芝居を見る角度など学んだ
・監事室へ。上演中に携帯が鳴ったらあとで俳優さんにおこられたりする。
・3.11のときは、演舞場の監事室にいた。(※客席よりも後ろにあるガラスの張った部屋です。舞台が見える)
監事室は頑丈で揺れない。周囲や舞台が揺れて見える。御所の五郎蔵をやっていた。
部屋の外に出たら揺れていて舞台に向かおうとして転んだ。
ドアが開かなくなったら終わりなので係の人はドアを開ける。客席は三分の一が立ち、三分の一が座り、三分の一が逃げ始めている状況。
舞台機構の会社が新宿にあり、新橋演舞場に着くまで9時間かかった。途中帝劇に寄りたいとかいうのを、こっちは明日から開けるつもりなんだからこっちに来てと呼んだ。(※この話、長そうなので聞き手ストップがかかる)
・歌舞伎座新開場の準備
風呂の位置をどうするとか、床の間の位置がおかしい等々
幅の広い大口袴で2人すれ違えるようにと、楽屋の間口を広くしたら、従来ののれんの幅では足りなくなった。そこまで気付かなかった。
・調整ごとには向かないということで?芸文室に異動。
30歳までに脚本や演出の仕事ができなかったら辞めて外部でやる気だった。
意外とチャンスはある。無理していないでやっているとそういう力がある。
・(※再び高校の頃の進路の話)
姉の闘病を見ながら、死に向かっていくだけではなく、人に求められていないと、世の中に必要とされていないと生きていけないと思った。
自分が一等賞を取れるものは何か?パイが少ないものがいい。歌舞伎はスタートラインが違う。
(他なら?)→映画監督はやってみたかった。でも映画科は狭き門。
・脚本について
「心謎解色糸」の補綴(ほてつ)をやった。国立劇場では「ほてい」と読む。
初めて脚本としてクレジットされたのはラスベガスでの鯉つかみ(※幸四郎さんのやつ)
演出はルパンが初めて。こんなに大変なんだと思った。しばらくだいじょうぶ。(※このだいじょうぶはあいだをおきたいのだいじょうぶ)
歌舞伎は音楽劇と再認識。音楽は宗家藤間勘十郎さんの力添えがあった。
・流白浪燦星について
色々事情があり割と急に決まった公演
コクーン歌舞伎などで半年前に出るような文字だけのチラシが三ヶ月前に出る状況
ビジュアルが非常に大事
如何に前売りが伸びるか
会社員ではあるが、作り手側になるとお金がかかってしまう。本水やりたい、衣裳もう一種作りたい等→予算が(と言われる)→売れてるからいいでしょ(と言える)→でも赤字にするわけにはいかない。
・(ルパンと歌舞伎の親和性)
なんとかの城とか他の既存作をやるともう一段大変。
原作者側と脚本の関係も(今話題ですが)良好。打ち上げしてきた。
・ルパンのテレビスペシャルになってもおかしくないくらいのものにしたいと思った。脚本が面白いと褒められた。
・ナウシカ(2019)は完売したが、その後新作で完売はなくルパンの完売でやっとコロナが終わったのかなと。
・ルパンの音楽
最初はテーマだけと言ってた。大野雄二さんの事務所には1曲と言っていたが、宗家と銭形マーチやりたい、トルネードも、ラブスコールで花魁道中やりたい…となり、デモテープ等は後にして録音してから持っていくことに。あるから使わせてくださいと。
銭形マーチは三味線ですぐできる
ラブスコールは和楽器では難しい→二十五絃でやった(※刀剣乱舞歌舞伎でもメイン楽器として使っていたもの)
演奏家は皆一本釣りで、揃う日が1日。打合せ1日、録音1日。
使われていないバージョンもある。五ェ門(斬鉄剣)のテーマで立ち回りのテンポではないスローバージョン、ルパンのテーマのロングバージョン等。25から30トラック録った。斬る効果音(尺八)とかもその場で録っている。
・鷹之資さんの魅力
・スケール感が大きい
・幕が切れる力(※舞台の真ん中にいてそれで幕が切れる。←コレ聞いてて、ん?ってなったんだけど後でわかります)
・はいっちゃうと周りの言うことが聞こえない
・やりきってくれるのでここまでいけるんじゃないかと思って役を書いてしまう(※期待に応えてくれるということでしょう)
(この辺から戸部さん、鷹之資さん2人トーク
以前歌舞伎座ギャラリーでやっていた歌舞伎夜話のスタイルで)
鷹:(対談のスタイルが)懐かしいですね。
戸:ルパン歌舞伎での鷹之資さんの役「長須登美衛門」は、天磐船で降臨したニギハヤヒノミコトを迎えたナガスネヒコがモチーフ
作品を作る際に鎮魂をテーマにしている
(AI等により)人間が取り残される時代になっており
取り残される人に対する思いを作品のテーマとして考えた
鷹:色々な思いの詰まった作品
ついていくのが大変
どうなるのかと。
10月に頭合わせがあった
元のキャラがある五人以外はどんな役か分からず、床山さんから聞いた
宇宙人らしい(…宇宙人)、不死身らしい(…不死身)、でも最後は死ぬらしい(…不死身だけど死ぬ)、
歳は?「1200歳」(せんにひゃくさい)
戸部さんに電話して聞いたら人間だった
(※宇宙人というパワーワードがスタッフの中で勝手に拡散している様子)
台本ができてないのに写真撮影
戸:必死で間に合わせて仕事をしてくれた。
あいちゃうから(=結局間に合って初日の幕が開けられるので)無理なことでもやらされちゃう。
ルパンの稽古は8日間だった。あくのか?と思いながらいるが、不思議とあいてしまう。準備期間はあってほしい。
歌舞伎の場合は役者が自分で向かってくれるので…
鷹:あけなきゃいけないからあけてるんですよっ(※大ちゃんやや抗議(笑) そりゃそうだ。不思議にあくのではない。あけてるのだ。)

戸:稽古は意外と順調で(夜の)6時、7時には帰れていた
(※スクリーンには登美衛門初登場時の御殿でかみしもの青紫っぽい衣装)
戸:衣装は光秀モチーフ。新作でも古典をモチーフにしたパロディが多い。
短期でできるのは古典がベースにあるから。セリフを変えたり合わせるだけでできてしまう。
「アレでいく」と言ったらスタッフも阿吽で合う
いかにつねに歌舞伎ができているかが大事。
ルパンも洋服でも成立してしまうが、歌舞伎役者がやることに意味がある。
古典大事。
古典の真似事になってなぞってるだけだと…
ルパン歌舞伎という世界を作ってやる意味あるとしないとファンからもお叱りを受けるし…
(※この辺もうメモが読めない。古典をなぞるだけでもいけない。ルパン歌舞伎の世界として成立させなければ的な話。)
鷹:新作も多くなっていて歌舞伎を観るきっかけとしても意味があると思うが、それと同じかそれ以上に若手は古典を鍛え上げていかなければ。
客が古典を見たいと思ったときにそれができないといけない。
古典離れと言われており、古典が出る機会が減っている。
やり続けるのは大変。400年続いているのはそれが素晴らしいから。その素晴らしさは若い人にも必ず伝わると信じている
(※この1.5倍くらいの言葉の量でこういうことを言ってます)

戸:ヤマトタケルという一石を投じた作品がある。歌舞伎(文化財)としての上演であった。和楽器を使うことで(※歌舞伎と認められ)入場税が免除になったから。
スーパー歌舞伎で今までにないもの、コクーン歌舞伎で芝居小屋への原点回帰、
スーパー歌舞伎II、NEXTとあって
平成から令和になり逆に古典にしようとなっていった。僕の中では。
最終的には歌舞伎座で新薄雪物語や忠臣蔵の通しで歌舞伎座が満杯になるのが目的。

(新作でよく死んでましたねという話)
鷹:「みんなしぬのはきらいではないですね」(※良い場面だから)
戸:新作でやって、見てみたいと思ってもらいたいのがあった
(ルパンの稽古で)
毎日死に方が変わった。死なない案もあったが、死なないと水が片付かない。

(※どこの場かというと、ルパンたちが立ち回りしていた演舞場名物本水の滝の前に鷹之資さんの役が駆け込んできて、大事を知らせる。そこからどうやって幕切れに持っていき後ろの水を片付けるのかという問題。つまりここで、幕の切れる役者の力が発動する模様。)

「これなら死ねる?」とかやってた。幕を切るって大変なこと。
水に飛び込んじゃう案には衣裳さんからストップがかかった。濡れるつもりの衣裳ではない。
鷹:(床も濡れてるので)膝より下はつかないでくださいという制約ある衣裳。
幕切れで「お頼み申すーー」と言いながら、このまま幕閉まってくれーと祈っていた
チカラワザ

(新作と古典)
竹平:新版オグリの博多公演を見て歌舞伎にはいり、新作から古典を見たくなり小栗判官を見に行った
戸部:今月も不二子の花魁道中の元になった籠釣瓶が出ている
ルパンの牢屋の場面は四千両を基にしている
しかし澤瀉屋でやらない芝居でスタッフも(衣裳鬘道具)どうすればいいかわからない
松也さんは菊五郎劇団で知っている。
だかなんと寿猿さんは50年前の先先代の中村屋のときに出ていた。
新作を通して普段やらないものが家ごとでなくて繋がっていく。

(鷹之資さんの学生時代のこと)
鷹:父が学校を大切に考えていた。一般的な常識、社会人としてきちんとした人間に。舞台は学校に支障がないようにしていた。
父が亡くなってから、歌舞伎では父のいるいないで天と地ほどの差がある。同じ楽屋と思えない。どうしていかわからない。挨拶ひとつも誰にどうしたらいいか分からない。
中高では進路など考える暇が無くひたすら走り続けてきて、はたちくらいで落ち着いて、このまま役者になっていくんだな、みんなそうやって進路を決めていくんだと思って。小さい頃から修業してきていてある種幸せ。自分で決めなきゃいけないのは大変。大きな決断。
同学年は社会人2年目くらい。いろんな生き方があるが、自分のシンとなるものを持っているのは大事。
(※この後メモ不明瞭ですが父のような役者になること、社会人としてきちんとやることが鷹之資さんのシンということであろうか)

役者に定年はない。歴10年と70年が同じ舞台に立つ世界で、経験が圧倒的に違う
続けてきたからこそ力になる。
それでもやりたい気持ちがあるかないか。
命がけで取り組むのは大事。
一生懸命にやっていれば結果は残る。

「悩んでないと芝居やってもつまんないもんね」(※←ここは戸部さんかな?)

鷹:何でもやってみろと言われる。役者は地獄を見ていないといけない。かなしみくるしみがわからないと、演じることができない。
(盗みとかはしないけれど)いろんな気持ちを知っていなければいけない。
先輩たちもものすごい経験をしている。無駄なことはない。

戸:大事なのは失敗できること。今だったら上手くできるのにと思うことばかり。失敗させてくれることの大事さ。
お客様の広い心で失敗させてもらう。

鷹:父も一生修行だと言っていた。
25日やってきて千穐楽に「ずっと思ってたけどそこはそうやらない方がいいよ」と言われる。千穐楽に。
次やるときは!と常に思っている。これでいいと思ったら終わり。トライアンドエラー。
戸:吉右衛門さんも、次やるときはこうしたいとおっしゃっていた。

(やりたいものは?)
戸:ご縁があるものを大事にしたい。

(最後にお客様からQA)

(※最初マイクがなくて、大ちゃんが自分のマイクを差し伸べる(萌えポイントですねw)までよく聞こえなかったのですが、
以前に戸部さんに取材に来てくれた学生さん(?)からの質問で、
歌舞伎の成立した時代にはあった共通認識(忠臣蔵とか、曽我とか)がなくなってきており、
「せかいさだめ」が本来の歌舞伎から変わってくる。それと趣向としての演出のバランス云々という事に聞こえました)

戸:ルパン(三世)は誰でも知っている。だからルパンは歌舞伎にできる。全然説明していない。今回ひとつの挑戦だった。
ルパンが泥棒で、次元とどう仲間になってとか説明しない。銭形が出てきても「誰?」と疑問に思わない。
歌舞伎は元来そうやって作ってたのではないか。共通認識がどれだけ通じるかと思っていた。
ナウシカでは口上で説明をしたり、刀剣乱舞でも刀剣乱舞のセカイを紐解く場面があった。それをなるべくしない。
そういうもんだから、という。
多分マモーは歌舞伎を見る人は知らないし、ルパンファンは知ってるので、客席の反応でどのくらいの割合かが分かる云々。

鈴木敏夫さん(←ジブリの)から、わかりやすすぎるとダメだと言われて。わからないものはわからないものでいい。観客が考える余白が必要。
意識してなるべく説明しないようにした。

(新作と古典)
鷹:古典は、まずは型を教わって染みこませる。さらに自分の役を作る。同じ演目でも、相手役や演奏家でも違い一体感が生まれると名舞台になる。
新作は自分で作り上げる。作るという意味では同じ

戸:古典は繰り返せる。新作には取り込める。やりながら進化できる

(台本と脚本の違い)
戸:脚本は、自分の書きたいものを書く。
台本は役者を想定して書いていく。歌舞伎のときは演出も書き込む。
脚本を書いてもらっても、最後にどこで幕を切るのか。着替えが間に合わない等々を考えて書いていくのが台本。
後輩がいないので募集中。

竹:SNS OKなので拡散してください
(ここまで。予定より1時間ほど押して終了)


書き終えて

メモに書けてないことがいっぱいあります。行間に相づちとか、エピソードとか勿論あるんだけど既に思い出せず。
他の人の書いたのを見て、あああそういうこと言ってたーとかなってます。

新作が、家という縛りを越えて技術の伝播を生んでいるのとか面白いですよね。
(他にそういうことが起きるのは浅草歌舞伎のような顔合わせであったり、稀な例かもしれないが婚姻も。)

流白浪に関して言うと、お話を聞いて、作り手の姿勢というか作り方はある程度伝わってきてたなあというのは感じました。
2023年の新作は古典の方へ古典の方へと回帰する力がすべてにあって、それは戸部さんだけの指向ではなかったと思う。
各々が古典の方へ目を向けながら自分の歌舞伎を作ってみようとして、結果いちばん当てたアプローチがルパンだったなあという感想です。

流白浪燦星は、皆が背景をご存じであることを頼みにした作りで、その共通の下駄が前提にあれば面白い作品になっている。
もはや隅田川も曾我兄弟もみんなご存じではないんですよ。ああ、あの仇討ちのぉってはならない。
歌舞伎はいまやそういうものである。わかんなかったらガイドと筋書でなんとかするんや。今ではそうするしかない。
(歌舞伎は難しいです(←幸四郎さんsaid)非日常ですっていう現実に立ち向かう対処はこっちですわね)
しかし、本当にみんながご存じなものであればその底上げは要らない。素で楽しめる。
流白浪はそのレベル感を試してみた歌舞伎なんだねって、お話を聞いて思いました。
皆が憧れている、きっと江戸の歌舞伎ってこうだったんだろうなあ、ということへのひとつの解ではある。
お客の力を見極めた結果かなあと思います。多くの人が for us, for meと思って見に来たのだよね。

「会社」的なものは、この満席を続けさせようとする。
それには常にいまのお客さんを汲み取っていかなきゃいけない。すると新作を生まざるを得ない。
一方で基礎研究がすたれてはそれを生み出せない。戸部さんと鷹之資さんから発せられる「古典」という言葉にひしひしと感じられる危機感。それはお客にとってもそうなんですよね。機会が与えられないとお客としてもしぼんでしまう。
新作やっても客が古典へ流れるわけがないみたいなこと言う人もいるけど、新作から古典を見に来る人はいるんですよ。その数は忠臣蔵で歌舞伎座を満杯にするにはまだ足りないかもしれないけど。
満杯じゃなくてもやってくれる国立劇場はもう(しばらく)ないんだ残念ながら。だったら歌舞伎座が一肌脱いでくれないのかい?まだ機は熟さないのかい?って思いますけど。

あと、スケジュールのギリギリ感にはどきどきしてました。12月にやる演目の白黒チラシが9月に出るんだもの。
途中で、「開けなきゃいいんじゃないかとも思うけど」などと仰ってましたが、それは激しくうなずけるのだけど、その勇気ある判断が最終段階の稽古8日のどこでできるかって話ですよね。歌舞伎の人たちは、そこまで来ててあと少しでいけるとなったら撤退しないんじゃないかと思う。それがこわい。現場は疲弊するものなんだよぉぉぉ(身につまされつつ)
なので、次の新作は余裕がありますように。

先日、阿弖流為(2015上演。シネマは翌年)の再上映が始まったので見にいきましたが、
いまは当時見えなかったNEXTの意味が見える気がする。それは歌舞伎側から発せられた新作を見たからですね。
NEXTは違うグルーヴのものだ。ギターやドラムではあってもこのリズムが元はなんなのかわかる。分かるけれどもそれをもって原点へ回帰していくというよりは、こっちの方がきもちいいぞっていうベクトルだと思う。やっぱこれもカッコいいよね。年末に朧か。
それまでの間、古典、ほんとにいけるの?を試す年になりますかねえ。ならないかなあ。
(junjun 2024.2.12)

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