刀剣乱舞歌舞伎 ひとまず終演のこと

最終更新日

刀剣乱舞歌舞伎のはなし。 後半ネタバレしかないかもしれない
自己防衛が必要な方は閉じてくださいませ

新作歌舞伎 刀剣乱舞 月刀剣縁桐(つきのつるぎえにしのきりのは) が幕を閉じました
最後は緞帳だったので幕をおろしました、かも

始まってから毎日感想サーチしてるけど、すんげーね。終わってもまだ配信もしてるので、途切れることがない。どんどこ湧いてくる。
こんなことふつう歌舞伎ではないし、FFXの時もこれほどはなかったよ。

自分は、現地でもだいぶ観たんですけど
その後千穐楽の配信も見まして、面白かったのがカーテンコール。
(あ、この歌舞伎カーテンコールがあります。これは舞台の間集中してもらいつつ、交流したいお客様にも満足して帰ってもらうための一種の対策だと思う。あと裏方さんも出てくる。みんなで作る意識。)
ノーマルなカーテンコールの後、いつものように撮影可能な2回目のカーテンコールになるかと思いきや
千穐楽につき松也によるありがとうてんこ盛り挨拶
その後幕撮影タイム(特に一度幕が降りた後のトリプル時)がすんごかったですね
フリーダムw
アクロバットあり、花道に取り残され寸劇あり、
いつもは花道に来られない皆さんが花道へきたかと思ったら男士たちは客席通路へ、一部は勢いで二階三階まで訪問

いやあ、この時期でほんと良かったね
去年の今頃ならまだこんなことできてないんだよ
客席降りも、大向こうも。
千穐楽は遊ぶ。それも歌舞伎の慣習で舞台の上での数々の逸話を伝え聞いています。
これもそれに加わるかな

さらに、サプライズはこれからだと、右近による隠しケーキ、演者のみなさんによるクラッカーの金テープで初演出のお祝い
これは松也くん、本当に知らなかったみたいですね
松也の背負ってきたものみんなは見てきたよっていう、ありがとうだった
劇中にあった、三日月の気持ちはみんなが分かってるって表現とも繋がって、なんかよかった。

見終わってしばらく、よかったね
よかったねしか浮かんでこなくなっちゃった。

公演直前に、歌舞伎をめぐる大きな出来事があって本当に衝撃でした。
普段の論理の外で起こったことなのだと思わざるを得ない。

それが、松也が物凄い頻度(毎日。マジで)でテレビに出て宣伝攻勢に移ろうという頃でした。
こんなタイミングって。

六月放映の番組でしたが、明治座の対岸を歩くルートの五月収録ロケで、松也が、道を挟んだお客様に歌舞伎座も観に来てという姿がありました。五月は歌舞伎座出演の傍そういう撮影も連日してたんでしょうね。
その絵を番組で使ってくれていて嬉しかったです。
ちゃんとあずきバーのCMは流れるし、どの局にも朝から深夜まで出してもらえる。
松也という個人のイメージの方が歌舞伎の人という属性にまさっているから、かもしれません。皮肉なことに。

しかし、そのハレいくさが歌舞伎でないわけがなく、
近頃のメディアミックスものでは珍しいくらい歌舞伎歌舞伎したものができておりました。

そこに、”歌舞伎役者がやれば歌舞伎”に感じていた引っ掛かりの正体が浮かぶような気がする。
あれはちょっと言いくるめられてる感があるんだよね。
歌舞伎であろうとする意志は要るんだと思うし、結果、自明なくらい歌舞伎であれば、言いくるめる言葉は要らない。

この正月に幸四郎と松也がメシ食ってる番組で、幸四郎が言ってたのですが
当時は現代劇だったなんていうけど当時から時代劇だった、それに人気があったんだ、と。
で、歌舞伎は難しいかと聞かれたら、歌舞伎は難しいです、って言うんだって。
着物とか歌舞伎とかはいまでは珍しいものと思ってもらうことに糸口があるんじゃないか、って。

それは役者さんみんな知ってて、どう劇場にやってきてもらうかっていう課題に様々にアプローチしている。
菊之助のはちょっとアシストしすぎ感があるなーと思ってましたが、
とうかぶはもう少しお客を信じつつ
歌舞伎のままでも面白いよ
案外わかるかも
という、暗示を与えるように作ってある感じ。
自分で咀嚼できるってだいじじゃん。
とっつきやすくする仕掛けはやはり仕掛けてあり、舞台転換や進行も工夫されているけど、これがいけたら、古典にも入れると思う

それで、来た人には衣裳や道具がやっぱり違うっていう特別感も感じ取ってもらい、勿論ちゃんと歌舞伎役者も見てもらって、
それに対する新鮮な喜びの反応を見てると、歌舞伎って結構キラキラした世界なんだなあって気付かされる思いです。

で、題材は時代劇。
この点は、さっきこれ書くために松也P見返さなかったらスルーしてたな。
現代劇を歌舞伎で作るために苦心するんじゃなくて時代劇をやればいいのか
しかも、時代ものでやる。(江戸時代の人が作った歌舞伎だとしてもさらに時代劇)
次はガラッと変えて世話ものもアリかな
面白いじゃん

正月の放送のやつは、もう松也の髪が長髪じゃなかったし、とっくにとうかぶの企画は固まっていたでしょうけど、幸四郎の言葉の中に符合するものがあって、なんか、やっぱり役者さんが日々感じ取って考えていることって、繋がってくるのかもな…と思ったりしました。

何はともあれ完走おめでとう。
そんなのできるの?っていう途方もない妄想をチカラワザで叶えるんじゃなくて、
存在するコネクションを使い、現実的な、これならできる、続けられると他人がわかる線で叶える”持続可能な”夢、みたいなものも感じます。これは世代なのか、身一つの規模感なのか。
信じて良さそうな夢を示して形にできることは才能かもしれんね。
この作品、将来を見越してポータブルに作ってあると思うので、再演をお待ちしております。

本編のこと。

スーパーしか見たことなかったらスーパーと思うかもしれないし
新歌舞伎(戦前あたりの新作)と言ってたひともいたし
NEXT(阿弖流爲)を感じた人もいたし
菊之助の新作寄りと書いてた人も
普通に歌舞伎じゃんという人もいた
歌舞伎にないところはミュージカルの経験が生かされたのだろう、とか
誰々のステージで観た、宝塚で観た等々
勿論、刀剣乱舞へのリスペクトを感じた等も沢山あり、
各人の観てきたもの、逆に観てないものの鏡になるようなアスペクトをたくさん持つ作品なのだと思う
自分が知るいずれかのみを語れば「群盲象を評す」の例えに落ちる。こわいですね。

しかしいろいろ並べただけというような印象ではなかった
そこがマジックなんじゃなかろうか。

全部ありそう
でも他に似てるとも言えない。

垂直方向の使い方、盆全てを生かした舞台奥までの使い方、花道の使い方、客席の上下や後ろから前まで、歌舞伎で使える空間がこんなに広かったということ、
動かないものが動くこと
舞台の時間が途切れず進むこと
客席にいながらそういうものにこんなに包まれていたこと
そうでありながら、それはおそらくほかの劇場でも(なんならほかの人でも)できるよう意識されていること
そういうおもしろさを初見から帰ってきて最初に別のとこで書いたけれど、うまく書けたかわかりません

前方のスクリーンの中じゃなくて同じ時間の流れと空間を共有した周り全部で起こることが
こんなに面白い。
それがこの歌舞伎に関するわたしの一等賞だ。
宗近くんは二番だ。ごめんな。

役者など

前回、6月時点での配役について書きました ( https://jidaigeki-or-so.jp/gottalog/archives/228 )
これ以外にちょいと

押彦/中村獅一 武彦/尾上隆松
正体の語られない狐コンビです…たぶん。
刀剣乱舞歌舞伎への案内役を自称
事前に解説のYouTubeにもご出演です
平易な現代語を駆使する(笑)獅一押彦さんに対して
隆松武彦さんは、ず〜ーっと歌舞伎のリズム
この空気を読まないキャラよ
新橋では、前説口上をした後、幕が開くと手をついていて、歌舞伎本丸の審神者に仕えている模様。
YouTubeだと武彦さんむっちゃ違和感あるんですけど、演舞場の中だと普通に聞こえるんですよ
たぶん全然変えてないのに
おっかしぃ

獅一さんは國矢さんと共に殺陣師で、他にもひときわサイズが大きい役をご担当

私のよく見る範囲だと松也一門は当然ながらご出演
菊次さんがいないのは、大阪の菊之助さんのほうに行ってるんでしょうか。仕方ないが寂しい。
そんで菊三呂さんがこっちに腰元で出てる。これは右近さん付きと思われ。早拵えだらけだもんねー。カーテンコールにはいらっしゃらないみたい。

アクションにBOS、JAE、NKプロ
(獅一さんのTwitter有能につきご参照ください)
歌舞伎風のとんぼ、倒立、二丁返り、刀の投げ渡し、といった歌舞伎風の技と、脚で立つ宙返りやワイヤーアクションなどの現代風アクションやアクロバットとのないまぜ殺陣。どんたっぽの立ち回りのなかで階段落ちが入ったりもします。差し金でのホネホネ操りもあるよ。
大歌舞伎での大きめの立ち回りに比べるとごちゃごちゃしている
そこが今回の味と言えば味だが、もすこし決まり決まりのシンクロ感ある方が好み
でもだいぶ歌舞伎

—— ここから全部ネタバレ —–

最初に戻って本編をみるよ

好きだったとことか気になるとことか上げます
他で挙げたから語らないものもありますし、いくらでも語るものもあります (すまん)

首謀者

首謀者は謎に包まれておりますって、武彦さんが冒頭の解説で言うんですけども
首謀者さあ。そりゃあ謎だよ。

三条宗近たいむ

ひゃりやりやり ひいぃっ
と始まって、いきなりすごいの始めちゃったなってなる小鍛冶風タイム
神事から始まる 似つかわしい
鳴物にいつも見てる顔がある
よかった 支えられている

國矢・蔦之助コンビを従えた松也三条宗近
私(わたくし)ではないという手振りや、くるーと回るとこなど、あったり前なんだけど、踊りが松也っぽくて(本人だが)、なんか、松也
そのあと早替わり
三列目正面で分からずですよ(後から別の席で、あああ、ここや、って気づいた)
人間て騙されやすいね
歌詞で月に叢雲がかかる時、月が隠れるんだね
にくいじゃないか
できた刀を袖で口もとを隠しながら覗き込む國・蔦も好き

月光

三日月登場の光りっぷりすごいですよね、一身に全スポットを浴びて
星の光は月に敵わないんだぜっていう歌詞のドヤ振りも。

そのあとの揃った名乗りは普通だと思って見ていたけど
別に自己紹介が毎回あったりしないので普通じゃないといえば普通じゃないな
これは多分この手の新作では定番になるんだな

刀剣乱舞と外題の幕が降りてくるところ

これは一階で下から見るのが素敵
降ってくる感じがする
断然かっこいいし、そのあと全幕がバサっと落ちて情景が一変するのもいい
(そして刀剣男士から変わって既に板つきの兄妹。早い)

時間遡行軍の出現に駆け込んでくる刀剣男士

何回見ても、同田貫と膝丸に気を取られてるうちに三日月が出てくるのを見逃す
配信みたらこんなにちゃんと花道から来てるのにw

勧進帳っぽい

側で見守るというのを聞いてガタタってなりかける若者を手ぶりで留める三日月
ちょっと勧進帳を思い出す

注連縄切り

異界のじじばばが、注連縄を切るとこ
ここの仕込み杖好き

なんか昭和

将軍宣下の祝いの宴。義輝兄妹の舞や刀剣男士の舞の所はマイクを通るせいか、洋風の拍子をちゃんと取るせいか和洋合奏の雰囲気があります
我々の年代(昭和元禄の少し後)の親の世代の映画で使われたタイプの音楽を思わせる
少々無国籍の時代劇で途中に盆踊りとか宴とかが入るんですよ
その時代にはあり得なかっただろう洋楽器を交えた和風サウンドで踊るの
それを思い出しました
あと歌謡浪曲とか(これは無茶苦茶かっこいいけどね)
後で出てくる恋する紅梅姫のとこの三日月の歌も歌謡曲みたいです
長唄とかは思い切り古いけどもうそういうジャンルじゃん、
でもこの花の宴のあれこれは、わたしにはリアルな古さを含んでるんです。
どう、なんでしょう?お若い方の耳では。

舞を所望

無茶振りだよねw
歌舞伎の話の中の人って、すぐひとさし舞えとかいうよね

時計

かりかりとなる時計とオルゴール(そういう名前だが、ベル音)の音
急に古典になる
あんまり意味考えてないけど、御殿とかで鳴る気がする

「城、奉公所、代官所などの公共場面で使われます。」


ああ、なるほど

曽我のなにやら

対面の五郎十郎の形になる源氏の兄弟
ここでびしっと止めることのできる兄
是非大歌舞伎でも観たいものです

「ゆきゃ」

おばば(雲居姫)のいちばん好きなセリフ
さがりゃ、とか、ゆきゃとか、普通だとつかえませんもん。

紅梅姫の恋

現代的な歌と拍子にのって、振りは日本舞踊での恋の踊りです。だいぶ濃厚。
このくらい歌が平易だと意味が分かります。長唄とかわかる人には、普通の舞踊もこう見えてるのかなーという。

(男士の舞もそうですが、現代風の音楽で歌が聴こえて、それに合った振りがあるだけでこんなにわかりやすい。長唄と三味線だったらおそらく同様の歌詞でも私はわからない。ここいらがまるきり古典の歌舞伎と今度のやつの咀嚼しやすさの違いかと思う)

なのにここの宗近の無関心っぷりが徹底していて、ああやっぱこのひとはひとではないんだなー、とおもったその庭の裏側で義輝と話すときの普通に気遣って話してる感じ
ぇええええぇ ってなる
義輝の苦しみはわかるけど、姫の心には1bitも関心なし
姫、そんなのに心をとめてはだめだー

まことに儚きさだめよなぁ

後から入ったらしい小烏丸と三日月のやりとりの後の三日月の台詞です。意味の取りづらいセリフですが、小烏丸の言葉を受けてであれば我が身を嘆く言葉と聞こえます
この手のセリフは、別々の人がそれぞれの立場で代わりばんこに台詞を言っていき、最後だけ声を合わせるのがよくある形で、
1人でこの台詞という所に少し引っ掛かりがある。
しかし、ずーっと後に、ものすごい遠投で義輝がこれを引き取ることになる。少し自嘲するように
「まことに儚きわがさだめよなあ」
これは相当長い年月を経ての割台詞の回収とも取れるなと。

グルーミングしながら気遣ってくれる小狐丸

なんのかんの、気にしてんのねw
三日月の”何しに来た”
“おりいって話がある” の言葉は2幕目にリフレインがある

私が見たとき、このお遊びのところで三日月が案外客をあおらなかったのか、”延びちゃう”のくだりをうまく入れられなかった回があって、手振りだけで止めて
三日月ちゃんに、ん?いかがした?ってなられてた小狐丸さんかわゆかったす

<まくあい>
考えるのが面倒でだいたいカツサンド食べてたが
一回流石に違うもんと思ったものの
歌舞伎だから助六でいいかな?
おいなりさんもあるし…とデパートで六百円くらいの助六買って食べてた だいぶこじつけだった
もうアイスに並ぶ元気はないけど写真はほしいからそこだけがんばってちょっとだけ並んだ
元気ないと言えばチケット争奪の元気ももうない
これ次は争奪戦でしょう 困ったな
閑話休題

笑うとこじゃないと思いつつ
ぼとって落ちるタイミングを予測して目線を動かしてしまう
鶴ー。

義輝、石清水八幡宮から退場

突然音楽が早舞になるとこ
ふふふ すき(きもちわるい)
苛立ちを感じる

出たな黒幕

義輝退場後、人なきを確かめ、宗近と久直おりいっての話のところ。
この辺は、雰囲気「新歌舞伎」かなと思うところです。(“宗近殿達は”って、日本語としてこなれてないよね。その辺は気になる。)

はっきりと歴史を動かしにかかる宗近と、動く久直。こんな話をよく信じるな君は。

だが、かの悪虐非道の王を除かねばならぬ、走れヤマトのすけ、もはや一刻の猶予もないのだ、歴史の改変まであと…
って、あー、そうか。謀叛を起こす所は誰かに託さなきゃいけないんだ

運命を託された男の背中を見送った後、ひとり佇む宗近のバックに二十五絃と思われる複雑な調べが流れて幕。
いったいどこまでわかってたんだろうね。

御注進

髭切、膝丸二人で御注進に入ってくる
これ面白いですよねー
自分はバレン付きの四天で勇ましく来るやつも好きですけど(すごく好きですけど)、片肌脱ぎもこれはこれで良きです
もののけ退治担当二人舞での御注進
大路を大挙してくる時間遡行軍をばったばったと切り倒す目覚ましさが見えるよう

二条を指して

ここで刀を抜いて花道の方向を指し示す宗近
二条を指して
弾正さんの軍師みたい
一緒に出陣だ

何をかつつまん我こそは

古風古風。いまやこの手の正体ばらしを時代劇でも聞くことはない。講談とかではあるのかな?

黒い鎌倉権五郎

このキャラの選び方w
歌舞伎の象徴過ぎて出すのも難しそうなこれを決戦に選ぶとは
刀も特大
化粧声がかかりそう

六振り揃って

途中まで源氏さん達とちゃんちゃんばらばらしてたかと思ったら六振りになって、急にフラメンコっぽくなります
六拍子なの?

12振

岩山のシーン始まる時毎回数えてました
12振りある
いろんな回収のされ方で減っていきます
ちゃんと11振りは無くなるのすごいよね
一本、使ってないのに持ち去られます

雨夜の月

松也と右近の一騎討ちは
現代殺陣で、踊りで、かつ芝居の一部なんだと思って見てる。曲ありきの、現代版の”糸に乗る”動き。
この部分の曲は既存曲で「雨夜の月」という。曲名含め驚くところです。あるはずの見えない月。雲が切れて突如姿を現し、真実が見える。そんなところまで音楽に現れているようで。
早くサントラほしいですね。

最後の義輝に寄り添っているときの宗近をはじめて見たときの印象は女形でした
少し段取りがいまと違ったかもしれません
義輝のほうは哀しみの色もあったのではないか。お前の気持ちは知ってるけど、悲しいけれど定めなんだよ寄り添えないんだよっていうふうに見えた

それが、後になるといとおしそうなおだやかな眼差しになってたんですよねえ。
宗近もその瞳にあるものを見つめあるじに身を委ねる。(ずっと刺してるけどね)
千穐楽の映像ではそこまで感じませんでしたが、その前の週末に見たときには、だいーぶ長いと思いました
現地効果なのか本当に長かったのかはわからない

はたして見えているのかわからない三日月

歌舞伎だと、背景に書いてあるものを、舞台上で正面を向いてる人もお客様も見てる形になります
かつての庭では背景に三日月があって、私たちにも見えていた
(そこで義輝は空の三日月を見ているが、宗近は義輝に何かを告げようとしている)
でも一騎討ちの後では背景に三日月はないんです
さっと光が射すとき二人には雲間の三日月が見えている
わたし達には見えない月が。

「そのほうが余の手中にあったれば」

宗近は「わたしは、あなたさまの」までしか言わない
もちろんその先は自由に感じ取れということなのでしょうけど

義輝は宗近を手に入れたことを知ったんだと思う
かつて自分に仕えることはできないと言い、運命を予言し、死を告げに来た、欲しかった存在のこころが、いまは自分の手中にあるということ
しるべなき道がここに至ると知りながら告げたとき既に共にあったこと
あの庭では共に見ることのできなかった月を
いまは共に見ることができる
だからあんな愛おしげに笑みを浮かべて見つめていたのではないかしら

突き放され、まるで、刻限が来て階段を降りるシンデレラのようにひらひら下に降りて座り込む宗近
断崖から消える義輝

私がいちばん好きなのはこの
残された刀の向こうに義輝が消えるのに向かって
髪も乱れたまま手をついている
後ろ姿の宗近
スイッチング映像だと残された刀と注ぐ花びらだけが映る所です

俊寛は顔が見えるけど、宗近は見えないので想像するしかないのですが、どんなにか傷心であろう
ひとり残された無防備なかなしみの姿
私の目には残っているよ

いずれもさらば

戦いの後の別れ
スイングを感じさせる音楽に乗って台詞を語り引っ込んでいく弾正様
これに乗せられるのもすごいな
ダンディーな曲調で弾正さまの印象がぐっと強まる

最後になんて切ってるかわかるかを
他の皆さんに訊ねる歌舞伎家話の松也くんが思い浮かびます
この字を切ってます
言いたかったんでしょうねえ
言いたかったこといっぱいあっただろうな
日テレプラスの放送は自分ちでは見られなかったのでそれも見たかったし
言えてなかったこともっと伝えてくれていいんだよー

鍛刀の音

槌の音、ふいごの風
何もなかったがごとくふたたび

ところで

刀に戻った六振りのみなさん
わたしにも同田貫がどれかはわかるようになりましたw
教育ってすばらしい

さいごにひとつ

歌舞伎はたくさんあります
これからも生まれる
オタクは初めて見たものを親と思うけども
これを唯一の神としないでほしい
比べるのは構わんと思う
やっぱりこれが好き、それはよい
でも崇拝するもんではない
これは、入り口

いざまず、奥へ

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