文七元結物語 を見ました (2023.10 歌舞伎座)
文七元結を見ている時、廓を不機嫌な所と思って見たことがなかった。
菊五郎の文七元結は機嫌のいいお芝居なのだ。(不機嫌というか無表情な女将さんはいた。玉三郎さんのとき。)
今月の文七元結物語の始まりになる廓は若干不機嫌だ。
國矢さんの藤助が怖い。
女将さんは、いつも眉をひそめていて、したたかで、しかし長兵衛には見かねて意見するような所のある女将さん。孝太郎さんだが一瞬秀太郎さんを思い出したりもした。
この役はいい役になったように思う。
見て一晩を経て、元の文七元結の芝居は長兵衛の視点だったことに気づく。
忙しい廓の様子も
角海老を訪ねてきた時のお久の事も
女房や長屋の皆が探しに行った様子も、長兵衛は見てない。
だから絵はないんだ。
文七元結物語ではそこを場面にしている。
長兵衛の話ではなく、「物語」を描くとそういうことになるのかもしれない。
廓の場面で、お久の行動が余程のことであることも、踏み切った理由も説明してくれようとしたんだろう。
義理の母娘であることも、お久の話す夫婦喧嘩の暴力度合いも、お久がそう動くための理由として必要だったのかなと思う。
他にも説明じみたところがある。
角海老がどんな立派な店で、お正月の準備がどんなか見せてあげよう。
今のお客さんはお久が娘の身では恐ろしい筈の吉原へ行ったのだと気づかないかもしれない、説明しよう。
金包みがいくらずつ包まれてるかも知らないだろう、説明しよう。
三か月で出来る金では重大さが足りない。大晦日までにしよう。
親切親切。
こんなにお節介に説明した世界でも、長兵衛像はふわっとしている。
碁のことを語り続けようとしてしまう文七とか、先に書いた女丈夫の角海老のおかみさん、割と気が短い藤助、みんな少し像がくっきりした。
でもなんか肝心の親子がくっきりしたと思えない。
母娘についてはステップファミリー故の妙な責任感がありそうだという説明をしようとしたのはわかる。
長兵衛がよく見えない。ふわっとしてる。
普通に見殺しにできなくて五十両あげたんだなって思うところが、勝手に手が動きました神様のおかげかなみたいなことになってて、なんでそんなこと言わせてるんだろう?と思う。
“そんなことをするとは信じられないくらいろくでもない人”だってことなのかなあ。
確かに不思議だね、神様がいるってそういうことかもねってなれば成功なのかもしれない。
でも私は何言ってるのかよくわからないなって思ったから伝達失敗例ですね。
大家さんは「正直の頭に神宿る」と言っている。
自分はここの意味を取りかねていて少し考えたのだが、
元の文七元結で長兵衛が文七に
そんな大金を任されるとはお前が正直ものだからだろうと言っている。
文七の正直に対して神様がしたことだとすれば、長兵衛が自分でしたことでなくてもいいわけだ。
寧ろ不思議な外力でそうしてしまいました。
その時の文七にとってはまさに神でした。
で、今回の描写と合う。
自分はそんな解釈いやだけど。
巡り合わせは不思議であってもやっぱ長兵衛が意思を持って文七を助けてほしいな。
話題となっていた寺島しのぶは普通に混ざっていた。これ、しのぶちゃんじゃなくても良くない?って感じだったけども、こういう役じゃなかったらまた物議かもしれないし。難しい。
なんか、寧ろ水戸黄門でうどん屋のおかみさんあたりで出たら良かったかもと思った。
もう少し若かったら高利貸しの娘さんもぴったりだけど、弟が女装の盗賊は出来すぎだね。
近所のおかみさんコンビ、
客を待つ花魁たち、良い味でした。
以上、見ずにものを言いたくはなかったので見ました
違う演目にしてくれたら良かったのになあ
2023.10.8 観劇
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2023.10 歌舞伎座 錦秋十月大歌舞伎
文七元結物語
山田洋次 脚本演出 松岡亮 脚本
左官長兵衛 獅童、長兵衛女房お兼 寺島しのぶ、お久 玉太郎、家主甚八 片岡亀蔵、角海老女将お駒 孝太郎、近江屋 彌十郎、藤助 國矢