五月團菊祭など (2025.5)

最終更新日

5月に見たもの。曽我ものであったり、左團次ゆかりのものであったりがクロスで上演されてるのは面白い。

團菊祭五月大歌舞伎 歌舞伎座

事前取材で團十郎が、みなさんが思ってるほど仲悪くないとの言。子どもの頃いつも連れ立っていたという新之助菊之助のイメージがあり、そんなに仲が悪くなるとも思えないが、團菊で組むべき演目が昼夜にあるのは久しぶりではないか。
新之助や松也の今月向けの取材への答えに、こどもの頃から加わってきた團菊祭を大切に思う気持ちが滲み出ていたのがうれしい。

【昼】

鴛鴦襖恋睦 おしどり

曽我の世界なので紅白の梅が咲いているのだが
水辺にはたんぽぽが咲いており、季節はよくわからない。ざっくり春なんだね。
前半の相撲は萬太郎と並べるとやっぱ松也は重心が高くてなーという感じ。揃わないというほどではないけれど、良くなるといいなあ。
おしどりになってからの方が良かった。
右近もおしどりの方が良かったかな。喜瀬川は少しはすっぱな感じもする。鳥の方がしっとり。
また、コンビとして、ダイスキの表現が手慣れている。
萬太郎はまたしても股野。にくたらかわいい。
やなやつだなー、あんなこと言ってるけど信じちゃダメだよ!ってなりたい所が、萬太郎だと、え?結構いい奴じゃんって素直に聞いちゃうから、おしどりをころすくだりになって、え、やっぱり悪い子なの?って残念になっちゃう。なんだろ。松竹さんは萬ちゃんに赤っ面が似合うと思ってるんか?いや…似合うけど。
敵役のニンではないよねえ。

最後の方は怒った鳥に襲われてる迷惑そうな萬ちゃんの話と思って見ると風情がある。(何言ってるのか)

(芸能きわみ堂の鳥の回を見返していたら
国立劇場の舞踊公演での鴛鴦の映像も流れていたのですが
こわそうな股野さんで(松島金昇)
こういう役だよな
萬ちゃんかわいいから丸めこまれそうになってた
右近メスおしどりの怨みのこもった目の方がこわいもの)

毛抜

いつぶりかなぁ。
毛抜には歌舞伎座の舞台はでかいよね。

最初に小競り合いを始める数馬に松也。
これがまた偉丈夫系赤っ面というか。スポーツ特待生的にみえる。かっこよくなっちゃうのね。秀太郎(=梅枝)は勉強ができる方の優等生で少し翳りがある。
双方の言い分を聞くと全くどっちもどっちなのな。
ここも本当は、秀太郎はお前のようなやつに正論を言っただけなんだよってなるようないかにもな数馬がほしい。(男女蔵がよさそうなのに)
そこいくと、又五郎の玄蕃は見るからに悪そう。権十郎は昼夜とも良い人。
若殿春風様に鴈治郎。ここから一本上方の狂言が書けそう。
主役、粂寺弾正は男女蔵。碁盤の柄の衣裳は左團次家の場合だそうで立体的な図案が面白かった。
豪放磊落という感じではないがそんなに説得力のない人物でもないかな。反感を持たれない出来上がり。
菊五郎が大殿の春道様で出ている。重い衣裳で止まっているより軽くして数歩歩むほうをとった様子。厳しい。(2回目に観た時は支えなしで少し多めに歩いてたし声も良かった。歩数を数えながら見るなんて切ないけども)
あと最後の最後に全て解決してから、満を持して、後見に團十郎が出てくる
何かするのかと思いきや本当に後ろから見てるだけだった。それはそれで可笑しい。
男女蔵の引っ込みへの拍手が温かいと思った。
みんな左團次さんを愛してたし、男女ちゃんは大役をやりおおせた。
このまま行きなよってお客さんの拍手が言っている。

幡随院長兵衛

前に親世代の團菊で見ていると思う
去年の信長より面白かった
やっと当代の役者達を揃え團菊が揃う形が浮かびかけている
序盤の芝居小屋のとこも結構面白かった。市蔵の劇中芝居の看板役者が素になった風になるのの切り替えが絶妙。
客席に團十郎が現れた時に團十郎のスタア性と長兵衛のスタア性がぴたっと重なって、こういう狙いの芝居なんだねえとすごく納得。
そこの團十郎がいちばんきらきらしていた。
あとは、とにかく長兵衛が死ににいく話で、錚々たる御曹司の子分をずらっと並べて、
1人だけ白いなあ。この人が一の子分かな。歌昇か。んで、点呼みたいに一人一人誰それだねって確かめて、中に蔦之助がいて、あれつーたんいる。ああ左團次の追善の月だったねって、いう感じで見てました。
莟玉が濃い男前の子分になっている。昭和のテレビ俳優っぽい。
児太郎の女房は情があって良いのだけど、
頭が小さいのに身体がでかい体型になっててちぐはぐに見える。
あと、裃の着付けってこうやるんだねーと面白く拝見。(死にに行くっていうのに)

水野の屋敷では敷き詰められた上敷からイグサの香りがしていた。
菊之助の水野はあまり考えていることがわからない。そりゃあ黙ってないよねというほどの遺恨があるとは見えない。最近の菊之助はわりとそう。
錦之助はわかりやすく、より卑怯な小物に見えた。
お風呂からふわぁとたちのぼるのはお香のけむりかな。ドライアイスだったら下に行くもんね。
最後の絵面になっている所で、下手からパシッパシッと扇拍子の音がしている。
幕切れこんなでしたっけ。覚えてないなあ。

【夜】

伽羅先代萩

菊之助の政岡で、御殿、まま炊きありバージョン。私はこの場面はあった方がいいと思うが、それはそれとして眠かった思い出があるのでガイドを聴きながら見た。(30分あるんですと。その時間でほんとに鍋で米炊けるよ。)
今回は研ぐお米は本物だけど、おにぎりはできたものがございます方式で出てきたように見えた。なんだろ。マシュマロかなんかかな?ちっちゃいシャリが3つくらい?
おにぎりには見えないし、こどもがそこそこでかいから、あんなにお腹すいてたのにこんなちょっとしか食べられなくてかわいそすぎる。そりゃあ倒れもするよ。
(以前に見たときはもうちょいおにぎりだった。もうおにぎりはできんのか。)
あ、大きい千松は丑之助。やや大きい鶴千代は種太郎です。
こどもが死んでから親が感情を発露するまでが長いのは熊谷陣屋だって寺子屋だって同じだけど、これは特に悲しみが揮発してしまった。
栄御前の大勘違いに咄嗟に話を合わせて対応する政岡のしたたかさのほうが胸に残った。
床下。ネズミのネズミらしい身体の曲線に感心。
男之助は右團次。声が前に出てこない。
昼の唐犬さんもよく聞こえなかったが古風な台詞回しではさらに難解。幸四郎時代の白鸚を思い出した。(昼は男女蔵が昔の團十郎(先代)の口跡みたいだったし)
仁木弾正は團十郎。
ここは今、仁左衛門でなければ團十郎だろう。たっぷり時間をかけて引っ込んでいた。
だんだんと灯火から離れて背後の影が大きくなっていくのだけど、昔見たときは、もっとくっきりと人型が見えていたような覚えがある。違うのは小屋の奥行きか光源か。

(のこり数日というところで、八汐の歌六が休演。代役が芝のぶという報。
(追記)千穐楽は復帰とのこと。安堵と共に芝のぶも見たかったと思っている下衆い自分)

四千両

「四千両はイヤホンガイドを借りて、ナレーション付きのドキュメンタリーのように観るのが面白いのではと思った。
ご金蔵破りが安政2年で四千両の初演が明治18年だから、令和から平成初期を振り返るくらいの”あの頃感”が当時はあったんだろうなあ。」以上Twitterに書いたもの。こちらもイヤホンガイドおすすめ。牢内の独特の座り方とか、神棚が紙でできてますとか、聞かなかったらわからん。

面白いと言ってる人が案外見受けられて安堵。
うちの同居人が警察24時みたいなのが大好きなんだけど、そういうやつか、未解決事件のドラマか、その類のものだったのではないだろうか。
富蔵に松緑。藤岡の若旦那に梅玉。
おでん屋の店の看板に「あたりや」と書いてある。俵星玄蕃のそば屋の屋号もそうだったね。
呼び声のおかしさはやっぱ菊五郎の方が…と思うけど、そこはないものねだりだ。
どうやって盗みに入れたのかは不明。
二人で二千両ずつ背負って家に帰りおおせるところ面白いなあ。すごく重そう。
松緑は律儀で周到なワル。
床下に金を隠すというので、
畳を上げた後、床板の一部が一段くぼんでいて、そこに張ってある板を鋤でガンガンかち割ってました。本当にやってた。
毎日あそこの板だけ取っ替えるのかな。

で、途中すっ飛ばしていきなり鶤篭で護送。舅と女房子供が慕って別れにくる。こんなでも女房子供がまともなのが不思議だし、家では悪い人じゃなかったんでしょうね。
菊五郎が初役のときこの娘のおたみちゃんに坂東亀蔵が出てたそう。牢奉行の石出帯刀は今回と同じ楽善(当時は彦三郎)。歌舞伎の世界は本当におそろしいな。
(その時のもう一本の芝居が実録先代萩なのも面白い)
そしてここで涙の別れの後、次は急に牢屋ドキュメントになる。落差がすごい。
さまざまな事情で牢にいる人が出てきて、ちょっとした恩返しやら仕返し劇があったりするが、
見知らぬしきたりが延々繰り広げられる牢屋の様子が見せたかったんだろな。
段取り大変。何より松緑が次どこにいくかわからなくならないの偉いよ。
何段も高く重ねた畳の上で大量のこよりをこしらえながら座っている隅の隠居に團蔵。一言発しても凄みがあり鋭くてかっこいい。團蔵の魅力健在。
あんな顔して再犯の才次郎(=萬太郎)、いかにもなかわいらしさで牢名主に気に入られる若衆の長太郎(=左近)、等々の新入りや、それ以外も大量の役者が入牢している大きな牢で、いま何番役が喋ったの?え?え?聴き慣れた声はすれども顔がむさ過ぎて把握できない。
(この呼び出されたときに萬太郎とか左近がしている、かかとの上にもう一方の足先をちょんと載せる座り方を知っているのは経験者。普通にひざまづいているのはカタギの方らしいです。耳からの情報。)

昼の毛抜で冥土にいくには色々支度が必要と渋っていた松緑が、ここでは、仲間に支度を整えてもらい旅立つ。牢名主も隅の隠居もずっとこうして獄門首の輩を送り出してきたのだね。
月初めに休演していた鷹之資が復帰して、沙汰を読み上げる役人の役。休演していたときの代役が莟玉で、は?大ちゃんの代役がまるる(イメージ違いすぎて混乱)だったが、なるほどこの役であればきっと莟玉もきりりと勤めていただろう。

松緑は最近大勢を引き連れた演目が続いている。
老若沢山の役者が総がかりで代わる代わるに役を勤め次代に伝える装置となるような演目。
これを松緑が自分の役目として受け継いだということが重いことに思われる。
人は一代。しかし末代まで伝えようとするものは自らの名だけではない。


前進座 五月歌舞伎公演

東京建物 Brillia HALL

平日の夜だったから、客席には仕事帰りそのままの大人たちがいた。
着飾らないお客さんたち。自分も完全に馴染んでたはず。
席は一階の前から5列目。やや上手側。ここは舞台が見えづらいため千鳥格子状の配列に改装されたところだ。しかし傾斜はない。やっぱり見えづらいので、斜めを向いて見える角度をキープしてたら首にきた。
歌舞伎座も前の方に傾斜はないが、一階は前の列との間がもっと広い。ブリリアはだいぶ狭いんでその違いかも。

五人三番叟

鳴物も義太夫も演者も全員女性というのは初めてだそう。
男の扮装での踊りで殆ど女性を感じさせない役者さんもいた。
いつもと違うのは声で、地声が高い。娘義太夫が人気だった頃の義太夫もこんなだったのだろうか。個人的には少し違和感がある。慣れかもしれない。
高さのある劇場の天から細かな雪が降りしきって壮観。
幕間で、幕の裏側から雪を落とすためだろう、バサバサと厚い幕をつつく音、掃除機の音がしていた。急に現実に戻ったよ。

劇場初御目見得 口上

客席前方でしゃべり続けるおばさま達
スマホの切り方がわからないらしい
(iPhoneの切り方のわからなさは異常だものね)
しかも口上の途中で鳴らす丁寧さだった。
この劇場で国立劇場よりいいことは、客席の音がそれほど響かないこと。
これに慣れてたら、伝統芸能系の劇場でビニールがどれほどカサカサ響くかわからないかもしれん。
脱線したが口上に戻る。藤川矢之輔の一人口上。
かつてこの場所にあった豊島区の公会堂で前進座が寺子屋をやった話の中に、「若君菅秀才の首に相違ない!」の松王丸実演が混ざる。
それと、男女交互にやるようにしている五人三番叟の話、さまざまな趣向の鳴神の話。
大阪屋の大向こうがかかっていた。

鳴神

芳三郎の鳴神上人、國太郎の雲絶間姫。
これは面白かった。今まで見た鳴神の中でもいちばん面白い。
鳴神と絶間姫の受け答えが、型の連続再生ではなくちゃんと芝居になっているからかと思う。
二代目左團次が復活させたときの岡鬼太郎台本による演出の再現だそう。
Twitter(X)に載せたがこのことを調べようとして『二代目市川左団次の訪欧と「鳴神」』(東春美 2011)という稿を読んだ。
(国際日本文化研究センター > 日本研究 の第44集にある
https://nichibun.repo.nii.ac.jp/ ←この辺からどうぞ。 )

古典と新作が代わる代わる上演され新作の稽古の時間がないとか、型ものがあまり評価されなかった二代目左団次がいわゆる「書き物」へ向かったことなど、あまりにも今でもありそうな状況。昔も皆あがいていたんだね。

鳴神は、先に歌舞伎座で挙げた毛抜の後に復活されており、近代的な解釈によって構築されていたようだ。『上人の弟子の会話が「現代式」である』との評判もあったらしい。
今回の公演でも弟子の二人の掛け合いの歌舞伎味が薄く現代劇風だと思ったがわざとかもしれない。
鳴神上人には世間のことは知らずに育ったお坊ちゃんぽさがある。
それで、姫にしてやられたことがわかったあとの荒れ狂い方が凄まじい。
雨イカズチだけで収まらず、岩をがんがん投げつけてくる様子は火山の噴石の如く。
鳴神が立ち回りとして面白いと思うのも初めて。
このためだけに出てくる所化の皆様のチームワークも良かった。
花道がなく、代わりは汎用のホールでよくある仮の小さな斜めの道なので、鳴神上人の引っ込みはだいぶ舞台の方まで戻って助走をつけての六方。ここは勿体無い。花道ほしい。
あと、劇場の難は、大薩摩連中の三味線の撥の打撃音だけがカツカツはねかえってくるの。今弾いている弦の音と混ざってガチャガチャになる。(音楽の生演奏のときも同じことがおこるのでは?)
見慣れているのと違って面白かった道具はお酒。
弟子の持参した酒の入っているのは竹でできた小さな水筒のような樽だったが、実際に飲む段になると、墓詣りの手桶レベルに大きくなっていた(笑)。
小さな毛抜がクローズアップされるとデカくなるあれと同じだな。

来年の会場はサンシャインらしい。
ああ早く国立劇場の目処がついてほしい。

歌舞伎町大歌舞伎

THEATER MILANO-Za

中村屋兄弟の一座で歌舞伎町での歌舞伎。80年待った歌舞伎がやってきたと思えば感慨深いが、実際はちょっとしんどい。
時間を勘違いして遅れそうだったので怖くないルートとか考慮せずにいちばん早い道を選んだが、現地が近づき、あー、ゴジラのいる方向かと理解。たまにサブカルイベントでやむを得ず通るとこだ。劇場は6階までエスカレーターで上った先。
劇場の見やすさはありがたかった。千鳥格子はこうやるんだよってお手本のよう。
が、清元の独特の高い倍音だけがどこかに反響して怖い音になってた。

正札附根元草摺

虎之介、鶴松。自分が見た時はかっちりと良くできていたのだが、満席のお客様は芸術鑑賞モードで、前半拍手も大向こうもこない。
やっと最後の方で拍手がしていた。もっと中村屋の御贔屓が来ているのかと思ったが、歌舞伎を見ない層の人たちらしい。それはそれで成功かも。

花道がないので舞台から降りて客席の合間を七三の代わりに使っていた。
この演目で客席降りする五郎、舞鶴はまずないだろう。面白い。

流星

勘九郎の流星とこどもたちの牽牛織姫。面をかぶらず百面相芸みたいになってた。
年1回しか会えない人たちの前でものすごいひとり寸劇を延々かますこの人、結構迷惑なのでは。
踊りだけでなく、役者としての巧みさが堪能できる。幕見があったらこの幕はたぶん速攻埋まる。

福叶神恋噺

三つ目は新作の書きもの。普通に面白いけど、明治座あたりで見る人情時代喜劇っぽい。
なぜかなんとかなってしまうだめんず大工辰五郎は、歌舞伎味ゼロの虎之介。取り憑き先に恵まれない貧乏神、本名オアシタラズヒメに七之助。
古来、名前をつけられるというのは重要な意味があるわけで、おびんちゃん呼びされた時から運命の歯車がアレでアレだったのかもねー。
七之助の娘道成寺の真似事があったり、
勘九郎の貧乏神兄の退出時に「どうぞ叶えてくだしゃんせー」の歌が流れてその後が「貧乏神に願掛けてー」となっていて、そんなものに願かけちゃだめだろーって笑えるし、細かすぎる歌舞伎ネタはあるんだけど、終始三味線の合方が鳴っているのに歌舞伎っぽくはなかったなあ。
お隣の席の方々は、こういうのもあるんだねー。でも最初の方のも良かったね。と話していた。
確かにそんな感じだよね。
それにしても、四千両でビミョーな空気になっている歌舞伎座四階幕見の外国人をこっちに連れてきたいと切に思う。
こんなに目で楽しめる歌舞伎がここにあるのにねえ。

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