マハバ追記(2,3回目)
マハーバーラタ戦記再演 2023年11月 歌舞伎座昼
2回目19日、3回目千穐楽と観てきました。
以下、割ととりとめない話を。
2回目
を観たのは先に書いたとおり、もう少し良くなるんじゃないかと思ったのと、
菊五郎をできる限り見たいのとですが、
それプラス、お正月の新国立劇場の演目の情報が入ってきて(それは細切れの古典だったわけですが)そうか、お正月にできないから、今月このまとまった演目をかけたんだなって。
だとするとこないだは顔見世のぶん。こんどはお正月のつもりで見に行かないと。
菊五郎旦那、お元気そうで良き。
国立劇場にお出ましがなかったときは本当に心配したんだよぅ。
鶴王女の芝居が骨太のまま深めになった。
あとね、この日は宴会の前に沙羽出葉《さはでば》が村人の落とした鈴かなんかを拾って愉しげでした。
音楽
下手黒御簾で歌舞伎の鳴物、上手にSPACさん
掛け合いならいいが違うものが同時に鳴るのは苦手
このため幕開きの所がつらい
音階のある楽器がめいめい鳴って調和しない
ほかはそこまでではないんでここだけなぜそうしたー
SPACの音楽の印象に残るのは迦楼奈の音楽
あと、婚礼のなんか南国ちっくな音楽が何日か頭の中をぐるぐるしていて困る
迦楼奈《かるな》の印象
迦楼奈(あくまでこの芝居の迦楼奈)の現世と縁が薄そうな感じが後味として残るというか
決してみずから孤独に引きこもったわけではないのに、縁あるはずの人と離れてしまう
けれども行動原理はその縁の切れてしまった外部から与えられた義理とか使命とかしかない
そこが理解しがたいなあって思う
まあそれを棄てちゃったら迦楼奈じゃないわけだけど
本当に好きだったものって弓くらいなんじゃないのかなあ
阿龍樹雷《あるじゅら》は王子として何を為すのか、親類で争うことの是非とか、現世でのあり方を考えられるだけまだ人っぽい
古典であれば、この場面ではこういうつもりでやるという口伝があります、といった話があったりするので、例えば富樫は腹を切るつもりなんだなみたいなことを知識として知っていて見たりする。
新作の場合それと同じレベルで秘匿されていると、本当に舞台上の芝居から意図を汲み取らなければならない。
で、周りの人物は比較的外からわかるように説明されているのに、迦楼奈に何が起こったかはよくわからないんですよね
汲手《くんてぃ》がなぜ子を成しなぜ育てられなかったのかとか、百合守良《ゆりしゅら》がどんな人物か、みたいな言い訳は増えている。こう考えれば説明がつくっていう解釈が舞台そのものから直に与えられる感じですね。
でも迦楼奈に関してはない。わざと語ってないのかもしれない。
そこがアンバランスで、いちばん思い入れがしづらい。
(これは、10月の文七元結物語の長兵衛の時に感じたことと似ていて、文七の人となり、お久の事情、母娘の事情、そういったことは説明がくっきりしていて、長兵衛はよくわからない)
いつ何を受け取って、何に気付いて、何を決めたのか
そこは迦楼奈が芝居でもう少し示唆していい所なんではないのか
そしたら迦楼奈という役はもっと良くなるんではないだろうか
それをするとマハーバーラタじゃなくなるのかな。歌舞伎だからいいと思わない?
ここから千穐楽のこと
3回目は風韋摩《びーま》(萬太郎)を見るために取ったと言っても過言ではない
千穐楽土曜日じゃん!
花外のすっぽんの後ろが空いている、お花摘みが近くで見られる! GET!
みたいなノリだった
その目的はまんまと果たしたが(花道で助六以外の卵色の足袋にどきどきすることがあるとは笑)、太陽神や帝釈天のお背中を見るための特等席でもあった。
神の背中とスモーク越しに見える舞台の上のちいさな迦楼奈
なんというエモーショナルな絵柄。
そしてなんというぴらぴらな神様たち。
ヒコサブ天の印を結ぶ手も綺麗だった
(顔は対岸(と舞台)にいる時しか見えなかったけどっ)
あっちを見たりこっちを見たりしなくていいという両花道のときならではの利点もあった
この経験を今度生かせるのがいつかわからないが
切符を取ってから、以前に自分で書いたとうかぶのブログを読み返して、ああ、立回りをちゃんと観なければと思ったんですわ。
あの時は、殺陣師 國矢、獅一。アクロバット入りで歌舞伎のようなそうでないようなハイブリッド。少しがちゃがちゃすると思った。
少し前に見た新水滸伝は高速の立回り。
ですが今回は、特に引っかからなったんですよ。するっと消化されてどんなだったか思い出せない。
咲十郎、菊次のインタビューを改めて読み、
劇団の立ち回りがそこにあるのや。観るつもりで観ておかねば後年後悔するかもしれん。当たり前だったものがいつもあるとは限らんのや。ということで、千穐楽は立ち回りを頑張って観ました。なので三幕を中心に思い出していきたい。
一対一の制約
開戦時に久理修那《くりしゅな》が述べたように戦いは一対一でなければならない。これは大きめの制約ですね。この為序盤は沢山の兵士が出てきても一対一で各々戦っている。渾沌。
だから印象に残らなかったんだな。
いつものような一対多のフォーメーションで立ち回りをするには誰かが掟を破らなければいけない。そこで道不奢早無王子の出番。卑怯ゆえに見所あり。
道具は何にするか。お正月なら桶から魚までなんでも持ち出せるけど印度だからね、盾。
納倉《なくら》を盾で丸く取り囲み、小金吾を思わせる図柄。
その後沙羽出葉のマントラで窮地を脱し
納倉、道不奢早無一騎打ち。
双子の決め台詞あって、シンクロしたなんば歩きで引込みの面白さ。
納倉がごろごろ転がる所とかはあるけど双子でのフォーメーションを取れたらもっといろんな見せ場が作れたのかもなと思わされる
その後は雑兵達から明確な1対1の呪縛が外れて集団対集団のいくさになっていきます。
迦楼奈独走
雑兵の方々を弓となんらかのチカラで蹴散らしていく迦楼奈
この弓は面白いですね。なんぼでも射ることができる
近くで見ると矢羽もあるんだほぅーってなるよ
あとなんかのチカラは、もしかするとこのような力が阿龍樹雷の前では不発になる描写のためにやってるのかな?
ああ、やっぱ迦楼奈特別なのねーとは見えるけどばたばたしたまま過ぎてしまう
我斗風鬼写《がとうきちゃ》
階段前にて
迦楼奈と風韋摩が本格的な争いに入るよりはやく、お母さんゆずりのヒラヒラ付き鉄杖と、伯父様の赤い髪、おとっちゃんの黒い髪で我斗風鬼写登場
よくわからない戦闘員(にしか見えないがたぶんチカラの可視化であろう)を引き連れており、迦楼奈を苦しめるが無敵の力でやられる
シャクティを貰ったとき、このビジョンが迦楼奈に見えていたとは思わない
やはり誤算ではないのかな
風韋摩と我斗風鬼写の別れはいい場面だけど
丑之助が小さく、こども故のあわれさになっていて迦楼奈がますます悪役になってしまった
もしも、これは迦楼奈でも死ぬかもしれんとわかるすさまじい化け物の子が出てきたなら(そうね。例えばみっくんとかね)シャクティ使用もやむなしって納得するけど、真にこどもなので、理屈ではわかりつつ心情的には大人げないぞとなってしまう。
やってしまってからの迦楼奈の言い訳がつらい。
そう言えば牛を射てしまうときも結構いきなりだった。ワシ、迦楼奈の速度についていけてない。
鶴王女と風韋摩
怒り心頭の風韋摩の前に鶴妖朶が現れ、使命のある迦楼奈を逃し、風韋摩を引き受けて、引き続き階段前にて因縁の対決
得物は風韋摩がトゲトゲ球付きの錘(モルゲンシュテルン 英語だとモーニングスターだそう)、
鶴王女は二刀流
元々初演時は亀蔵(バンカメの方)七之助の対決でもっと容赦ない手がついていたようです
(亀蔵さん今回立ち回りなし。うー。)
タテの裏話など芝のぶさんブログに載っております。
風韋摩、おぉりゃぁぁ!言ってて凄かったな
千穐楽だからかセーブすることなく吠えていた。
鶴妖朶もうぉおーって応えて
音楽も相まって迫力が違った
武器が違うので、剣を交えるというふうにはならないが、風韋摩は「侮るものか」の言葉どおりの本気で、重いトゲトゲ棒をぶん回し、羽交い締めにし、時には素手で鎧を殴り…風韋摩でも鎧殴ったら痛いらしい…(風韋摩くん、そこは考えような)
とどめのえげつなさ。きまった姿のかっこよさ。
こんなに赤っ面が似合うと俣野とか坂田の金時とかの役がどんどん来るようになるんでは
(見たい方はお正月新国立劇場へ。すごくやな風韋摩(ではない)が居ると思います。)
芝のぶ鶴妖朶はもしかすると鎧じゃないほうが強く見せられるのではと思いますが
それじゃあ物理で殴ってくる風韋摩と釣り合わないかな
彼女の真骨頂はやはり、絶命か?と見えた後の独演会で
戦って戦って振り絞る言葉だから呪いの迫力が増すんだと思う
で、落ちる。
七之助の場合、階段落ち→裸武者の連想もあり、うん。しっちーならできるってなるけど、
芝のぶちゃん階段落ちは想定してないよなあ。
ほんにお疲れ様でした
迦楼奈と阿龍樹雷
馬の人がすごい。盆の上をぐるぐる2台で疾走しながら迦楼奈の馬車だけ呪いで轍にはまり動かなくなるので、阿龍樹雷の馬車はその前に横に逸れて待機しないといけない。
あんなにぐるぐる回りながらそのタイミングをどうやって測ってるんだろう。
左右に走り抜ける旗(無数の矢の役)といい、歌舞伎って体力。
迦楼奈の馬車が使えなくなり、外した車輪で阿龍樹雷の攻撃を防いでから、剣での戦い。
歌舞伎のご紹介イベントみたいなので”それぞれの手に名前がついており唐臼、山形…”云々と言って披露される見本のようなたち合いが始まります。
こんなだったんだ。前に見た時あまりにもスルーしてたかも。プラス、写実の鍔迫り合い(激しく鍔鳴りがします)や早めの手もあり。
よく、どんたっぽに対する現代的な立ち回りとして泉水の立ち回りが引き合いに出されますが、
マハバではがっつり歌舞伎の立ち回りにできないぶん、むしろこういう(泉水ちっくな)とこに伝統を感じてしまう。
ところで
仮花道で肝心な時に迦楼奈がマントラが思い出せない表現らしきものがあるんだけど
こういうとここそ説明セリフを入れたらいいのに
迦楼奈さん覚醒のところ
母に向かって言う”1人だけにしましょう”
はじめ(つまり初日から2日目)に見たときには、阿龍樹雷を仕留めに行くというセリフに聞こえました。そのように演じていたのかもしれない。
2回目はこれはどっちかなぁって。
3回目は自分が一命を賭すつもりと取れた。
息子の言葉を受け取り、さようなら迦楼奈様と言う母。引窓的な場面と菊之助さんが言ってましたですね。
論理的に取れば、兄弟手を取り合って欲しいという母としての願いは拒否され、いずれかが倒れることは明白であり、二度と会えないと予測できるから。
息子ではないという言葉を受け入れたから。
母は兄弟を殺しにいく迦楼奈と思っているけれども実は迦楼奈の本心は…という脚本なのかもしれません。それはそれで、後にそうだったのかという感慨があるし、ヒーローは孤独であるという一種の悲壮感もあります。
(初演のときは迦楼奈が結末を決めるのはもっと遅かったように思う。)
けど、この日は、もっとストレートに、その「ひとり」となることを覚悟した子の心を察した母と見るほうがしっくりきました。
その後の迦楼奈の”たった一人だ”という決意のセリフから鬼気迫る引込みで最高調となるまですべてのピースがバチっとはまって
このほうが気持ちいいぞ、ってなったので千穐楽はこうだったと思うことにします
そのお顔を間近で拝見できたのは良かった
迦楼奈は自分の存在理由となすべきことを自分で見つけたんだってのは異論ないでしょう?
でもそれが、阿龍樹雷を仕留めにいくぞ!おー!だとちょっともやっとするんですよ。
父から言われた大義はあり、耳飾りを失った代わりに自分にできることの可能性が広がって、戦いには行かねばならず、お母さんとめぐり合って、色々総合してやっとわかった使命は、
迦楼奈行ってこい!って言える内容であってほしい
この日の迦楼奈は死に臨んで自分の選択について父に尋ね、
生まれてきて良かったという結論に達してました
この、自分は誤っていないか、父の心にそぐわない選択をしたことはなかったか、というみずからへの問いは、迦楼奈を造形する菊之助にも常に問いかけられていたのではないか
迦楼奈はこれでよいのか、と
その日の迦楼奈はどう生きたのかが都度問いかけと答えに表現されていたのではないかしら
迦楼奈自身が、ただ翻弄されたのではなく、人として自分の選択やその結果を肯定できたのだと確信できたなら良い千穐楽だったと言えましょう
3回目で観る側に余裕が出た故の雑念
離宮にて
離宮での五王子の様子は毎回息抜きポイントになってました
次男と三男の言い争いを止めに入る双子。
千穐楽でなんかやるやろなーと見てたら沙羽出葉が、お酒を右と左にひとつずつ持って止めに
どっちにする?の風情
風韋摩は肉厚の瓶を選んで受け取って
折り返しに小さな何かを弟に手渡し。(萬ちゃんのお守り的物件だったらしいですよ)
まるでお酒のおつかいに行ってきた子に駄賃の図式だった。かわいやのう。
そんなん見てたら上手側で真面目な芝居が始まっており、大事な兄上の見せ場なのに上の空だったごめん
そしてこの日、沙羽出葉、計2回お酒の瓶子を倒す。酔ってます?
何もしない
賭けの所かと思うが
最初風韋摩が下手で正面を向いて自然に立ったまま
全く何にも反応しない
いいなあ
この何もしない行儀の良さ
FFXのとき、カーテンコールの写真タイムでオオアカ屋さんがだいぶ「無」になってることがありましたが、しみついた無だったのかも
沙羅双樹
意味ありげに花道に置かれたお花
(花の植え込み出てくると毒酒が出るのではと身構える。薄汚れてしまった観客である)
歌詞を聴くと沙羅双樹と言ってる
そんな道端に生えてはいないだろーと初回から心でつっこんでました
しきんびとの踊りの中で菩提樹も出てきている
ということは無憂樹も出てきてるかな
お子さんができてるし
(お子がほいほいできる神秘の作品)
白い荒五郎さん
私が歌舞伎を見始めたころ、菊五郎劇団の立ち回りに必ずいらして、捕手をやっていても見せ場のあるかっこいい方で、あの人はなんて名前だろうと思ったまま月日は流れるうちに名題になられたので前の名前で呼んだことがないです←
今月は代役ながら金ピカに。石まで付いて。
こんな白い荒五郎さんは珍しい
みつかる
ついった(X)にも書いたけれども、お隣がご家族。聞くともなしに聞いてしまう。
わりとご覧になるらしく、このあいだ南座にも隼人さんが出てたね、明治座の(代役の)ときにも出てたし、色々出てるのね。と。
彌十郎さん、今回がんばってるね。
そして、あの人は女の人じゃないの?あの人が主役みたい。ということで
筋書きを入手され、芝のぶさんを把握。「この人なの??女の人の声じゃない?」 うん。わかる
そしてもう一人、見つからない人がいる様子で「迫力あったじゃない」と探している。
(素知らぬふりで耳ダンボな私)
あ、鬼か。菊市郎さん。とたどり着かれた。
「あそこまでやるなら回して欲しかった」(毛振り) あ。わかる。
こうしてちゃんと見つかるきっかけになっているのはうれしい。できればもう少し早めに見つかって欲しい。
シャクティをやろう!
って、左右の手を順に広げて近づける帝釈天に、
坂東ピコ太郎…ってカンマ2秒くらいよぎってごめんなさい
千穐楽で本当に良かった
毎回PPAPによぎられては困る
再演までに忘れていたい
☆余談☆
アナウンス
月初と半ばに見た時、幕間で流れる注意事項アナウンスが聞こえないくらい小さかったんですよ
ワシ、今年よく聞いてるから気のせいじゃないと思う
楽日は聞こえるようになってた
幕見席では外国の方も多いので開幕前に係の人がまだボードを掲げてますけど
下の階はボードはなくなって、幕開き前に注意事項を伝える係の人も減って、こない通路もあるんですよ
その上アナウンスも聞こえない音量ってのは伝える気があるのかな?って思った
アナウンスはあんなにひっきりなしに長々と流れるからうるさいんで、一回前説できっちり聞こえるように要点を説明してくれたら済むと思うのよね
毎回オオアカ屋呼ぶか