玉手、玉手…玉環

最終更新日

2024.9
研の會と歌舞伎座、同じ時期に音羽屋の摂州合邦辻がかかる
玉手二連発はこってり過ぎてもたれそうと思ってたのですが…なんか思ってたのと違う
そんな長月

右近の玉手

堅めの仕草と不自然な大きな声

ああいう行動様式のケースを知っている
常識は通じない
見えない天命に従い
会えると信じてあらぬ所をさまよい
梃子でも動かない
阻止すれば手向かう
そのときのその人の世界の中ではそれが真実で正義なのだ

右近の玉手はその頑なな風情を思い出させた

ひとは、つくり阿呆じゃないけれど、つくり横恋慕?的なことをしようとして、意識的にあんなふうにできるものだろうか?
あの玉手の様子は、そんなたくみななりすましではなく、自分がコントロールを失っていることに対し自覚がない人なのではないか

もしそれが無自覚な状態での本気の言動であったなら、
モドリになって、ちょっとおかしかったですね、って自分の過去の行動を振り返る状態になったとき
なんという穢らわしいことか、ってなるのは合理的にわかる

その合理ということと芝居としてひたれるかは全く別の話で、私はとうとう芝居とシンクロできないままだった

母親から尼になれと諭されて知らぬふりをしながら
一瞬俯いて顔を背ける所があった
少しなりと逡巡のあることをうかがわせる描写だろう
自分の作り出した物語は消えない
自分で幕を引かねばならない
その局面で玉手はしあわせだろうか

(のめり込めなかったのはこちらの事情で、ケンケンのせいではない、たぶん)

菊之助の玉手

この玉手は恋がきっかけだとしても正気で、俊徳丸を助けるという一心を貫いて全てをすすめている気がする
なさぬ仲の子と先立った母御への義理という、引窓的な、ある意味歌舞伎の常識にのっとる説明も
あの中の人達がそれでよければよい、と思えるみごとな「おさまり」だった。

自分が歌舞伎を見始めたころ、こうした義太夫狂言に対して、お主(しゅう)の為の滅私御奉公もわが子の首を差し出すのもさほど抵抗なく、歌舞伎の中ではこういうもの、と、さらさらと観ていた。その頃の見方で見られたように思う。

(余談。一ヶ所、切り掛けられたとき「俺っちを斬るぅ?」のときと身体が同じ形になってて、突然舞い降りた弁天小僧にふふっとなった。音羽屋)

けれども、見終わって我に返る。
あれ?玉手、こんなだっけ?
合邦ってこんなにすんなりした芝居だった?

以前に菊五郎のを観た時に、恋の衝動のなすわざに対して自分で非常に綺麗な夢の説明を組み上げて召されていく玉手の構造を思った。
気持ちの悪いほどの「女性」性があった。
それはこんどの菊之助には感じられなかった

アンビバレントあっての玉手じゃないのか、と思う
だがそれは菊之助には合わないのかもしれない
合う形にしたらいまのようになったのかも
貞女として使命を完遂し、父の納得も取り付けて
このやり切った感ある玉手はたぶんしあわせだろう

統合された玉手?

思い出すのはマハーバーラタ戦記だ
敵味方に分かれた我が子がいずれもながらえるように乞う母
すべてを全うして、天なる父の思いに応えられたかと問いかけ、自分は満足だと表明してひとり完結する子
この玉手はその両方に通ずるものがある

そんな具合で、どうもこれじゃない気がするまま玉手ウィークは終わった
が、
はからずもその日、もうひとりハッとするような本性の発露を見た
雀右衛門の楊貴妃だった
色々バレになるので詳細は控えるが
先代の雀右衛門を思わせる夢みるような眼差しから
一瞬でまなこをひらき、当代の顔になった
衣裳も化粧も何も変えていないのに局面が変わったことがはっきりとわかった。
告白と、恋と。
なんか足りなかった女形成分が違うところで補給された感じだ
雀右衛門なら、どんな玉手だろう。

******
玉手以外のところ

俊徳丸
研の會、俊徳丸は橋之助。
声が萬壽そっくりで、あれ?顔は橋之助だよね?ってじっと見てしまった
従来高い発声が微妙なとこあったがこのやり方ならアリかも。…混乱するけど。
歌舞伎座は愛之助。これはもう、手の内のもの。立派な貴公子でした

奴入平(と合邦)
研の會 青虎は第一声から猿翁や右團次と同じ響きを感じる
これが書きもののときは感じたことがない。不思議。
歌舞伎座では萬太郎。イケ奴っ。玉手の述懐が次郎丸の話に及ぶと、うんうん頷いて、ああ、この人それで苦労したんだなと思わせる。

玉手の命を繋ぐ腹帯をどこで調達するかが2人違っていて
青虎は自分が腰に巻いていた紐を使い
萬太郎は合邦の庵の玄関にあった閻魔堂建立勧進の幟を引きちぎって現地調達していた
こういう脇の人のやり方はどっからどう伝わってこうなったのか
萬ちゃん、前みたいに日記書いてくれないかな
(そっくり同じ閻魔様が両方の会場にいたし、幟も両方にあったので、道具のあるなしではなさそう)

あと、これはまた迷惑千万、のやりとりは歌舞伎座側はぎりぎり笑わせずに切り抜けていた
合邦の側がその隙を与えないのだ
歌六は現代の客が見れば困惑しそうな言い方を避けたのだろうか
おいやいおいやいの嘆きも、知らなければ「おいやい」と聞こえないくらいの言い方でやっていた
研の會の猿弥は、ちゃんとおいやいしていたし
入平に迷惑がられる所もわざと泣き笑いの要素にしているのかもしれない
大変大袈裟でがっつり義太夫でした

菊三呂
ここだけ役者の名前ですみません
研の會で母おとくの役
最近はすっかり右近の背後に居る人になってたので沢山動いて喋るのが見られて良かった。こんなに見たことなかったかもしれない。

合邦以外の所、川とか崖とか関などは、また気力があれば。

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