6月に見たもの(2024.6 萬屋襲名、鑑賞教室)
2024年6月
博多座にも行きたいよぅーと思いながら、萬屋襲名の月
ホームを失った国立劇場歌舞伎鑑賞教室の6月は、サンパール荒川で封印切。
封印切の衣装展示がちょこっとあり。
国立劇場鑑賞教室独特の小さい正方形の変形パンフからA4に。
(メモ 公文協の巡業東西コースに代わる松竹特別歌舞伎もA4パンフ。)
一方で、「歌舞伎その美と歴史」という河竹登志夫著の小冊子は、全く変わらないように見えて、年表にそこだけくっきりした文字で「2023 初代国立劇場閉場」と足されている。今年版が刷られたということですよ。それは嬉しいが書いてあることはかなしい。
ホールは多目的の公共ホールで斜めの簡易花道がつくやつ。
鑑賞教室らしいのは小さいながらも字幕装置があること。横書きで上の方から吊ってあるみたい。これはある程度後ろの席では便利。義太夫の歌詞が出る。
歌舞伎のみかたが始まるが、普通に解説者が出てくるだけなので、国立劇場のあの盆が回りながら全て(たしか13個)の機構が上下する様子を思い出し寂しくなる。
あれはもう見られないのかな。
解説は宗之助。年季は伊達じゃない。手慣れたもの。
ツケや見得の説明のほか、貝殻ぼねを寄せて女形の役になる様子を背中向きで見せてくれた。これは珍しいかも。今回の封印切のポイントを飛脚の寸劇や実際に封を切って解説。
お芝居のほうは上方の歌舞伎を鴈治郎で観る贅沢なのに、会場のおかげでどうしても巡業の風情になる。梅川は高麗蔵。
亀鶴の八右衛門には張り付いた暗さがある。ひとをおちょくって楽しむようなタイプではなさそう。それでも鴈治郎とのやりとりは2人で上方の雰囲気を拵えている。
彦三郎が槌屋治右衛門。侠気といい声は認める。でもこの座組の中1人だけ江戸の人で浮く。この人の台詞で上方のイリュージョンが壊れてしまう。イントネーション大事。
つぎ、歌舞伎座。
時蔵は時蔵のままでいると実の息子が思ってたくらいだから客の私も思ってたよ、という萬壽、時蔵、梅枝同時襲名。
獅童の所の子供たちも初舞台。
お祝いに親戚一同が集まるという。小川さん大勢力じゃんってみんなが気づいちゃった月。
新世代が次々に芽を出して2人ずつ役者になると(辞める子もいるが)倍々に増えていく。親世代もまだ現役。すると、名前足りない問題が切実になってくる。どうするんだろ、ってのも考えちゃった月。
昼
上州土産百両首
正太郎を獅童。牙次郎(あじゃがじ)に菊之助。
三次(サンジ!?)は隼人。与一に錦之助。勘次親分に歌六。
料理屋の娘さんは米吉。
少しカットしたんだろうか。発端は説明じみていて、また主人公がどんな思いで苦労して江戸へ帰ってきたのかや、牙次郎がその気は無かったのに捕手を誘導してしまった皮肉さなどの物語の妙が薄くなっていた気がする。
2人の友情を中心に描こうとしたのかなあ。
菊之助の牙次郎はどっか抜けてるというよりは考え方に癖がある人だろうか。
獅童は料理屋でカタギになっている時の台詞や風情が自分のものになっていない感じ。そこだけ目だってできがよくなかった。
それが待ち伏せていた三次に相対するときはとてもよくなる。
度胸や、ここで決着をつけてでも守りたいものがあるという凄みがあった。
なんか、この人はそういうとこがあるのね。いけてるとことそうでもないとこに差があって、通すと凸凹する。
義経千本桜 所作事 時鳥花有里
千本桜は途中に色んな道行が挟まったりすることがあるらしく、珍しく義経が主人公っぽい踊り。他の幕の旅のエピソードをなぞる仕立てで割と楽しい。
児太郎、米吉、左近の白拍子が並ぶときれいに大中小になるのが面白かった。左近の時分の花が光る。
そこに孝太郎が加わるとお母さんと三人娘みたいになるが神様のお使いだったw
種ちゃんは小道具のある踊りづいているのか?浅草に続いてお面の踊り。
妹背山婦女庭訓 三笠山御殿
お三輪に新時蔵。
筋は、おだまきの糸が切れてしまい求女を探しにくる所から。
豆腐買おむらになんと仁左衛門。
昨年国立劇場では時蔵(萬壽)がおむらだった。
喋りの面白さが萬壽の持ち味で、これは米吉がものにしたらいいのでは?と思ったりしたもの。
今回仁左衛門は自分では語らず義太夫でした。
手を引かれた娘役で新梅枝。ここで劇中襲名口上となる。
この趣向もそうだし、初舞台を梅枝の名前でというのもそうなのだけど、前例をなぞる方向性が今のこの家らしい。
いじめの官女に小川家の立役が8人
昨年は、作法を教えながらいじめてももう一度やらせるとできちゃうという、菊之助の個性も相まって絶妙にイラっとするお三輪になっていた。(よかったなあ菊市郎の局(シュミの世界)。)
今回は小川さん一同を楽しむ雰囲気。
そんな中でも、せっかく結って貰った髪も壊されてもう帰ろうと、御殿とは全く世界の違う愚痴をこぼすお三輪の造形。諦めの見えた所へ、祝いの様子が聞こえ、花道での振り返りの必然性。この一連を(新)時蔵は考え抜いたのだろう。
疑着の相スイッチオンは凄まじい。
これをあえなく散らす説得力は松緑の鱶七ではまだ足らないと思う。もっと絶対的な大義を感じたい。
夜の部
八犬伝
攫われた浜路が道節と出会いあれこれあって
並んで名乗って、以上!な幕。(稲瀬川かな?)
立ち回りがないなんてぇ
でも歌昇の引っ込みはちょっとうれしい
信乃はも少しキリリとした兼ねる役者の方がいいと思ってるんだけどこのくらいの切り取り方なら米吉でもいいかな。
何がすごいって児太郎の毛野がすごいんで、キャラのかぶらなさでは正解かも。
コタ毛野はこういうアスリート女子だっているでしょって言われたら…そ、そうかも…って屈服せざるを得ない。強そう。
山姥
金太郎さんこと怪童丸とお母さんの話。怪童丸は新梅枝。お母さんの山姥は萬壽。
新時蔵が子どもの頃、金太郎のカツラが嫌だったから、梅枝にはかっこいいカツラにしてあげたらしい。
金太郎だってわからないじゃんね。
もっと小さい陽喜、夏幹も初舞台で、並んで踊る。えらいもんやな。
(なんと怪童丸と魚宗の丁稚はアクスタも出たのだ。すごい)
道化役の猪熊入道に萬太郎。次の魚屋宗五郎もなのだが、今月の萬ちゃんはお子様のお相手担当。丁寧な引率。なのに口上の場面ではもういない。
劇中口上は菊五郎が口火を切る。
萬壽に口上のバトンを渡した後は、一同手をついて頭を下げお辞儀をした姿勢のままとなるが、この姿勢が菊五郎はつらそうに見えた。深い息を吐いたりしていた。
(すみません菊五郎しか見てませんでした。)
お元気そうでよかったと皆が書いていたから、遠目には特に変わりなく見えたのだろう。
魚屋宗五郎
獅童初役にて宗五郎。
なんで屋敷へ行かれないのか、と聞かれたときの説明は侍のようで、立派すぎたなあ。
それが、酒を飲む時はだいぶ早くからコミカルに酔っていた。
悔しさの表現は、現代劇のようで、理不尽への悔しさをリアルに見せる。
面白かったねえ、うん、という。一呼吸。
それは、だがねえの後を言うための枕詞で、面白かったと言う頃にはもうそこに浸っていない。主題はなんだってころしやがったというかなしみなんだねえ。そこが獅童宗五郎のカラーだと思う。
これが歌舞伎でない芝居であったらアリだなと、見ている最中から思った。ふっと魚屋宗五郎物語…という言葉が浮かんだり。
でもこの芝居には周りのはたらきかけの何がなんのスイッチを入れ、どこに跳ね返るのかがぴたりと合うピタゴラ装置的な心地よさがあるのだが、そこが合わない。周りが世話物なのに宗五郎が自分のリズムで進んでしまう。
今回の座組は、おはまに七之助、おとっつぁんに権十郎、三吉に萬太郎、おなぎさんに孝太郎、お茶屋のおかみさんが魁春。おしげちゃんに男寅。殿様が隼人、ご家老が坂東亀蔵。だめ推しに、吉っちゃんが松緑。
充実。
七之助は亭主と周りを奮闘で繋いでいた。
ふらふら出て行こうとする宗五郎の様子に気づいて後ろから留める所のあやすような調子がほんとに良い。
前掛けを投げて櫛を帯に仕舞い花道をかけていく見せ場は、まだ手の内に入っていないのか、そういう振付みたいに見えた。そこも芝居になってくると良いな。
過去のおはまはみんなかっこよかった。
あと、おなぎさんのストーリーテラーっぷりは特筆もの。
語りに関してはベストおなぎさんかもしれない。
講談のよう。上演されない幕の肩代わりに充分値する。
獅童のこどもが丁稚2人とはねじ込んできたなー、どうやるんだろ?と思ってたら、うまいこと2人に台詞を割っていた。
相手をする萬太郎の親戚のおじちゃんっぷりもよい。
萬ちゃんはお茶もおいしそうに淹れていた。さすが。
話を促すときおなぎさんに接触せず、宗五郎を留めてなんで突いた?と言いがかりを受ける所でも殆ど突いてない上品さが好もしい。
おとっつぁんは、多分ほんの最近まで現役だった親父さんで「俺がもう少し若ければ」も実感でそうなのだろう。
私が歌舞伎を見始めたころは、親父は鶴蔵さんで、当時の正之助(現 権十郎)が三吉だった。
なので、おとっつぁんはほんとぉぉぉに老人のイメージがあり、松助さんが親父役になったとき、若いのに…と複雑な印象になったもの。そのときも権十郎は三吉役だった。
三吉はずっと持ち役で2020年の国立まで三吉だったのが、今回親父だもの。浦島太郎みたいだよ。今年70歳だって。え?しちじゅうなの?
無理に老けさせてなくて自然だなって思ってた。
そりゃ自然だわ。時は流れているねえ。