※敬称は書いたときの気分と文章の雰囲気によってあったりなかったりしますが、ないからといって決して敬意がないわけではありませんし、あるなしで敬意に差があるわけでもないです。
※よい舞台、を選んで書いているのではありません。主に、自分にとって、印象深かった「役」とそのときの役者さんにスポットを当てています。


私はフランスの王妃なのですっ by マリー雀右衛門

友之丞 日本一しつこい男

弁慶 世にもわかりやすい弁慶

文七 何が何でも死んでやるっ ほか

産毛の金太郎 唐突な妖精パック


わたしはフランスの王妃なのですっ

by. マリー雀右衛門。

第26回俳優祭・歌舞伎ワラエティ仏国宮殿薔薇譚(べるさいゆばらのよばなし)
平成元年10月(だったかのう) 歌舞伎座
市川猿之助演出
オスカル/中村児太郎(現:福助)
アンドレ/市川右近
マリー・アントワネット/中村雀右衛門
ルイ16世/市川團十郎
ブイエ将軍/澤村藤十郎
フェルゼン/澤村宗十郎
イングランドのオットワーヤ王子/尾上菊五郎
デカサダンジ夫人/市川左団次
カンクルーノ夫人/中村勘九郎
猿ちゃんなんの役だっけ…(詫)

当時、NHKでの放送を録画。私にしては何回も見たビデオです。記憶で書きます。
最近、伝統文化放送でも放送されたそうな。ええこっちゃ。
こういう迷作はやはり語り継がなければ。

児太ちゃん(当時)が宝塚好きだったためにこんな芝居になってしまったらしいのだが、全員、ベルばらの衣装に身を包み、かなり宝塚。とにかく、児太郎・右近のご両人がのってのって引っ張っている舞台。

右近さんが、かろやか、かつ、重心低く踊りながら歌って、幕開き。(これはアンドレではない役ですが、ほとんどかわらん。)
菊五郎さんや勘九郎さん、猿之助さんはべつになにもやってなくて、出てくるだけ、に近いが、出てくるだけでは気がすまない菊五郎さんはとりあえず、取り澄ました姿に似合わぬ名古屋弁を披露。
左団次おじさんの役名が爆笑ですね。デカサダンジ。なのに「夫人」。でけー女です。これ以上の役名はないでしょう。
この面々が舞踏会でぺらぺらとしゃべくっていると、高いところから王妃マリーアントワネットこと雀右衛門さんと、ルイ16世、団十郎さん登場。雀右衛門さんの睫毛ばしばしの化粧に目が点。
「マリー雀右衛門のおじさんは、朝からあの赤いドレスを着てご満悦なのだ。」(オスカル児太郎談)
さもありなん。

相手役のフェルゼンには宗十郎さん。ひとしきりしゃべったあと「ぷっつんっ、ぷっつんっ」。プロンプター猿ちゃん登場。「はいはい、君は台詞を忘れたのだな。」僕が台詞を言うから君は踊りで表現してくれ、の要請に答え猿ちゃんの台詞によくわからない振り付けをする宗十郎さん。この宗十郎さんと雀右衛門さんで「あーいーそれはーー」うへー。いや、まあ、その…。すごいです。

さて、主役のオスカルは児太郎さん(当時)。金髪、青いアイシャドウに睫毛ばしばしっ。既に誰だかわかりません。
「恐れていたことが起こった…」僕は全部宝塚調でやりたいと言ったのに。
そう、最初は正統宝塚で徹頭徹尾いくのかと思ったのですが、侵食してくる義太夫の魔の手。洋装で踊る踊る(日舞のほう)ブイエ将軍(藤十郎)。友人曰く「足の動きがよくわかる」。
しかし、最後にはそのオスカルもアンドレの死を受けて、(戦が終わったら祝言しようと)「ゆめみてばーっかりぃ」(義太夫)、ハンカチを噛み、すっかり歌舞伎に突入。結局オスカル最大の見せ場となったのでした。

わかったこと:


弁天小僧

青砥稿花紅彩画
菊ちゃん(息子の方)の弁天が刻々と変化するのが面白かったので独立。
芸って、こうやってできあがってゆくのだねえ。
しばらくウォッチングしてゆきます。
こちら

友之丞

お国と五平

日本一しつこい男

この芝居の八十助丈。(1998.5 歌舞伎座。團菊祭。お国:時蔵、五平:辰之助、友之丞:八十助)
参考までに話を書いておくと、お国と家来の五平は、主人の仇である友之丞を探し討たねばならないので旅をしています。
この、友之丞というヤツ、わざわざ自分から出てきて、潔く討たれに来たのかと思いきや、とうてい納得できない理屈でねちねちねちねちねちねち未練がましく命乞いをするので、観客思わず「さっさと討たんかい!」と叫んでしまいそうになる。まあ、そういう男なんですが、やがてその口からお国と五平の秘密が……、という芝居。
あー、しつこい。こんなシツコイ男みたことない。

弁慶

勧進帳

世にもわかりやすい弁慶

辰之助の弁慶。三之助の勧進帳をちょっといっぱい見てしまった気がしていつどこで見たか思い出せない。どこだっけ?御園座かな。1999年か。
勧進帳と言うと、ストーリーと段取りはわかっているので、何をやっていて何を言っているのかもわかっていて、その熱気もすごいものがありますが、セリフが聞こえないんです。物理的に聞こえないんじゃなくて呪文を聞いてるようなの。
富樫「(つめよって)□▼○×●?!」弁慶「(負けずに)○×△◆▽」
本人たちは白熱しているようなのだが、こっちには何が争点なのかよくわからなかったり。
ところが、このときの辰之助の弁慶は違ったのだ。
すげー。わかるー。
「字幕のない外国映画を見ていてすんなりセリフが理解できたときには  本当に感動しました。ありがとう○○(←英語教材の名前)。」 みたいな心地。
多分辰之助丈、なにかつかんだのですよ。借りたものではない、辰之助の弁慶。
できれば、今後、変にわかりにくくなることがないよう、希望します。

文七

文七元結

この役、最後に元結いを売ろうと思いつくところが、すっごく唐突…。

なにがなんでも死んでやるッ

1999.5 歌舞伎座 團菊祭 かなあ。あいかわらずおぼえてねー。
五十両をなくしてうちひしがれている若者、川へ身を投げようかというところへたまたま五十両を持った男が通りかかり…というシーン。
辰之助くんが文七をやったときのこと。
「いいんでございますよわたしがしねばっ!」
と川へ向かって行こうとする文七。その風情は…
俺は死ななければならないんだ−ッ、何が何でも−ッ。
…いや、あの…そうまでして死ななくてもよいぞ。

ふてくされ文七

1999.2 松竹座
同じシーン。菊之助の文七。
いやぁ、うじうじした男だねぇ
ふらぁと回れ右するところはなげやりぎみです。文七、人生なげてます。
その段取りのよさは、松竹新喜劇を見てるかのようです。
もちろん、段取り通りに観客は笑うわけだが。
この呼吸はやはり、菊五郎ゆずりですね。
こういう芝居をするだろうな、というところで、ちゃんとそういう芝居がくる。
それが菊之助のよいところです。
ってーことは、予想もつかないような変な役が来たときに彼が何をやるか見たいものだ。

あ・な・たぁ

2000.10.7 御園座
新之助の文七。出てきたところから、手代という雰囲気ではない。持って生まれた輝きはどーにもなりません。どこかの後落胤か、はたまた元は武家の出か。もしかすると和泉屋主人の隠し子…おっと。
どうしたと聞かれて話し始めますが、「あ・な・たぁ」 聞いてくださいのその口調の強引さ。
これは、すでに「おばちゃん」の域に達しています。んもう、きいてよ、ひどいのよー、わーーーん、の雰囲気です。
新之助の文七がこんなになるとは思わなかったので、ちょっとびっくり。

このお金を・ね

脱線。同じく御園座で、宗之助のお久。左官長兵衛の娘にして、この物語のシンデレラガール。確か、上記の辰之助、菊之助のときも宗之助・お久。すっぴん、のかわいさがあるキャラクターです。
おとっつぁんの道楽のために、この暮れがどうしてもやりきれないので、自分から色街へ行ってお金を作ろうとする孝行娘。貸してもらったお金をおとっつぁんに渡すときに、このお金をばくちに使ってしまうとおっかさんがあの気性だから持病の癪でも起こすと私がいないと看病する人がいないから、おとっつあんばくちにつかってはいけないよ、と諭すわけです。この口調が、 「この おかねを    ね」「看病する人が い な い か ら    ね」ってなぐあい。
「あ・な・たぁ」の文七と夫婦になったら、いったい、どういうとろいテンポの夫婦喧嘩になるのか、想像するとかなり疲れてきます。

考えた末の結論ということ

2001.7.15 国立劇場歌舞伎鑑賞教室
菊之助の文七。
文七はうじうじした少年ではなくなっていました。50両持たせても安心できそうな落ち着きがでてきました。
その強引さに新之助を、その飛び込もうとする勢いに辰之助をちらと私は感じました。しかし、それは、文七が考えに考えて固く決心した末であるゆえの強引さであり、決して意味なく寒中水泳するわけではないことが、今の菊之助からなら読みとれます。
新之助や辰之助は同じことを断片的に掴んでいてあの芝居になったのかもしれません。菊之助の芝居を見てその意味に思い当たりました。

い・い・ね いいかい い・い・ねーーーーーー

で、お久です 。松也です。でかいです。
菊五郎演ずるおとっつぁんの膝にすがりついて泣きますが、膝からはみださんばかりです。
それを隠すためか、終始下を向いていてほとんど顔が見えません。貧乏で身を売るというせっぱ詰まり感はわりと出ていたよう。お客が笑わないのはその証拠でしょう。


産毛の金太郎

富岡恋山開(二人新兵衛)

唐突な妖精パック

2000.12.23 国立劇場
辰之助の産毛の金太郎。
羊が出てくる唯一の演目として知られている芝居(というか、としてしか知られていない芝居。77年ぶりの上演)。
そのひつじを連れて出てくるのが産毛の金太郎。
ひつじと一緒に出てくるときはともかく、だましとられたような形になった玉屋新兵衛の二百両。ワルをぼこぼこにして(最初はそんな型じゃなく、もっとおとなしかったらしいが、自分が見たときはすでにそういうふうになっていた)散らばった二百両をとりかえすシーン。本人とても楽しそうにやってますが、そのフットワークは…か、軽い。たぶん…金ちゃんは時代か世界をまちがえて生まれてきたのでしょう。浮いています。
しかし、この芝居を回すのは、このかわいげのある仕事師。
偽証文で難癖をつけられている新兵衛(菊五郎)を、羊と示し合わせて(羊は言語を解するらしい)食わせ、救うのも金太郎。
そして、最後からひとつ前の幕。主人・家来・恋人・許嫁・兄妹・陰謀・身請け・殺し、そういった込み入った事情に一応は決着がついているとはいえ、場の雰囲気は重さをひきずっている。そこへ、突然、金を持って湧いて出てびっくりさせる金太郎。この登場は、ひとつ残った「お家の重宝を取り返す金」という難題に直接の解決を与えるものでもあるのですが、それよりも、いきなり出てくる唐突さで頭が真っ白。「い、今までの話はなんだったのかしら…」
芝居に溶け込まない難、が、結果的には、重く沈んだ世界の魔法を解き、チャラにすることに大きく貢献してしまっています。


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Last modified: Thu Jun 27 10:33:58 2002