弁天小僧

青砥稿花紅彩画

〜少年は変わりゆく〜

こぇーよ新ちゃん

1998.3 国立劇場。
新之助さんの弁天小僧に、男寅さんの南郷。
面白いコンビでした。
男とばれてから、弁天と南郷が二人で勝手にあれこれあれこれやりとりしてるのを店の衆が唖然と見ているというシーン。これが独特。
まるで電車の中で、まわりのことなどなにも気にせずケータイの取りっこをしながらふざけあっている高校男子生徒のよう。(髪は染めて、ピアス、で、制服のズボンはずっと下げてる、というような。)ちゃらちゃらちゃらちゃらしていて落ち着きません。
おめーら、回りのこと考えろよ、少しは静かにしろや、と言いたくなるようなやつら。いるでしょ。
その「自分たちの世界」ぶりは、歌舞伎らしくないみょーにリアルな感触でした。
ところで、弁天が額の傷をあてつけながら、「おぼえてろよ」、と悪態をつくところがありますが、ここの新ちゃんはすごくこわい。目がぎろっ。キッ。
こぇーよ新ちゃん。マジだよ。
おぼえてろと念を押さずともぜったい忘れないでしょう。
(2000.6.6)

南郷のことも気にしてやってくれー

2000.1 新橋演舞場
菊之助さんの弁天。
前に見たときは、ほんとうに、ここではあれをやる、ここではそれをやる、と一つ一つ確認するようなきっちりした弁天でした。
最近見たもの(正月かな?)では、肩の力が抜けてきたようでしたね。
しかし、楽になった結果、さらさらといきすぎていて、回りとのキャッチボールがうまくできていないように見えました。
誰かの言葉を受けて、自分の言葉を言うのではなく、自分のセリフだけを順番に言っているよう。
南郷(左團次)がいっしょうけんめい弁天にはたらきかけているのに、弁天の方は全然気がない、って感じなんだなあ。
かわいそうだな南郷。…と掲示板に書いたらみょーに妹に受けてしまった。

関係ないけど、菊之助のひっくりかえったような高い声はどっかで聞いたことある、誰かに似ている、と思えて、ずーーーっと気になってました。最近わかりました。水島裕。はっ、誰も同意してくれない。

いつもちょっとだけじゃあねえ

ちょっと脱線して。
稲瀬川の場で、新之助の赤星っていうのを見たのだけど、これがツボ。
もっと見たいよー。通しでやってくれよー。
(2000.6.6)

弁天の人生

2000.7.23 相模原市民会館
2000.7.25 平塚市民センター
それぞれの演目の感想は、まささんのところに書いているので見てちょうだい。そちらにも舞台としての弁天の感想は割と詳しくかいてあります。

菊之助さんの弁天。松助さんの南郷。松島屋主人にいつもは番頭さんの権一さん。浜松屋と稲瀬川勢揃いのみの上演。

弁天。顔がまるで菊之助時代のパパの写真がそのまま出てきたよう。似てるといっても、今までの菊之助はママ方の血も濃く感じさせる顔だったのですが、化粧を変えたか?顔が変わったか? 遺伝子ってこわい。

さて、前回(2000年正月新橋)との決定的な違いは、しらざあ言って聞かせやしょう、に始まる弁天の場面にみてとれます。
台詞のテンポが、ゆっくりしている。おや、たっぷりめにお芝居しているな、と思う。
「とうとう島を追い出され」。菊之助、ここを笑う。自嘲。
この瞬間に、あっ、と思った。そうだ。弁天には過去があるんだ。
以前はこんなふうには言ってなかったと思う。台詞はただ連なった音声でしかなかった。よく、リズムを楽しむなんていいますが、私自身、ここの台詞はそういうものだと思っていた。
ですが、いまの弁天の台詞は違う。この台詞の後ろに弁天の生きてきた人生があるのだもの。振り返ればあきれて笑いもするよね。
大河ドラマで学んだことが効いているのだとすれば、テレビ出演も悪くないですね。

この舞台で、菊之助ちゃんは「しゃくみで散らす撒き銭を当てに小皿の」のところで小皿の手振りをしてみたり、「秋田の部屋ですっかりとられ」ぽっとり(そのタイミングではっきり手ぬぐいを落とす)、とやってみたり、いろいろ工夫していた模様。
「かたった金はそっちにおけえしもうしやしたぜ…(さっと、こわい顔になって)そーれ見ねえな」のところのタイミング。この写実は見事。
相模原のときは、いつもは分け前が一枚少ない弁天が、「今日のところは貸しにしといてくんな」とめずらしくちょっと多かった振り。 (そして、どうとでもとれる受け方をする松助南郷 (^_^;;;)  この南郷、ものすごくおおらかか、物事に感心がないとしか思えない。)

しかしどうなんだろうなあ、こういうの。わかりやすい番頭、学芸会のような店の衆、何事にも動じない松助の南郷、藪蛇な鳶頭、現代的な芝居をする弁天。なんとも実験的な舞台ではあります。

生きている弁天に手をかけた菊之助。さて次はどんな芝居をするか。
(2000.7.26)

はやっ

1999.6 博多座こけら落とし BS2 で録画
菊五郎さんの弁天。左團次さんの南郷。 番頭は権一さん。鳶頭に松助さん。
平塚での菊之助の芝居を見てがーんときたので(いろんな意味で)、パパの芝居はどうなんだ?と思って見直すことにしたわけ。
菊五郎、顎の線がこころなしか梅幸梅幸してきている…。遺伝子ってこわい。
<

それはともかく。
芝居のテンポの速いこと。弁天と南郷、番頭さんも含め、ぽんぽんぽんぽん。パパにはこれが普通か?
新橋の菊之助は、このテンポでやろうとしたのだね。
(その反動で平塚での芝居は意図的にゆっくりになったのか? まあ、相手にもよるのでしょうが。)
ひとつひとつの芝居を見ていると、 以前の菊之助のやりかたは、いちいち父親譲りだったことがよくわかります。
「わっちらをきぃるぅー?」の抑揚など、そっくりそのまま。

「浜の真砂と…」のセリフはさらさらと普通にながします。

さて、この速さのなか、すでに地の会話がこなれてこなれてこなれまくっております。芝居なのだが世間話。世間話なのだが芝居。そして、どんどんガラが悪くなってくる弁天小僧。おじさんっ。どこが小僧やねん。
菊五郎、ほんとに走ってるのですが、(銭がなくなりゃあ来るんでぃ、のとこなんかすでに何言ってるかわからない) ちゃんと会話になってるように見えるところがすごい。
そして、たばこを一服、のところの間や、「いーたくていたくて」とか、一枚少ない、ところとか、もってくところはちゃんと持っていきます。「さあ、すっぱりとやってくれ。」の居直りも早業。
間延びしたところが一点もない。これが菊五郎の作った弁天なんだなあ。(だから菊五郎にはまるのは当たり前。 )

そうそう、浜松屋の店先で「もう帰った方が 良か ろう ぜ」といわれて「?」という顔で目をまんまるくして南郷に問いたげにするのが、子供のようにかーわいい弁天なのでした。
(2000.7.27)

追:翌日もういっぺんみたら、もう、そんなに速いとは感じられなくなっていました。やっぱり菊之助のが遅かったのかなあ…?(2000.7.29)

おじじの時代

1971.11 歌舞伎座。カセット。(歌舞伎座百年記念歌舞伎名作選集11 白浪五人男 三人吉三 (講談社) 1989 刊)
こうなってくると、その親がどうだったのか知りたくなるじゃないか。
なわけで 10年ほど寝かせていたカセットを引っぱり出してきました。S46年と言えば、菊五郎が襲名する前のこと。
配役がすごいんだ。 羽左衛門の南郷に勘三郎の鳶頭。
当時の薪水(2000年巡業で日本駄右衛門の彦三郎さん?)が倅宗之助。うさぎ(巡業で番頭の橘太郎さん?)が丁稚。
時の流れは恐ろしい。

カセットなので、当然だが声だけ。しかし、声だけでもかなりの違いがわかります。
台詞の細部もだいぶ違うんですが(「騙りめ、返事はどどどうじゃあ」とか「この長えのがべらしゃらべらしゃら」とか)、芝居の解釈も結構違う。

緋鹿子を選ぶ場面からですが、
菊五郎は、2品ほどちょっと比べてみて、「これにしようわいの」、と選びます。菊之助のいっとう最近の芝居では2品出されたところでほとんど何も考えないていでそそくさと最初のを選びます。どれでもいいや、という感じ。最初からあやしい、と思わせておいて、万引きに至る。やっぱりあやしかったー、という芝居です。わざわざ怪しまれにきてるという解釈なんでしょかね。
梅幸のでは、ちゃんとこれこれこうだからこっちにしましょう、と選んでいます。番頭さんもちゃんと商品説明をしている。
あくまでばれないように、ちゃんとお嬢さんでとおしているわけです。

男になってからも、言葉遣いなどそこはかとなく上品です。南郷に傷の具合を見てもらうところ 、「傷がふけえか浅えかちょっと見てくれ」って、なんかお侍みたいだね。
帰り際は「おおきに、おやかましゅうございました」。これね、言葉は丁寧だけど、16,7の子供に、わーわー引っかき回された後こんなこと言われたら、すごくヤだ。ざまあみやがれ、の3倍くらいヤだな。

勘三郎の鳶頭は、やっぱり上手。こいつがまた、目にも留まらぬ高速居直り男。

さて、梅幸の台詞まわしですが、七五調の台詞には、終始、同じ節がついています。(これ、稲瀬川の場では、そんなに感じない。浜松屋の店先の方だけです。)
要所要所では普通のしゃべりになりますが、すぐに七五に戻ります。とにかく台詞が七五に合うところは原則全部「浜の真砂と五右衛門が」と同じ調子になるのです。これは弁天たちが帰ると決めるまで終始こうです。帰ると決めてからの弁天・南郷は完全に早口の雑談モード。その格差は冷静に考えると相当でかいのですが、自然に移ります。
黙阿弥の七五調の美しさとよく言われます。それが非常によくわかる芝居です。しかし、このように七五 七五 七五 と律儀なやりかたは、やはり、ひと時代前のものなのでしょうか。
(2000.7.29)

キミ達会話をしろよ

2001年1月20日浅草公会堂

亀治郎の弁天小僧、男寅の南郷。
浜松屋と稲瀬川の上演。

亀治郎のお嬢さんは、すんなりお嬢さんしている。
わざとらしく万引きを見られたりもせず、わざわざつんとしたお嬢さんになったりもせず、楽に女としてそこにいる風情。これならばれないだろう。私の感性では弁天のお嬢様バージョンは、こういうほうが良いように思う。

「なんで私を男とは」のところの「や」という発声は男の声にしていた。←これはメモ。

その先は、苦戦。
弁天小僧という役は亀治郎のニンに合っているとわたしは思う。ただ、ちょっとバランスが悪い。
基本的にゆっくりなのは家のカラーだろうが、テンポが揺らぐのがみていて困る。
これは緩急自在なのではない。急に走ったりブレーキかけるから客が酔っちゃう、の方だ。
最後ほっかむりするのに、もたついたりするのももったいない。

ちなみに、一度後ろで、次に前で見たが、遠いときと近いときですごく印象が変わる。
近くで見るとひどく憎憎しい弁天小僧だ。「少年っぽい」という評を聞いていたけど、少年とかいう上品な言葉より「小僧」という言葉の方が似合う。(で、この印象は主に表情からくるので、遠くだと見えずに、台詞をたっぷりいいすぎるのだけが聞こえて、間延びしちゃう。)

もう一点。 遠くで見た一回目は弁天がもたついているように見えた。
近寄ったら、もしかして、この噛み合わなさは南郷のほうに責任があるんじゃないかと思えてきた。

相手はテンポ正反対の男寅。
この南郷は、実に他人の話を聞かないやつで。でも話の切れ目だけは認識していて、自分の言う分だけ超特急で言い捨てる(捨ててるわけじゃないだろうが、そう聞こえます)。しかも、間髪いれず相手の言葉を繰り返すのが多すぎ。
そのやり方はさあ、すぐに球を打ち返してきてラリーが続く相手じゃなきゃだめなんじゃないかあ?
南郷、ちょっと弁天のテンポにあわせたほうがいいよ。会話をしろよ。倦怠期か?
そこで全然仲良くないから、最後だけ弁天が甘えるのが凄く変。

ちなみに今回の男寅さん、おとーさんそっくりで、ちょーびっくり。
しかも多分おとーさんよりガラ悪い。もう、お侍の段階で悪党だもの。

ほか。忠信に獅童、赤星に七之助、日本駄右衛門は段四郎。
段四郎さんは初役だそうで。
あと、鳶頭に勘太郎。若くて後を継いだばっかりでファイティングスピリッツ旺盛な鳶頭っつー感じか。
ちょっと猪木を思い出した。

追記:
十五代目羽左衛門の型をベースにしているそうだ。(演劇界から)
夏巡業の尾上菊之助の型も同系かもしれない。
亀治郎の弁天には、複数の人からの「男になってからも高い声」という指摘をWeb上でも劇評でも見かけたが、(尾上)菊之助だって弁天小僧のときは聞き苦しいくらい甲高い声を出す。なんでそっちは槍玉にあがらないか、ふしぎ。
(2001.2.1)

久々に通し

2008年5月 歌舞伎座 團菊祭

久しぶりに(ぷ。7年ぶり?)書いたら ながーくなったのでこっちを見てください。
菊五郎の弁天。
丁寧な弁天だったし、通しで意味もわかったし結構いかったよ。
70までやると言ってるらしい。どんどんやってくれ。
(2008.5.10)

今月終わった。弁天が死ぬということについて考えざるをえない芝居だった。
最初、胡蝶の香合を手に入れたところから、弁天は(おそらくいろいろの罪を重ねて)命が短くなった自分も香合のおかげで長らえられるということを述べているが、つまりいつ捕まるか、いつ獄門になるかということと彼は隣り合わせに生きている。
送られる気でさらしは一本切ってきた、などと命を軽々と取引しながらも「首になってもきっときやすぜ」と恨み言を言い、南郷に「命が惜しいようでみっともねえ」と言われる。これを受けて、「そうよなあ」。別のページにも書いたがここは番頭や浜松屋に聞かせるための芝居の「そうよなあ」ではなく、ああほんとにそうだね、という普通の「そうよなあ」に聞こえた。ここに、「そうだなあ。自分はじきに死ぬんだよなあ。」という気分をくみ取るのはうがちすぎだろうか。
ひと仕事終えた南郷と弁天が、さっきまであったことは忘れたように楽しそうに引っ込んでゆく。あの時分独特の(もし女子なら「箸が転んでもおかしい年頃」という形容をするところの)はしゃぎぶりと、死をちらつかせる啖呵と、その二面性。

菊五郎が、ゆっくりと、かつ決めのセリフ以外は芝居らしくせずにやるんで、浜松屋の場がぱっと明るい遊びの場というよりも抑えられたトーンになっていて、それであとから思い出すと、ああ、弁天はまもなく死ぬんだよ、という気分がふっとかぶさってくる。
今月はそういった弁天の光と影を感じました。
(2008.5.27)


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