安倉良二様よりメールにて情報をいただきました。原文から大江戸捜査網に関する部分をそのまま掲載いたします。

1)「隠密同心心得の状」について
 この言い回しが始まったのは,杉良太郎編の最終ターム(第3期)からです.
それは,制作が日活から三船プロダクションへ移った時のことです.私は杉良太
郎編の再放送をビデオに録画しているので確認済みです.メインテーマとは別に
殺陣の時に流れる独自のテーマ,「地蔵に赤い鉢巻き.それは隠密同心集合の合
図であった」もこの時からです(「黒い鉢巻き」はより緊急性の高いもの).
ちなみに心得の状ですが,全文のロールテロップは橋爪 淳編で流れていました.
2)1990年代バージョン(橋爪 淳編)でみる旧作とのつながり
 1990年10月12日放送の新作第1回で,田村高広演じる松平定信(この時は,老
中直属の隠密)が次のせりふを述べている.
「もう,何十年も前の話しになるが,”隠密同心”を名乗るものがおって・・
(中略).今また,それが必要となる」
 おそらく,内藤勘解由,藤堂対馬,幻の御前と続くあの隠密同心を指すだろう.
その後,隠密同心になる橋爪 淳,隆 大介,中村あずさが,この時に「隠密
同心証の懐剣」(家紋入り)をもって出陣する.
3)松方弘樹編の後半は,受けを狙いすぎてマンネリ化した(?)
 私の知る限りでは,小森和子をゲストに呼んで,当時の流行語である「モア・
ベター」なる言葉を吐いて最後のおちにしていた.また,大川栄策がゲスト出演
して「さざんかの宿」がBGMで流れていたこともある(1983年7月30日放送分
か).この頃になると,知名度が低いタレントを呼ぶようになり,質的低下が進
んだ.なお,杉良太郎編でも,隠密同心を待ち伏せるための罠にベトコンものが
あり,ベトナム戦争の世相を反映したものになっている.
4)ナレーターの変更
 並樹史朗編では,日下武史氏が担当されている.ただ,冒頭の言い回し「風が
舞う.殺気が走る・・」しか記憶にない.黒沢 良氏の方がうまい.なお,杉良
太郎編では第1期の途中で,糸 博氏が担当されている.
5)隠密同心証の懐剣
 2)でも少し触れたが,これは松平家の家紋であろう.このフレーズをよく悪
に対する殺し文句に用いていたのは,松方弘樹である.「例え世間は黙って見逃
したとしても,この懐剣が承知できないのよ」.あと,私の知る限りでは杉良太
郎編の「女隠密・故郷へ帰る」で梶 芽衣子(小波)が,故郷(上州らしい)で
親が危篤という知らせを受けて,私情を捨てられず,隠密同心をやめたいことを
口にする下りがあり,その時に懐剣を内藤勘解由に返そうとするシーンはあった.
6)アクション性の高いのは杉良太郎編
 この当時の時代劇にはどれだけ金をかけていたのかは知らないが,初期の「大
江戸捜査網」は本当に江戸の時代劇の範疇を超えた面白さがあった.「火の海か
らの脱出」,「地獄砦,死の攻防戦」,「一攫千金,地獄の待ち伏せ」辺りは,
山間部の渓谷や草原でロケをはり,岩場での忍者アクションをはじめ,火のつい
た荷車が斜面を駆け下り,隠密同心を襲うといったように今でも使えそうなネタ
である.ちなみに,杉良太郎編の第2期で主題歌「江戸の夜明け」が流れるとき
は,この初期の映像をイメージ映像にしている.この主題歌「江戸の夜明け」は,
1995年に日本コロムビアから出た「杉良太郎全曲集−一心太助−」に収録されて
いる(杉良太郎の初期の歌が復刻されている).私はこの歌の冒頭と終わりをパ
ソコンの起動,終了音にしている.
7)杉良太郎編は一時,ビデオ販売されていた
 これは,杉良太郎が『週刊読売』に連載されていた『これこそわが人生』
( 1991,読売新聞社)の巻末にある「芸能・福祉活動年譜」によると,1987年
11月にテレビ東京ビデオで発売されている.
8)舞台版の「大江戸捜査網」
 杉良太郎が初めて明治座で座長を務めた1973年12月公演の出し物になっている.
また,日時は確認できないが,里見浩太朗も名古屋・御園座で「大江戸捜査網」
の舞台版を出していたようである.映画版の「大江戸捜査網」を「木曜洋画劇場」
の特別企画で放送してもらえないものか.

以上ですが,より貴重な情報を知りたいものです.


情報提供:安倉良二様よりメールでいただきました。(1998.4.29)


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