昨年(1997)の時代劇、目立った変化があったように見えただろうか。
黄門様はあいかわらず漫遊しているし、吉宗はあいかわらず町に出没、金さんはあいかわらず桜吹雪だし、鬼平はあいかわらずしぶく、銭平はあいかわらず銭を投げていた。
しかし、これらのご存じものに加え、昨年は思いのほか多くの新作連続時代劇が放映されてもいたのである。長寿時代劇は決して元気ではなく、かつての人気シリーズがここ2,3年の間顔を見せていないケースもある。多くの新作時代劇は決して長寿時代劇のパワーにあやかって登場したのではない。長寿時代劇はあがきながら、自分の作ってきたパターンを脱ぎ捨てようとし、新しい時代劇は、なんとか自分の色を出そうとがんばっていた。
その中で、ぐんと存在感を増してきたのが、関東ではフジテレビ水曜よる8じの放映枠。つまり、かつて銭形平次(大川橋蔵版)という動かしがたい看板を失った後、数々のシリーズを交代で放映しながら、鬼平犯科帳(中村吉右衛門版)、銭形平次(北大路欣也版)を定番時代劇にまで育ててきた枠である。
決まり切ったパターンを持たず、江戸情緒を織り交ぜながら人間模様を描く時代劇ドラマ・鬼平犯科帳がおのずとこの枠のカラーを決めた。鬼平と銭平の交代する間を埋める短い連続時代劇は、地味ながらストーリー重視のドラマを送り出した。その積み重ねが、定型時代劇は見ないがこの枠はときどき見るという客を生んでいた。そこに帰ってきた独りの男。松平斬九郎。職業として、あるいは体制側の象徴として悪を倒す主人公がほとんどである中で、世が世ならばそれなりのお血筋でありながら、気どらず気ままに生き、ときにコミカルに、しかしいざというときにはかっこよくワルをやっつける。これだと桃さん(桃太郎侍)なんかと同じだが、渡辺謙の斬九郎には説教臭さがない。加えて、岸田今日子、若村麻由美らの味のあるキャラクター。毎回趣向の違うストーリー。そして、鬼平に通ずる映像美。水戸黄門や暴れん坊将軍のような時代劇とはちがうという意識で鬼平を支持していた層に、斬九郎はうけいれられたことだろう。この枠に斬九郎が復活したのは正解だ。多分、鬼平をやってなくても水曜8時に時代劇を見ようという人がなんぼか増えたはずだ。
一方、何シーズンかの間、日本テレビ系の「長七郎」の枠に時代劇がなかった。
昨年、やっと戻ってきたのが、最近バラエティーにもよく顔を見せる高橋英樹のさむらい探偵事件簿である。オリジナルの新作だ。でもそれっきり、また時代劇は姿を消した。で、ここの主の里見浩太朗はというと、NHKであぐりに出ていた。
それまでNHK作品やバラエティ風の作品をのぞいてフィルム作品がほとんどだった時代劇だが、VTRの波がやってきた。夢一座が舞台に舞い、「怒れ!求馬」、が伝統のナショナル劇場に登場したとき、わかってはいてもどうしようもない違和感におそわれた。
わたしはVTR作品だから見ないといった姿勢ではないつもりだ。そんなことをいってたらNHKの時代劇はみられない。しかし、フィルム作品の時とおんなじライティングでちょっぴり白く光った田村(兄)お奉行のあっぷがこっちに迫ってきたとき、こりゃあ困るなあ、と思った。
時代劇はある意味でつくりものだ。VTRにかかると、どうしてかは知らないが、それが20世紀の映画村やスタジオの中や京都の何とか橋であることが、ごまかしなく見えてしまう。
しかし、VTRにはVTRなりのリアリティーの作り方があるんじゃないかと思う。
NHKの水曜・金曜時代劇は開き直ってあれをスタイルにしているみたいだが、大河ドラマはべつにVTRだからとてつもない違和感が…という感じはしない。
でも、どぉっとふえたらかなわんなー。VTRになったことによって時代劇がみんな「江戸村見学会」といった風情になってしまわないように、こっそりお祈りしておこう。
暴れん坊将軍VIII、ご覧になっただろうか。
吉宗をのぞきレギュラー陣総入れ替えの感がある。スタート以来のレギュラーであった大岡忠相が横内正から田村亮に交代。また、北島さぶちゃんが隠居してめ組の頭は(なんとびっくり)山本譲二に、爺の役は高島忠夫にそれぞれ交代した。
大岡忠相は役者の交代だが、そのほかは第一作からのレギュラーはもちろん、IIIやVからのレギュラーも(ちらっと出るサブちゃんを除き)消えた。かわりに、吉宗のいいなずけである鶴姫(中村あずさ)が紫頭巾姿で立ち回っている。
暴れん坊将軍は極端な例だが、定番時代劇がどうも揺れている。
黄門様の長旅のために大岡越前(これは加藤剛の方)は登場せず、越前ファンをやきもきさせ、久しぶりに銭形平次をやっているなと思ったら、たったの5回。(しかも98年2月からのシリーズでファイナルである。)さびしいじゃないか。
年がら年中やっているような気のする水戸黄門だが、黄門様は「助けてください」と頼まれて旅に出るのではなく、自分で行きたくて旅に出ちゃうのだ。(25部)い、いいのかな、そんなんで。
松方・金さんは嫁を迎えた。水野美紀演ずるお奈津のかまとと(死語)ぶりがすばらしい。はあ?という感じ。金さんといえば、遊び人で町に出ればちょっといい仲の女が待ってるというのが定番。しかし今回は新婚につきそうもいかない。かといって「江戸を斬る」のように奥さんが大活躍するわけでもないよう。(水野さんならできるのにねえ。)
では町のいいおんな役はどうなるの?と思ったらこれが、女ねずみ。おもしろいことを考えるものだ。古手川・女ねずみはこれまでにないかわいさのあるねずみになっている。金さんVS女ねずみは新作もできるようで、それなりの人気もあったのかもしれない。
だが、そういった新しいテイストの導入は、なんとかして生き残ろうとする定番時代劇の苦しい状況の裏返しであるという印象はぬぐえない。
見慣れた顔をばっさり切って新顔をそろえてみても、無理して若作りしているようで、なんだか痛々しい感じがする。
(ただし、これらの番組については、根本的な解決をすると番組としてのアイデンティティーが危ういのでそぉっとしておくのがいいかもしれない。)
もうそろそろ長寿の仲間入りと思われる鬼平犯科帳については、まだ元気なように見えるし(高橋悦司の死去による佐嶋役の空白をのぞいて)さほどの変化はないが、
97年に世田谷文学館でおこなわれた「時代小説のヒーローたち展」での市川プロデューサーの対談で、なんと「1話からの撮り直し」計画が語られたらしい。(くわしくは時代小説SHOW
のここをどうぞ。)
わああ。
でも、伊三次が復活するならいいかな。
以下次回
ふつうの若者
リバイバルと原作もの