歌舞伎系の役者さんが時代劇に出ることはよくありますが、やっかいなのは、ほいほい名前が変わることです。しかも、その名前を他の誰かが受け継ぐわけで、後で当時の名前を見ても誰のことなんだかわかんない。団菊(市川団十郎と尾上菊五郎)の名前変遷くらいはなんとかわかるんですが、芝雀さんはこまっちゃいました。なわけで、教えてくれる方募集。(こればっかり。).
昭和40年代前半の「演劇界」(歌舞伎の雑誌)には(芝雀について)「あの子供はおもしろい。どう成長するか楽しみ」といったことが書かれていますので、その時期にはもう違う名前になっていたんでしょう。うーん、だれ??
→その後の考察
昭和37年に34歳の若さで夭逝した4世中村時蔵の前名が芝雀。
美貌の女形で将来を期待されていた矢先、睡眠薬の多量摂取で亡くなりました。
萬屋錦之介や中村嘉葎雄の兄で、現在の時蔵の父。この人が「昭和32年の中村芝雀」でした。
調べていたら、このあたりにもう一つ時代劇スターの物語があったのでご紹介しておきます。
歌舞伎の話になりますが、同じ中村でも、芝雀は京屋の名跡で、萬屋(or播磨屋)系のこの人(4世時蔵)がこの名跡を継ぐのは変則です。京屋を継ぐはずだった方が、戦死されたために、かわりに芝雀を継ぐことになったようです。ですが、結局元の家の時蔵の名前を継ぐことになったために、京屋を継ぐ人がいなくなりました。そこで、戦死した方の親友であった大谷友右衛門(先代)に京屋のおかみさんが白羽の矢を立て京屋を継ぐことになりました。これが今の中村雀右衛門です。大谷友右衛門は時代劇映画のスターでしたが、今では女形の重鎮として活躍されています。
わかりにくくなるので、先には触れませんでしたが、4代目時蔵さんの屋号は播磨屋です。この屋号は中村吉右衛門と同じです。本来なら時蔵は萬屋なのではないかと思いますが、先代の播磨屋(先代・吉右衛門)に男子がなかったため、甥っ子のこの人に播磨屋を継がせようとしたのかもしれません。(これは想像)しかし、先ほど書いたようにこの人は若くしてなくなってしまいました。
結局、先代吉右衛門の娘婿である先代松本幸四郎の次男(要するに先代吉右衛門の孫)が(生まれる前からの約束により)播磨屋を継ぎました。これが現在の中村吉右衛門。
→フォロー情報
萬屋、播磨屋の屋号について、Маша(マーシャ)様から以下の情報をいただきました。代々時蔵の屋号は元々播磨屋であるとのことです。4代目の時蔵が播磨屋なのは自然な成り行きなのですね。(2001.5.3
junjun)
歌舞伎役者の屋号としての萬屋が誕生したのは昭和46年です。
それまで 時蔵,錦之助らの一門は播磨屋でした。
播磨屋は吉右衛門の屋号というより むしろ逆で元々播磨屋は時蔵らの屋号だったのです。
三代目歌六(初代吉右衛門,三代目時蔵の父/四代目時蔵,錦之介らの祖父)の奥さん(同母/同祖母)の実家が芝居茶屋(萬屋)でお父さんが小川吉右衛門という人だったのですがその名前を残したいと考えたようで女形の名跡である時蔵は女形だった次男に継がせましたが立役(男役)だった長男に吉右衛門を継がせてます。
ちなみに 本名で 時蔵は小川になってます(吉右衛門と末弟勘三郎は波野)。
絶えていた萬屋の復活も考えてはいたようですが果たせないまま 三代目時蔵も初代吉右衛門も亡くなりました。
その後 錦之助が父(三代目時蔵)の遺志を継いで萬屋を復活し歌六,時蔵一門の屋号としました。
よって四代目時蔵の生前には萬屋は存在しておらず播磨屋だったのです。
(2001.4.7 Маша様よりメールでいただきました)
ありがとうございました。文章だけだとわかりにくいかと思いますのでМаша様のWebサイトにある萬屋の系図をごらんください。→萬屋の系図
**** -1959 (昭和34)**** エノケンの水戸黄門漫遊記 1954.6.15-1954.12.27 日本テレビ 榎本健一 猿飛佐助旅日記 1955.10.16-1956.12.23 KRT 千葉栄 江戸の影法師 1955.10.21-1956.2.24 KRT 中村竹弥 てんてん娘 1956.4.2-1957.6.24 KRT 宮城まり子 半七捕物帳 1956.5.3-1956.12.27 KRT 中村竹弥 参考:半七VS平次 太閤記 1956.8.20- 日本テレビ 大川太郎 三人三五郎 1956.9.19-1959.11.28 日本テレビ 岩井半四郎 鞍馬天狗 1956.11.1-1959.4.2 KRT 市川高麗蔵 忠臣蔵の人々 1956.11.3-1957.12.26 KRT 市村家橘 右門捕物帳 1957.1.3-1958.4.26 KRT 中村竹弥 水戸黄門漫遊記 1957.3.5-10.29 KRT 十朱久雄 若殿行状記 1957.3.15-1957.6.29 日本テレビ 中村芝雀 ありちゃんのおかっぱ侍 1957.5.7-1959.2.25 KRT 有島一郎 忍術真田城 1957.7.3-1957.12.25 日本テレビ 佐藤清二 若殿旅日記 1957.7.6-1958.8.31 日本テレビ 中村芝雀 宮本武蔵 1957.8.5-1958.8.20 水曜21:15-21:45 (30分) 日本テレビ 原作:吉川英治 脚色:宇野信夫 キャスト:宮本武蔵/安井昌次(昌二?)、又八/市村家橘、お通/加賀ちか子、朱美/中川弘子 お杉/村田嘉久子 データ元:(2),(1) 赤胴鈴之助 1957.10.2-1958.3.25 KRT 尾上緑也 磯川兵助功名噺 1957.11.2-1958.5.10 日本テレビ 榎本健一 キドシンのでかんしょ武士 1958.2.11-1958.8.26 日本テレビ 木戸新太郎 花咲ける武士道 1958.2.28-1958.5.23 日本テレビ トニー谷 薩摩飛脚 1958.10.4-1959.4.25 日本テレビ 板東吉弥 金四郎江戸桜 1957.10.20-1958.5.4 日本テレビ 板東好太郎 参考:遠山の金さん 大助捕物帳 1958.1.6-1958.8.25 日本テレビ 市川染五郎 又四郎行状記 1958.5.3-1958.11.22 KRT 中村竹弥 若君日本晴れ 1958.6.21-1960.4.30 KRT 明智十三郎 幡随院長兵衛 1958.5.13-10.28 日本テレビ 板東好太郎 銭形平次捕物控 1958.7.7-1959.6.27 KRT 若山富三郎 参考:半七VS平次 鉄砲小弥太 1958.8.2-1959.4.4 NHK 板東亀三郎 快傑黒頭巾 1958.9.1-1960.4.4 日本テレビ 若柳敏三郎 原作:高垣眸 西郷隆盛 1958.9.3-1959.2.25 日本テレビ 安井昌二 あんみつ姫 1958.12.1-1960.10.28 KRT 中原美沙緒 新吾十番勝負 1958.12.2-1960.3.29 火曜19:30- 30分 日本テレビ 江見俊太郎 原作:川口松太郎 ・昭和35年当時はカラー。 データ元: (1),および 別冊近代映画 昭和35年4月下旬号 (新吾十番勝負特集号) ←銀幕の、橋蔵・新吾の特集号だが、江見俊太郎がテレビの新吾について 3ページほど語っている。カラーになって白黒時代に比べ照明が3倍になったこと、 映画に比べてスタジオが狭いため立ち回りが大変といったことについて。 また、新吾の少年時代を江見の息子が演じていることについて、など。 旗本退屈男 1959.1.6-1960.7.26 KRT 中村竹弥 風小僧 1959.2.3-1959.12.29 NET 山城新伍 源義経 1959.2.6-1959.5.1 NET 北大路欣也 左近右近 1959.2.9-1959.9.28 立花伸介、藤間城太郎 南蛮小天狗 1959.3.2-6.29 フジテレビ 岩井礼一郎 赤穂浪士 1959.3.4-1959.12.23 NET 木村功 変幻三日月丸 1959.3.5-1960.2.4 フジテレビ 中山大介 風雲三剣士 1959.3.6-6.10 KRT 中村ゆたか 鳴門秘帳(鳴門秘帖?) 1959.3.7-1959.8.29 KRT 水島道太郎 天兵童子 1959.3.7-1959.6.25 KRT 尾上左近 フランキーの暗闇弥太郎 1959.4.1-1959.11.25 KRT フランキー堺 お笑い清水港 1959.6.14-1960.4.10 KRT 柳沢真一 矢車剣之助 1959.5.15-1961.2.3 日本テレビ 手塚茂夫 夢助千両みやげ 1959.7.4-1962.? NET 板東好太郎 大楠公 1959.8.7-1959.11.6 NET 徳大寺信也 ヒマラヤ天兵 1959.8.28-1960.9.30 KRT 松本松之助 風雲さそり谷 1959.8.30-1960.2.28 フジテレビ 若柳敏三郎 若さま侍捕物帳 1959.9.9-1960.5.30 フジテレビ 夏目俊二 幕末物語 1959.11.13-1960.5.6 NET 小柴幹治