やりとりの中では、義経を打ち殺そうとする弁慶をとどめるところの富樫。そこまで、松緑一人が空転していたのに、菊五郎のうわずった二言三言で一瞬にして舞台が近くなりくっきりとする。そこはもう、切り取って額縁に入れたいくらいの芝居である。
富十郎の義経はあたりまえのように存在。何でもできる人だなあ。
弁慶ラストの延年の舞は大きな舞である。
ここは、体を存分に大きく見せ、たっぷりと、ダイナミックに舞う。これがまだ何度も、何年も見られるのかと思うとうれしい。(2002.5.15)
この日はオペラグラスをもっていたので、富十郎義経をじっくり観察。ほんわりとしていてちゃんと義経ですごいのぅ。
唄はよくわかんないんだが、全員の節回しがぴったり三味線と同じだったところがわりとあった。あまり同じすぎるのも洋楽のようだなあ。そういえば、松緑が勧進帳を読むときも、音の高低を歌として体得しているのではないかと思ったりした。
京人形
左甚五郎が魂込めて作った人形が動き出す前半の所作事と、甚五郎がかくまっていた姫君を脱出させる後半に立ち回りがついて、つながりがぜんぜんわけさっぱりな芝居。
音羽屋親子にて。菊之助・京人形でかいっす。菊五郎、軽々とやってます。
田之助さんの足が心配。
素襖落
前回は国立劇場で「二人新兵衛」のときに、やはり富十郎、時蔵で拝見。
時蔵さんは、いつもながら姫御寮の衣装が似合う。
富十郎さんは、はきはきと現代的にしゃべる。
そして、酔っていても踊り出すときっちり。
千本桜
團十郎の義経。合ってるのかどうかよくわからないけど、別にけなす点もないです。雀右衛門の静御前。お疲れさまです。
で、忠信。声がかすれてきている。心配じゃー。
京人形
この日の方が菊五郎がしっかりやっていた気がした。
舌出し三番叟
爆睡。
口上
パス。
勧進帳
前回まででおおかた諦め(ひでー)がついていたので、冷静に鑑賞。
ものすごく目が疲れたが、なんとか最後まで…六法の前まで集中して持ちこたえた。
ちなみに六法の前までというのがなんでかというと、後ろの方のおばちゃんが変なタイミングで「よんだいめ、がんばれー」って。がっくりー。
ずっと見ていて思ったのは、ノット、勧進帳、山伏問答……とひとつひとつの山を越えるごとに、流れがふっと切れてしまうこと。心理的に「暗転」になる。だが舞台は明るいままだ。観客は自分の緊張を自分で保ち続けなければならない。
この日はその「暗転」がすこし解消されていたのかもしれない。しかし、それは六法の前までだったんだなー。
暗転は松緑だけのせいじゃない。富樫も、四天王も、番卒も、連帯責任。
すっかり緊張の糸が切れた歌舞伎座で、辰之助…ではない、松緑は、富樫に礼をした後、客席をすうっとうち見やるようにして、向き直り、揚げ幕を見据え引っ込んでいった。
半七捕物帳
初日は芝居がのびちゃってずいぶんまずかったらしい。
月末のこなれてからの鑑賞で正解。
花道に雪布。三千歳/直侍の趣向。
團十郎が半七と按摩・徳寿の二役。
子分庄太役の十蔵がよい味を出している。新之助休演による配役変更だが、結果上出来。
誰が袖という花魁が時蔵さん。酒乱で気鬱の花魁。これが、男が通ってこないイライラ、来たか?、なーんだ按摩か、えっ今度はホントに若旦那?うきうき…といった女心の動きを演じて、妙に的確。
三津五郎の若旦那とのじゃらじゃらからだんだん機嫌を損ねて喧嘩になって、終いに泣いてしまうところなんか、リアルで滑稽で(いいねえ、このコンビ)、傍らで場の雰囲気を読みもせずにしゃべり続ける團十郎の元から浮いてる感じと相まって、ぴったりと意図どおりの芝居になっている感じ。
花魁が妹(松也)を無碍にいじめるのがなぜなのか、が、観客だけが知っているひとつのおぼろげなヒントになるのだが、これについてはあまり活かされていたとは言えない。
ほかの見所は、これでもかと何杯も出てくる蕎麦。(美味いのかなあ。)
#それと、ものすごい婆さんコンビ。
ラストは、半七が謎解きをし、そこへ子分庄太が調子よく割り込んでくる。捕物帳にふさわしい幕切れ。
うちの妹曰く「古畑任三郎でした」。
口上
本来なら、雀右衛門が千穐楽のお礼とともに来月の案内をするのだろう、が、その分はすっかり田之助が引き受けていた。
初日のフォローは、新聞で大きく報道されていたが、前々日も、田之助は雀右衛門がしゃべっているときに小さく「違う違う」というように首を振ったりしていたので、結構大変な一ヶ月だったのかもしれない。お二人ともお疲れさま。
勧進帳
勧進帳のぞき見の妙な型と間も、いちいち納得してから次の質問をくりだす慎重な「面接官」富樫も、変わらないままだった。少々「暗転」してしまうところも。
結局最初におかしく思ったところはおかしいままだけれども、少しずつ間が詰まって芝居が持続するようになったのではないだろうか。
花外前方だと、弁慶は後ろ姿が多くて富樫がよく見える。
富樫が中啓を投げ、さっと立って刀に手を掛けた瞬間が、この芝居で通常以上の意味を持っているのを、今日ははっきり感じた。
「ジェットコースター」が下りに入る瞬間である。これより前のリズムが停滞しがちなので、ここで劇的に転換出来なかったら芝居が死んだままになる。
義経を打擲する弁慶との必死の問答に菊五郎のエネルギーが注がれる。
この後富樫は退出してしまうが、ここで気持ちを揺さぶられることが、その先の芝居が回る原動力になるのだ。
富樫の決意に打たれ涙を浮かべたまま、弁慶が泣き、判官が手をさしのべるのを見てご覧なさい。
魔法のように素晴らしい芝居じゃないか。(騙されてる)
そのあとはもう、松緑の手に入った芝居だ。任せればいい。
幕が引かれた後、松緑は舞台に一礼し、客席に向き直って、深く頭をさげた。
3年前の彼を包んだのは、間違いなく、よくやった、よくやりおおせたという賞賛の拍手の嵐だった。会場が割れんばかりであった。
今の彼にも同じように拍手が注がれる。それは、がんばれ、もっと大きくなれという期待の声である。
半七捕物帳
團十郎が、25日よりノッていて、台詞も滞らずよい出来。
綺麗に終了。よい気分。