吉例ぱぱおとわや

月々の舞台について思うことなど。


2002.7.7 国立劇場 第六十一回 歌舞伎鑑賞教室

仮名手本忠臣蔵、五段目、六段目を上方演出にて。見栄えのための入れごとをばっさり切っていて合理的。 勘平を扇雀、おかるを孝太郎。
これは拾いものだった。五段目のあたりちょっと決まりが甘いなあと思ったりするが、六段目は面白い。独特のほいほいしたテンポがあり、かほどせっぱ詰まったところでも五人を包む空気に一歩引いた滑稽さが漂う。女衒源六(嵐橘三郎)べりーぐーでございます。
扇雀はミニ鴈治郎のよう。この困った男が勘平であるという説得力(つまり人間造形というところ)は多分鴈治郎だったらもっと出るのだろう。十一月の鴈治郎による通しが見たくなった。

今回の演出について、いつもと違うところを思い出せるだけ→メモ


巡業の夏日本の夏(?) 2002

2002.6.29 公文協中央コース (北とぴあ)

諸事情あって「春調娘七種」をパス。毛抜から。
粂寺弾正の左團次さん初日なので台詞につまったりしているのですが、人物自体が「そのもの」なので許す。
若衆や娘にからむところも、むっつりスケベじゃなく、ちょっと遊んでみて、やー失敗失敗みたいなふうだし、大役をしおおせて帰るときも、「じゃ、帰りましょうかね」という感じで、気負っていなくて楽しく見られます。
鷺娘を時蔵で。美しく、しかし、やってることはへヴィー。去年のように引き抜きでまずいことがあったりしないかとはらはら。
でもその辺は大丈夫だったように見えました。出囃子、雪、二本傘。(←メモ)
お囃子さんがまた初日ぃな雰囲気を醸し出していました。一緒にしたら怒られると思うけど、うちら(洋楽器アマ)でも初めて合わせるとき、ああいう、「落ちるなよー、なにがなんでもついていけよー」な感じになる。
あと、前に講習会でならった「すたすたすったーすとすとすっとん」ってこのことね、と。そのフレーズだけ妙に鳴物気になって気がつくと時蔵を見てなかったり。時蔵さんごめん。(2002.6.29)


2002.5 , 2002.6〜 松緑襲名。本人がいつまで苦悩してるつもりなのかしばらく観測。
菊五郎の魚屋宗五郎などの記録も一緒にそちら→ たつのおとしご


2002.3.16 新橋演舞場 昼 「疾風のごとく」

三之助劇場、おやじと女優付き。(ちなみに女形も混じっている)
菊五郎劇団は危なげがない。時代劇もかるくまとめてしまった。
脚本は金子成人。原作換骨奪胎男。

常陸の国のある藩の政争と三人の若者の話である。
菊之助は右筆の息子、辰之助は郡奉行の息子、新之助は郡役人の息子で先の2人がぼんぼんなのに比べ、最低限の禄で生活している。新之助の役の父親が殺されるのが物語の発端。
出だしから最後まで、菊之助は上品に高品質を保っている。おもしろみはないけど実力を感じる。
辰之助は1幕目、剣も下手、台詞も説明的でがっかりさせる。それが2幕目では別人。升酒片手に敵を探る様子、新之助の姉への告白。愛嬌と実直さとほんの少しのあきらめ。この役は彼のものだ。……剣はまずいが。この役は剣がたつのに、さらに上を行く人物により筋を切られて侍を捨てるという役なのだ。説得力ゼロ。これは惜しい。
新之助は狂気なりすさんだ状態のときは本領発揮してるが、普通の時の演技にまとまりがない。ただし、ボケだけは上手い。素ですか?


2001/9/2, 9/15 新橋演舞場 昼夜

三之助・亀亀Bros. +引率に團十郎、彦三郎で花形歌舞伎。
(この座で菊五郎が出ないなんてぇえええ。)
歌舞伎を初日に見るのは初めて。そして…もういっかい鑑賞。
初日のなにがハプニングだったって、昼の部が押すわ押すわ。4時25分までたっぷりかかって終了。原因は「たぬき」。たとえ左團次さんの台詞がすんなり出てきていたとしても、やっぱり押しただろう。(^_^;;) たぶんね。
この芝居、しかたがないので削って削って削った結果、後から見た方が数倍良かった。
いちど死に、別の人間として世間を欺いて生きる主人公こそがたぬき。そんなところが、より、浮き出てきていたと思う。
この話でよく人物が描かれていたのは、秀太郎さんのお染。前半は、あっけらかんとちゃっかりな女なのだが、やがて、恋人とも倦怠期、お金もなくて酒も仕入れられない、そういう状況で、かつての旦那と再会する。そのときの、遠巻きからそうっと見て、驚き、やがて、よく似てるけど違う、旦那はもっとやさしい顔をしてたよと、ひとり納得したようにうなずく様子。笑ったような、さびしいような。かつて、主人公がどんなにいい人だったか、この芝居の中でもっともよく表現し得たのは、このお染だ。
ほか、新・菊で鳴神。こんなもんか。
辰、初役で土蜘。
最後の「はっ!」という気合いで思わず割れんばかりの拍手をしてしまっている観客。騙されてる。騙されてる。
築山殿始末。新之助の信康。ぴったり。熱演。緊迫したよい芝居。だが、これで張り上げすぎるおかげで他の芝居の声がめちゃくちゃになってしまう。
菊之助の鏡獅子は見る側も緊張して疲れるけど、すがすがしく凛々しい。吉。
彦市話。主役は「殿さん(新之助)」のほうでないかと思わせるような芝居。辰之助はこういう世界には異様にはまる。天狗の子の巳之助くんが上手。

(2001.10.24)


2001 夏のお芝居いろいろ

歌舞伎鑑賞教室(七月)

大きな舞台の国立劇場と間近な舞台の神奈川青少年センター。
なぜか、都合三回も見てしまう。
歌舞伎鑑賞教室は亀寿で、十二支総登場。72年に一回しか(笑)出ない羊も出て、豪華豪華。かつての坂東うさぎこと橘太郎氏が玉兎を踊る内輪受けなどあり。
文七元結。
菊五郎・田之助のコンビは動きませんが、お久、藤助を松也、菊十郎に入れ替えて、すこしだけ風味をチェンジ。
長兵衛夫婦のやりとりなどを短くして、より締まった芝居に。
文七の世界が近くに感じられる神奈川の舞台がまたよかったのです。
近江のお兼で、ここまで停滞していた女形・菊之助くん復活の予感。

公文協中央コース(松戸)

巡業ならではの、よーわからん座組。
梅玉・松江兄弟、彦三郎、東蔵の引窓が、皆いいひとで佳作。
最近の梅玉さんはほんとにいいなあ。
忠臣蔵YEARにつき、忠臣蔵から五段目が出ましたが、扇雀と辰之助のバランスがいかにも、わろし。

公文協東コース(相模原)

六段目を團十郎の勘平で。なんとなく段取りが悪かったような…。
おもしろかったのは男女道成寺で、ダイナミックに鞠をつく新之助がおかしかったです。

公文協西コース(新宿)

中村さんシリーズ。これは…ねむかった。
えーと、忠臣蔵の七段目。由良さんが富十郎。お軽が芝雀。
お軽のあんちゃんの平右衛門が信二郎。
ほかに、時蔵で娘道成寺。帯がずれてしまってかわいそうでした。

(2001.10.24)


天一坊
2001.6.9 歌舞伎座 昼の部
なんでこんなにうごかないんだぁああ。
ねるじゃないかあああああ。
…見てない人には訳の分からない感想で済みません。(と言いながらも起きていたのですが)
菊五郎劇団系の復活通し演目には「練り直して再演を!」…な、苦い思いを幾度もさせられているのですが、国立劇場なら、まあ、こういう歴史的に意味のある実験的なこともやってもよかろう。お勉強のために見ておこう。くらいの気持ちになれる。だが、歌舞伎座はいけません。心情的に。
それでも前半はゆるしましょう。あたたかな日常に舞い込んだ一筋の誘惑。菊五郎の法沢が(清心と同じで)なんで悪にころんだのかさっぱりわからなくても、(←それを淡白な味とひとは言う。)ばあさんとの交流があり、殺しがあり、欺き、工作、逃亡。後への伏線はたっぷり張られました。
しかし。團菊仁のビッグネームがそろってるのに、なにゆえ後半こんなに座ってばかりなのか。
特に切腹のところがツライです。うだうだうだうだ、いつまでなにやってるか。早く切れ。(おいおい)
ここでしばいがだらーーんとして牛歩になったところに、突然帰ってくる池田大助。
この役は儲け役です。この役が出ることで芝居が生き返るのです。
そして、私ははっきり悟りました。産毛の金太郎!。二人新兵衛に出てくる役です。(別稿に書いてます。)
うだうだうだうだ芝居がどよーんとしたそのときに、唐突に現れる産毛の金ちゃん。
あのときに私はその唐突さを辰之助のせいにしたのです。
だが違う。菊五郎が出てきても、こんな出方をしたらやっぱり唐突なのよ。芝居が廻らなくなったからといって、こういう役で無理矢理回すのはムリがあるというものよ。
短い芝居なら、最後に怒濤の展開で幕切れはありだけど、これだけ長い芝居なら芝居自らの力で回ってもらわなければ、見る側は退屈する。
というわけで決まりの台詞。
練り直しての再演希望っ。…で、できれば、もういっぺん仁左さんも連れて。(未練たらたら)

追記:ちなみに、細かいところでは私の好きな小ネタもあって、上からねずみが落ちてきたり(いまだになんで落ちてきたのか不明)、鯛が動く仕掛けがあったり。
夜の部は義経腰越状の義経に菊五郎。昼夜同じような格好だが、昼の方が若い。
(2001.7.2)


やまんばひーちゃんの秘密

だいぶむかしの演劇界別冊を購入。かつての三之助(父君たち。團十郎さんが新婚の頃)の座談会。話自体は優等生的でそれほど面白くないけども、一箇所、「わー…」と思ったのは、菊五郎の台詞。 おしろいが乗らないから焼いてください、と言われて(誰にじゃ?)肌を焼いている、と書いてある。 そ、そうだったのか。それが20年つもりつもって…。 (2001.6.9)


2001.2.10 歌舞伎座 板東三津五郎襲名 昼の部

十六夜清心
菊五郎の清心、玉三郎の十六夜。
十六夜清心、というのは、悲劇か、喜劇か。
悲しいことはすべての面からみて悲しいわけじゃない。まわりから見たらひどく滑稽かもしれない。
ではあるけども…。

清心というのは、菊五郎の芝居を見る限りでは、はっきりした信念をつらぬけるような意志をもった人物ではないようだ。女犯の罪を犯したのを悔いてもう一度出家得度しようというのも、長年坊主をやってきたのでそういう思想に影響されてしまっただけ、のように思える。そして十六夜が連れていってもらえなければ廓にも戻れないから死んじゃうというのを聞いて、自分もどうしようもない気分になって、一緒に身を投げちゃう。(というふうに見える。)
が、死ねない。その、悲しいおかしさ。

もともと大した意志もなくふらふらとしていたのが、他人の目というつっかえ棒を失い、悪い方へ振れてしまう。(それもそこのところだけはっきり自分の決断なんだから皮肉だ。)清心が坊主だったのは、多分、単なる偶然だ。

で、これを笑いに来る観客がいるのは、道理。菊五郎は、はっきり、笑ってくれという演技をしてるわけだから。

けど、十六夜は、自分と通じたために追放されてもう会えなくなってしまうかもしれない清心に、廓を抜けて必死で会いに来て、鼻緒を二回も切って。そんな彼女を、もう、最初から観客が笑う。 必死さが可笑しいか。鼻緒が切れてこけるのが可笑しいか。どちらにしろ、笑われる十六夜(玉三郎ではなく。玉三郎がどういう反応を期待してその場面を演じているのかはいまいちわからないから。)は、気の毒だ。
(2001.2.17)


2001.1.20 歌舞伎座 板東三津五郎襲名 夜の部

曾我の対面
八十助改め三津五郎の曾我五郎、菊五郎の十郎。
豪華スター勢揃い。(…それ以外に書きようがない)
劇評では、そろって、五郎の「正しさ」というか、基本がしっかりできていてこその、この五郎、というあたりを誉めている。
私は、その辺がわかるほどの目はない。よくわからない。
十郎は、はやる五郎をとにかく制止する役。
手をぴんと五郎の前に伸ばし、いやいや、いかぬ、待つのだ、というふりでちいさく首を振り、横目で制止する。
その目がすごく菊五郎。

口上
11月のらくだでも、八十助の次は3度目の女房、ネタで笑いをとっていた音羽屋は、口上でもその辺をネタに。
この辺をはっきりネタにしていたのは左團次と菊五郎。
毎日毎日こんなこと言われてるわけで。2月も同じようなことを言われてるわけで。都合60日ほどでしょうか。
これから、大阪、名古屋とあるわけで…プラス40日ほどでしょうか…。
三津五郎も大変です。

(2001.2.17)


2000.12.23 国立劇場12月歌舞伎公演

通し狂言 富岡恋山開(二人新兵衛)
玉屋新兵衛/尾上菊五郎、出村新兵衛/中村富十郎、小女郎/中村時蔵、鵜飼九十郎/中村信二郎おえん/尾上菊之助、茨の藤兵衛/市川団蔵、産毛の金太郎/尾上辰之助 、ひつじのなかみは、尾上音吉。
通しの長ーい芝居。 二人の新兵衛に菊五郎、富十郎。 菊五郎・新兵衛の主筋にして恋人役が時蔵。その兄に信二郎。 菊五郎・新兵衛のいいなずけが菊之助。
富十郎・新兵衛と菊五郎・新兵衛の恋の鞘当てが中心となるのかと思いきや、そこはわりと印象に残りませんでした。
演技をするひつじくん、唐突な、でもかわいい産毛の金太郎、そして盛大な盛大なお魚の立ち回り。たのしいたのしい。
でも、そういうものがいちばんの話題でいーんでしょうか、この芝居。(ぽりぽり)
人物としてよくわかるように描かれていたのは九十郎。新兵衛の主人ですが、今は堕落しきっています。尾羽うち枯らした浪人という表現が似合うような。金があれば使ってしまう。家の宝を持ち出して質に入れてしまう。菊・新兵衛が意見をしても意見をしても、その場ではいいつくろって、全く改善される気配がない。悪人というよりは、どうしようもない人。新兵衛は主人がそういう人であるのを知っていながら、真摯に仕えています。 その一方で、主人の妹である小糸(ちらしでは小菊。)…今では小女郎と言う名で遊女になっている…となじみに。その心情はどういうものなのか。
その後の展開から読めるのは、玉屋新兵衛という人物は、女とのことよりは、男同士の世界の方に重きを置く人物であろうということ。出村新兵衛との争いで彼の額を傷つけてしまったにもかかわらず、その出村が小女郎の身請けに使おうとしていた金を家の重宝を取り戻すために振り向けてくれる。玉屋新兵衛は、自分の額を同じように傷つけてその意気に応じる。出村という人物も、身請けまでしようとした女をそんなふうに簡単にあきらめられるものなのか、不可解なところがありますが、玉屋新兵衛の方も…そりゃまあ、主人を殺してしまってからしゃあしゃあとその妹と一緒になるというのは出来ないにしても、本人(小女郎)のいるところで、他の人物へ、きっぱり切れたと言ってしまえるものなのか。まるで、おえんと一緒になってめでたしめでたしみたいなことになっているけど、それでほんとにみんなめでたいんでしょうか。不可解。不可解。 しかし、お魚の立ち回りという反則技により、その日は確かに近頃ないような充実した気分にはなれたのでありますが…。

素襖落
太郎冠者に富十郎。 大名に菊五郎。姫御寮に時蔵。なんと美しいお姫様。これは収穫。
太郎冠者。話のなかでは、物語の名手ということなのでしょう。お姫様もきっと折りにふれて太郎さんの話を聞くのが好きなんだろうなあ、と思わせるような踊り。 でも話の筋がはっきりわかるような、というよりは、富十郎の魅力発揮大会、という感じ。
大名・菊五郎は、普通。あまり困っている様子を作ってもないし、からかうのがすごく楽しそうというのでもなく、平均的にまとまっているというか。

(2001.2.17)