鬼平はつまらなくなったか

最近鬼平がつまらなくなった…と、こぼす人がいる。去年から今年くらい。
少なくとも二、三回は別のところでそんな意見を目にしている。
自分は、それほどつまらないとは思わない(こんなものかな、と思う)のだが、そういう人がいるのだから以前に比べてつまらないのかもしれない。
で、その理由というのは、脚本が悪い。池波正太郎の死後、彼のチェックが入らなくなったからだというのである。
当代/中村吉右衛門の鬼平が開始されたのは、1989年7月。
池波正太郎が没したのは、1990年5月3日。はやいもので、もう、まる八年たつ。(これを書いているのは1998年7月である。)
池波正太郎が生きている間に放映された吉右衛門シリーズは、第一シリーズだけ。 市川プロデューサの話によれば、当代/吉右衛門のシリーズが始まったころは、池波氏からぜんぶ任せる、といわれていたそうである。そんなわけで以前のようにいちいち脚本に赤を入れたりはしていなかっただろうが、いちばん厳しい視聴者としての池波氏の目が光っていた、ということはあるだろう。最初のシリーズは主要キャラクターの登場話(血頭の丹兵衛など)もあり、確かに人気が高い。だが、第三、第四シリーズにも忠吾なみだ雨、密偵たちの宴、討ち入り市兵衛、正月四日の客、など人気の作品がある。
そんなわけで、ただ池波氏が亡くなってからつまらなくなった、では少し短絡だ。
鬼平では、昔の、たとえば先代/幸四郎のころの脚本でも、 よくできた物は繰り返し使って いるそうだ。歌舞伎や戯曲のように、同じ作品を別の人間が別の演出で演じてみせる。という世界。おとっつあん幸四郎が演じた鬼平は91本。
これらの脚本は、池波氏のチェックを通っていることだろう。当時は鬼平の原作がそろっていなかったこともあり、別の作品をつかったりしている割合が高いので、吉右衛門シリーズではとりあげていない話も多いようにみえる。だが題名から同じ話と推測できる話の分布は、吉右衛門の各シーズンに散らばっていて、特に最初の方にかたまっているということはない。 ところが、8から最終シリーズあたりにくると、吉右衛門以前の作品では映像化されなかった話が多くなる。となると、確かに池波氏が脚本も映像も見たこともなかった作品がかたまって映像化されているわけで、ここ1、2年の作品が「池波チェックをとおっていないから」つまらない、という論法も一理あるかもしれない。
それでも、なお、である。池波正太郎のチェックを受けていない脚本、とテレビがつまらなくなったと言われることは直結というよりは、ことの一面なのだろうと思う。
これまた、どこかで読んだ話で申し訳ないが、テレビにしにくい話が最後に残ってしまった、ともいう。
作る人も変わっただろう。
吉右衛門の平蔵だって、はじまったころとは演じ方も違う。いなくなってしまったレギュラーもいる。
水曜日は鬼平があって当り前、面白くて当り前、 と思うようになった現在と比べれば、こんどはどんな作品が出てくるんだろう、 と待ち構えていた私達の姿も、違うだろう。
そうやって、自分がファンになった時期に比べいろんなものが変わっていったことを、つまらなくなった、と感じた人もいるのではないかと思う。
後世、ずらりと並んだビデオをピックアップしながらみる人達もやっぱり、最後の方はつまらない、なんて言うのだろうか。それは、9年の間、吉右衛門鬼平と過ごしてきた私たちと果たして同じ感覚なのだろうか。
鬼平は、つまらなくなりましたか?
Last modified: Wed Jul 29 01:13:56 1998