Junjun's Gottalog
時代劇と歌舞伎以外の古い書き物をなんでも

表と裏のような二人が別の舞台を作る話

6月 26th, 2015

同じ劇場で、複数の団体が1コマずつ受け持って、それぞれ独立採算で2日間の興行。そういう舞台がありました。

そのうちのひとつについて。これはアクション重視の舞台です。
筋の意味は分からん。あってないようなものだよねー。
あと、人数がとても多い。まあ、出したかったんだろうねえ…
でもアクションをしっかり見せていくことに注力していて
少しお遊びもあって、音と動きのシンクロとか、やってみたいことも成功していて、
のべつ幕なしにずっとアクションしている。全員ができる人ばかりで、主演クラスの人自らの立ち回りも圧倒的で、ああすごかったなーって思える舞台でした。

別のときに、その舞台の重要な役割のかたをお見かけしたのでご挨拶にいきました。
「拝見しましたよ!」
「どうでしたか?」
「人数多かったですねえ」
「人数ばかり多くて」
「のべつ幕なしにアクションしててすごかったですよ?」
「もっとストーリーを入れたかった。」
「?でも、アクション主体でしょう?いいんじゃないですか?」
「ストーリーを入れたかったんです。あれでも入れたんですよ。最初はもっとアクションだけだった。」
って。いつもの困ったみたいな顔で言うんですよ。不本意そうなんだ。
私がそこの団体にしがらみのない存在だから言ってくれたのでしょう。
わたし「うーん、いろいろ制約がありますからね」って逃げてきてしまった。
筋がねえよ、というのはかすかに思って、抑えつけてしまった思いではあったの。
この特上のクオリティを作るため、保つためには、筋がどうでも、ひとが大量でも、しょうがない。
アクションショーがやりたいのに普通の舞台のふりしてやっちゃって、あってもなくてもいいようなストーリーつけて数千円取る舞台より、ずっと満足度も高い。
アクションばかり、上等。それ以外のところは切り捨ても潔し。

だけどだね、それが理想とした結果じゃないのなら話は別なんだ。

その日、あの人やあの人が出てる。
日が重なっていなかったら、別の団体に出てくれたかもしれない人だなって思いながら見ていました。
同じ日に舞台があるもうひとつの団体は、アクションの大切な役割を度々前述の団体にお願いしています。
けど、今回、掛け持ちは無理なタイトな舞台となっています。
だから違う人が来ています。
大事なところに魂が入らない感じ。
こちらは、数週間前に、座長さんが脚本が上がってきたと教えてくれました。赤入れなど忙しかったようです。
「面白くなってると思いますよ。」
「アクションは?トランポリンとかやれば?」
という別の人のことばに
私の頭によぎったのは、同日の別の舞台のこと。
重なるもん。人がいない…

座長の言葉は
「すごいアクションは難しい。
できることで勝負するしかない。
お芝居で。」
と。

なんて皮肉なんだろうと思う。
アクションばかりになってしまったという人と
芝居で魅せると言わざるを得ない人と
それがまた、決して浅くない友人であり、お互いを尊重しているとわかるゆえに。
彼らは…ひとつの役の表と、スタントをつかさどるような表裏一体の関係なのです。
それが、今回、同じ日に同じ劇場で別々の舞台を作る。それゆえに別々の体に引き裂かれる。

結果は、両者の強みを出した舞台になりました。アクションと芝居。
けど、「芝居」にちょっと人貸してくれて、その分「アクション」のストーリーを練り直して…とか、したら、違う出来上がりになったかもしれないよね。
いや、いっそ一緒にできたら。
世の中、うまくいかないですなあ。

オタクの付き合いは

7月 1st, 2013

オタクの付き合いは対象物についての会話になりがちだ。
対象物を取り去ると、繋がりは霧散する。今まで、その人とコミュニケーションしていたと思ってたのが、モノについて一方的に語っていたに過ぎなかったと気づく。
繋がり続けるには、無理にでもネタを追い続けることになるし、
自分の産むものからうまれた繋がりなら、自分で産み続けないといけない。
最初はモノについて語っていたのが、語るために繋がるためにモノを追うことになる。これは本末転倒なだけじゃなく、苦しい。
本当の繋がりなら、介在したモノを取り去っても、話題に困ったりしないのでは?
そういうことを、10代の頃から思ってたくせに、何度でも罠にはまる。
こんどこそ、深い傷を負わぬように、と、気をつけていたはずなのに。

個人コンテンツがホームを失ってゆくこと

1月 8th, 2013

はてなブログが正式サービスになるとのこと。
ブログ以前に、ユーザが持っていたのはいわゆる「ホームページ」だった。
ホームページは、本来はWEBサイトの顔になる、最初にそこに訪れ、都度そこに戻るというポジションだが、日本語のホームの語感からだろう、俗にひと固まりのWEBサイト全体を指す言葉になって広まっている。
フレームのない時代、ハイパーリンクをどんどんたどっていくと、サイトの中で自分の居場所が分からなくなる。
ホームは玄関であるとともに、迷路から出るための非常口でもあった。
HTMLでできることが増えるにつれ、2列、3列のレイアウトでコンテンツの外側にメニューによるナビゲーションをもつ形式が主流となる。
ブログはこのレイアウトを採用して、1画面にポータル(≒ホーム)もコンテンツも詰め込もうとする形で発展した。
自分のWEBサイトを持たずに、ブログなどのサービスにだけ契約しているユーザの場合、ブログのトップはユーザーの持つすべてのコンテンツの玄関も兼ねる。
はてなダイアリーも、こういうことが可能なブログだった。
しかし、新しい「はてなブログ」は「ここに集約しよう」という思想は同じようだが、どっちかというとタイムライン的な、ライフログ的な意味合いを感じる。
(ツイッターやFaceBookといった対外のSNSに対して開いているくせに、はてな内のサービスに対しては妙に閉じているのも、疑問なところだが、そこは、ベータだったからか?)
ツイッターやFaceBookは、コンテンツが入り乱れる世界であって、それをどういう囲いの中で見るかはあまり重要でない。
はてなブログはそっちに親和性がある。

しかし、ダイアリーが俺の城、だった人にとっては「はてなブログ」化は、ある種囲いを失うことになる。(ダイアリーはなくなるわけじゃないそうだが、でもいずれは…アレだろ?)

これからどこを玄関にすればいいか。
はてなダイアリーを徐々にはてなブログに吸収していこうとするなら、ブログとは別に、ばりばりカスタマイズできる対外的な個人の玄関。そういうビューが作れるサービスを用意するのはいかが?
玄関や構えが欲しい人、まだ、いると思うよ。

iWeb の Blog の内容をRSSを使って WordPress に移行する

1月 6th, 2013

iWeb の Blog の内容をRSSを使って WordPress に移行する
※参考 “How To: Import your iWeb Blog to WordPress” http://www.maciverse.com/how-to-import-your-iweb-blog-to-wordpress.html

RSSに出ている部分しか移行できません。

1. あらかじめ、iWebで、自分のPCのローカルフォルダに自分のWEBサイト一式を公開しておきます。
 または、リモートのWEBサーバに公開されているファイル一式を、FTPなどで自分ちに持ってきておきます。

2. ご家庭にあるサーバ、もしくはお近くのレンタルサーバにWordPressをインストールします。
今回は現時点(2013.1)で最新の WordPress 3.5 日本語 を入れます。
ダウンロードは http://ja.wordpress.org/ から。

※ここの詳細は省略します。上記の WordPress 日本語ローカルサイト にあるインストールの説明を読んでください。
 ともかく、インストールできたものとして勧めます。

3. 管理者でWPにログインします。
4. ツール-インポートを選択します。
5. RSSを選択します。
※初回のみ 5-1. すると「注意: このプラグインは現在使用している WordPress のバージョンではテストされていません。」などという画面が出て”ぇぇぇぇ”な感じになるが、(RSS Importer は WP3.4までしか対応してない)
とりあえず、「いますぐインストール」
※初回のみ 5-2. 「プラグインを有効化してインポートツールを実行 」
6. 「ファイルを選択」で、iWebで公開したサイトのフォルダ配下の、ブログ名のフォルダの下にある rss.xmlを選択します。
7. 「ファイルをアップロードしてインポート」
8. “All done. Have fun!” と表示されたらできあがり。

この時点で、カテゴリーなどは入っていないようなので、WPを使って適切に入れてやります。
ここでは、iWebでのブログの名前をカテゴリーに入れることにします。(操作方法はここでは省略)
複数のブログがある場合は4-8を繰り返します。

Active Directoryを使用していないWindows XP Professional へリモートデスクトップ接続した際に、ローカルドライブを使用できるようにする。

12月 19th, 2012

Active Directoryを使用していないWindows XP Professional へリモートデスクトップ接続した際に、ローカルドライブを使用できるようにする。

…ADを使ってない場合のグループポリシーエディタの開き方、ともいいます。
(1) リモート側の管理コンソールを開く。
 ※名前を指定して実行で mmc と入力

(2) ファイル>スナップインの追加と削除
(3) [追加…]
(4) スタンドアロン スナップインの追加 ダイアログで「グループポリシーオブジェクトエディタ」を選択し[追加]
(5) グループポリシーオブジェクトの選択 ダイアログで[完了]。
※グループポリシーオブジェクトの内容は「ローカルコンピュータ」のままでよい。
(6) スタンドアロン スナップインの追加 ダイアログを[閉じる]
(7) スナップインの追加と削除 ダイアログで[OK]
(8) 左ペインで、コンソールルート+コンピュータの構成+管理用テンプレート+ターミナルサービス
  と展開していき、「クライアント/サーバーデータリダイレクト」を開く。
(9) 「ドライブのリダイレクトを許可しない」を右クリックし「プロパティ」を開く。
(10) 「未構成」または「有効」となっていたら「無効」を選択する。
(11) [OK]
(12) 管理コンソールを閉じる。
(13) リモートデスクトップ接続し、マイコンピュータを開いて「○○○のC」
  のような名前でローカル側のドライブが表示されていればOK。

Aptana Studio 3 (3.2.2)をインストールし日本語化したメモ。(2012.12時点)

12月 19th, 2012

こちらを参考に Aptana Studio 3をインストールしたメモ。(2012.12時点)
http://meglog.net/useful-tools/aptana-studio3-zen-coding.html

(1) Aptana Studio(Standalone Version) を入手
http://www.aptana.com/products/studio3/download
 VERSION 3.2.2.201208201020 でした。
 この間ダウンロードしたばっかりなのにもう3.3が出てる。ショックなー。

(2) 普通にインストールします。
中身のパスの文字列が非常に長くなるので、短いパスにインストールしておく。
E:\Aptana3

(3)ベースのEclipseを確認する
一回Aptana Studioを立ち上げてみて、help>aboutなんとかのメニューを開く
Eclipseのアイコン(紫丸)をクリック。するとEclipseの中身の一覧が出てくるので
Versionを確認する。
Eclipse 3.7.2ベースでした。
確認したら、Aptanaは一旦終了させます。

(4)バージョンの合致したpleiadesを入手する。今回は 3.7 indigo を入手。
なお、解凍も短いパスになるようにしておきます。
http://mergedoc.sourceforge.jp/

(5)meglogさんの手順の、featuresとplugins以外に、dropins もコピーする。

(6)AptanaStudio3.ini への追記内容は、もとのpleiadesのeclipse.iniからコピーする。
  3.7の場合は以下のようになっていました。
-javaagent:dropins/MergeDoc/eclipse/plugins/jp.sourceforge.mergedoc.pleiades/pleiades.jar

(7)Aptana Studio を起動します。

これで日本語さなってっちゃ。

ソ連崩壊の思い出は私にもあって

12月 24th, 2011

NHKの解説委員室のコラムに、石川一洋解説委員が、ソ連崩壊時の思い出を書いている。
(2011/12/21 連邦崩壊20年 忘れ得ぬ人)

http://www.nhk.or.jp/kaisetsu/column/index.html

それで思い出した話。私は大学生だった。
私の学校は、マルクス経済学の最後の砦と…呼ばれていたらしいのだが、
社会主義経済学を専門にする先生や先輩もまだいた。

うちの経済学部と法学部にはそのころ変な制度があり、論文(よその学部で言う卒論)を書けば12単位もらえる。書かない場合はそれを講義で取ってもいい。
私は論文なんか大嫌いだったので、余計に講義を取らなければならなかった。
そんなわけで、まったく専門外の社会主義経済の講義も受けていた。

自分の大学でまかなえないものについては、他の大学から先生を招いて、連続講義というのがある。当時は夏冬あった。
このとき、ソビエト経済論というのがあった。冬だったと思うが。この講義は、ソビエトにはセントラルヒーティングというのがあるがたいてい壊れててな、地 下鉄の改札はこうなっててな、というような話が面白かったので覚えているが、ある朝、先生が来て「大変なことになりましたね」というようなことを言ったと 思う。シュワルナゼ外相が辞めた。
当時すでに、東西の構図はくずれており、こんなときにソビエト経済論なんかやって意味あるんだか、と思ったが、これはまだ序の口。

レギュラーの講義に社会主義経済論というのがあったが、大学の講義というものは、教授が今何を研究しているかに左右されるもので、この講義、「ベルリンの壁はどのように崩壊したのか」という話に終始していた。
ところが、1991年夏、一大事が起こる。ソ連でのクーデターである。ベルリンの壁は一旦置いといて、ソ連情勢をリアルタイムで追っかける講義になってゆく。
これ、なにがテストに出るのか。社会主義経済学について何も習ってないし、とほほ。
そして、その冬、ベルリンの壁どころじゃない、ソ連邦が崩壊してしまうのである。

経済も地理も大嫌いなのに経済学部に行った自分はアホだと思うが、
当時の自分に、この講義を楽しめる基礎知識があったら、と思う。
学生の時資本論も読んだけど3回読んだらちょっと面白かった。
そのくらいやったらちょっとは面白かったと思うのね〜。20年たって大人力がついたから言える話かもしれないけれど。

はてなブログというのができたので

11月 26th, 2011

クローズドβだというので、ついとびついてしまいましたが、
タイトルと本文しかない。
これ、昔、TCUPの掲示板を自分専用にして毎日なにか書いていた人いたけど、あの感じなんじゃないのかしら。
あるいは、遠い昔にgeocitiesにできた日記オプション。
当時はWEBページに書くことで発信していたので、何に使ったらいいかわからなくて、仕事の文句を書いて封印した覚えがあるけど。ほんとに使わなかったな、あれ。

日々の日記をfacebookとかツイッターに書けるかというと、正直知り合いから反応が帰ってくると予想されて煩わしい。

1995年かそこらまでは、インターネット(WWWではなく)を使える人間は研究者や、IT業者だったので、所属団体のメールアドレスを使い、そこから発信する実名文化だったと思う。
(私も、無防備にfj(ネットニュース)で発言したりしてたので、いまだにその時のメールアドレスにはスパムが来る。)
facebookというのは、そのころのインターネットの雰囲気に似ていると思う。

しかし、その後に Windows 95, 98 とともにやってきた WWWの時代になり、プロバイダというものができて、家からインターネットにつなげられるようになると、インターネットもかつてのパソコン通信のようなハンドル文化になった。
実世界の人がオンラインで何かをするのではなく、ネットはネットという線引きができたように思う。極端なところが匿名の2ちゃんねるだが。
ネットの人が、実世界で合うオフラインミーティングで築いた人脈もどきが私にもできた。

それが、今になって、日本で、また実生活とインターネットライフが接近する時代になっている。

こまるんだな。

自分が昔発信していた内容は、時代劇だったり、音楽だったり、歌舞伎だったりで、実生活の内容とか、その他の興味については皆無だったわけで。
そのころの人脈に対して、他の興味のことを発信するというのはなんか、違うという思いもするし
反対に、実世界の人に(うちの妹は別として)見せることもなかったような、時代劇なり音楽なりへのとりくみを、いまさら見せるというのも恥ずかしい。

一応、年賀状のやりとりが続いている人とかをfacebookで探して友達になってもらったけど、その人達はやっぱり、いまだ、そういう世界について発信を続けている。
一方で、リアルの知人(つーか、身内)は、どこに旅行に行った、今日は飲み会だ、といった内容を書いて「いいね!」なんてやりあっている。

そのどっちに向かっても書けないことがある。
それを、だれも私だとは知らない、はてなブログに書いてみようかと思ってちょっと書いてみた。
実は、震災後少しの間、本当に久しぶりに2ちゃんねるに出入りしていた。
しかし、あれは匿名なので、時間を超えた自分の発言としてのつながりができていかない。
それに、好きなスレッドがあっても個性を出せば疎まれる。だから、本当に書きたいことは書けない。おかしな話だけど、匿名であっても人にいい顔をせずにいられないというのが事実。
だから、しがらみのない、でも連続した個人として違うところに書いてみようかと。

けど本当に書いた主を誰も知らないので、ブログを書いて、☆が付くでもなし、というのは、正直さびしい。(※ここも誰も読んでないと思うけど、これは親サイトとつながってるからそれでええねん。)
けど、上手いこと言ったやんって☆をもらって、そのブログの地位を確立するために毎日ほめられそうなことを書くとか、そういうのはもう増やしたくない。疲れちゃう。

短くて上手いこと言ったやん、ならはてなハイクでいいし(これは別のIDで長くやってる)
もっと長いことは、うーん。ここなのかな。ちょっと迷うな。

はてなブログ、使い道に困るね。

SBヤマト 実ハ 宇宙戦艦ヤマト のこと

12月 13th, 2010

Space Battle Ship ヤマト を見てきました。

説得力のかけらもない禅問答のような敵側の設定(しかもスタートレックから借りてきたみたいな)は、お話にならないので無視するとして、
記憶の中に残るヤマト(さらヤマも含め)のかけらを絵にしてみたところに関しては良くできていたと思います。赤い地球の絵をみたら、ストーリーとか関係なく、ぐっと来ます。じんわり泣きそうになりました。そういう世代です。
山本なんか、多分、ああやって死ぬためにキャスティングされたんではないかと思うし。

しかし、薄い薄い展開に、1の映画を見た時に、こんなにすかすかになっちゃって、と思ったことまで、再現させてくれました。元のヤマトを知らなくてどこまでわかるんだろうか、というのは疑問です。

見終わってから考えたのは、ああこれは、日本人が歌舞伎でやってきたことだなと。
何段もある長い物語のごく一部を、そこだけ上演するようなことなのだと。
だとすれば、全ての筋書きを知っていて、この映画を見るというのは悪いことじゃないんだと思う。
なぞらえたいことは、もうひとつあって、助六 実ハ 曽我五郎といった、ある役の本性は実は別にあるといった設定。この話は実ハ、曽我の世界なのである。あるいは隅田川の世界なのである。桜や梅といったら、たとえば盗賊であっても、ジツハ吉田の若様、息女なのである、といった設定。だから、突然、ぶっかえって本性を現し、家宝が手に戻ったからは少しも早くうんたらかんたら、といって本懐を遂げるために駆けてゆく。
木村拓哉の「古代進」を見ててそういうのを思い出しました。これはどっから見ても木村拓哉に見えるが、ジツハ古代進なのである。性格とかはぜんぜん古代進じゃないけども、最期は演説をぶって、ヤマトと運命をともにするのである。これは本性が古代進だからなのである。

黒木メイサにしても、本性は森雪なので、身を賭してコスモクリーナーの有効性を示すわけです。って、こっちは書いててつらくなってきました。

雪の扱いはひどいです。どこで古代に惚れたのかまったくわからない。古代の方もいつ雪に惚れたのか全然わからないが、わからないままにああなってこうなっちゃう。あれではデキ婚です。できてから愛するなんていうのは男の心理じゃないの、と思うのだが、脚本が女の人なのにはびっくりだ。(一応、島の説明で誤解が解けたということなんだと思うけど、その後、古代さんそうだったんですね、って影から見るとか、そういうのないと心境の変化わかんないよね。)

ということで、下敷きの原作をとっぱらうと本当に説得力なくてダメだと思うんだけど、これはヤマトじゃないとは言わせない絵の再現性と、これはあの場面やらこの場面やらのエッセンスなのだと積極的に感じ取るような見る側の「思い」による補完でなんとかもっている映画だと思います。

サイトをいじっているところです

11月 15th, 2010

いま、古物をjidaigeki-or-soのドメインの下に持ってこようとしています。
見栄えとかどれにしようか悩んで毎日変えてます。すみません。

さいしょ、プロバイダのブログとか大手のブログを使おうかと思ったのですが、やはり、好きにいじれないのはストレスになり、自分でMovable Type (MT)と Word Press (WP)をサーバにインストールして試しています。

このブログはWord Press です。かっこよかったので。多分運用も簡単そう。

しかし、職業病というか、中身をいじっててわくわくするのは MT。いらないものをどんどん削れる。(おい)
WPはいじったら壊れそうな気がしてあんまり触れません。

いまはjidaigeki-or-soのトップと、歌舞伎観劇記(ぱぱおとわや)はMTで、このブログだけWPで書いています。

いちばん悩むのは時代劇のサイトの過去の記事で、どういう形式にすればいいのか困ったあげく、あとまわしになっています。ブログじゃなくウェブサイトの方がいい気がするんだけど。