みその大サーカス

2001.10.20 御園座 昼夜

ロビーに、昨年の顔見世に対して、名古屋ペンクラブから菊五郎へ賞が贈られた旨、飾ってあった。
ぢいさんばあさんと文七元結。
菊五郎ってなんで名古屋よく来るのかな??全然来ない人もいるよね。
今年は、顔見世と三津五郎襲名の興行。
ひときわ大きな拍手拍手。…ただし口上に対して。
東京では、同じ拍手が、実盛の勘九郎や、越後獅子の三津五郎に来ていたと思う。
今回の名古屋は、芝居で緊迫あるいは興奮した盛り上がりのまま拍手喝采という雰囲気には一度もならなかった。観客がのめり込んで見ていないというか。
芝居が始まろうが、口上が始まろうが、花道に役者がいようが(言語道断)、お構いなしに、姿勢を低くもせずに入ってくる観客。いつまでたってもわいわいがやがや。
どうなってるんだ、今年は。
よくあるお茶の間イズム(茶の間でテレビを見てるようなみかた)ともちょっと違うんだよねー。
サーカス見物…。
あ、それ近い。サーカスの距離感。
去年はどうだったかなあ。…やっぱりドリンク剤飲んで頑張るくらい疲れたんだよね。
でも文七で救われたんだっけ。ああ、やっぱり名古屋ってそんな感じだったかもなあ。

昼の部
「箙の梅」(えびらのうめ)
梶原源太に菊之助、梅ヶ枝に勘太郎。
梅と一緒に育った娘が、たった一度の恋をして、
梅の枝と一緒にその魂を源太に捧げて散ってしまう、
そういう話なんで、梅ヶ枝という娘は、言ってみれば「ミニ紅天女」とも言えるような雰囲気を持っていてほしいのですが…
勘太郎くんは頑強で、矢一本で死にそうにはないです。(ごめん)
源太がどうなったのか気になってそわそわと戦場に出てゆく様子には、派手ではないがはれやかな娘らしさがあり、この人は前向きな田舎娘に向いてるかもしれません。
菊之助くんは、美しく立派な若武者です。これを写真にして残さずに何を残しましょう。ただし、それ以外の感想を呼び起こさないキャラクター。屈折があるのか、まっすぐなのか、そのあたり、作り込んでみても良いのではないでしょうか。
何が、どう、いい話なのか、いまひとつ伝わってきません。

「京鹿子娘道成寺」
白拍子花子に勘九郎。
いつもは所化が出ますが、今回は十蔵、獅童のみが強力という形で出ます。体(てい)は狂言師。途中の花子ちゃんのお着替えの間を、トーク「舞(まい)づくし」の趣向でつなげる役目です。くだらないのですが、もう、これを楽しめる精神状態に自分を持っていける歳になってしまいましたよ私は。横浜名物そりゃシュウマイ。ため息。
まず道行。花道から道成寺へやってくる花子(これはまだ白拍子の装束を付けていない)と、それを招き入れる強力達を最初に描きます。花子さん、声がちょっとかすれてる。
さて、烏帽子を受け取って、白拍子の姿になった花子は、花道までを大きく使って踊り始めます。
特徴が出るのは、恋の手習いのあたり。
とつぜん下世話(ごめん)な娘になります。ねらってるのでしょうが、落差にびっくり。
#メモ:べにかねつけて…は、紅を丸く描くのみ。カネはつけてない?
鼓や傘は普通。再び勘九郎の嵐になるのは鈴太鼓です。
大きく派手に何回かブン回したのち、心は鐘へ鐘へと急いてゆきます。
そわそわそわそわ。恨み重なる鐘っ、ああっ、早く鐘にいきたいーーっ。そして突進っ。
えー…ーと……太鼓は? もういいの? もうちょっとやっても……。
この辺とかは、他のおもちゃをあげるとすぐに興味をおぼえてそっちに行ってしまう赤ん坊っぽくて可笑しかった。へんな花子ちゃん。うまいんだかまずいんだかちっともわからねえ。
ちなみに鐘にとりついた後はぶっかえらず、そのまま終わります。
なかなか、いつもと違うものを見せてもらって面白かったです。
踊りの振りが表している「気持ち」を前面に出した踊りでした。以前に一度だけ、踊りのためにイヤホンガイドを借りたことがあって、このときに、身振り手振りのひとつひとつにこめられた意味を知って踊りのみかたが変わったことがあります。いつもは見ているだけだと、その意味が分からないのです。それがガイドなしで伝わってくる驚き。
私は、勘九郎の癖が好きな方ではありません。今回もちょっと下品かなあ、ぞんざいかなあ(名古屋弁でいうと、だだくさ)と思うところがありました。しかしその一方で、えらくよくわかる踊り、ではあったと思うのです。
唄がよく聞こえることも意味の分かる踊りになっていた一因でしょう。一見して連中が若いのです。大小の鼓のアンサンブルは、途中、腹立たしいほどの乱れを見せることもありました。なんとかしろよ。
なんとかしろついでに言うと、引き抜き。けして鮮やかとは言えません。
20日ですよ。慣れてないとは言わせないって。

「熊谷陣屋」
熊谷直実に三津五郎、奥さんの相模が鴈治郎。敦盛の母藤の方に時蔵。
義経に菊五郎、弥陀六に左團次。
これは、前半を、まったく鴈治郎さんひとりで持っていってしまいました。ここまでだとは予想外です。
菊五郎が出てくると若干そちらにスポットがいきます。菊五郎、左團次のやりとりは、品質保証された一品。
しかし、この芝居、熊谷が、いるんだかいないんだか。(ぉぉーっと。)
鎧兜で出てきて(ここで笠で出ると底をわるようだということで、鎧兜なのだそうです。これは良いと思います。)、兜を脱いで、出家の決心を明らかにするところになって初めてこの人の存在がクローズアップされる。一人で花道を引っ込むところになって初めて、この人の気持ちが分かる。そして、三津五郎、いい役者だなあ、となる。
それより前については、誰でもいいじゃん、という印象さえ受けました。
いくらニンじゃないといっても、これは埋もれすぎですよー。


夜の部

「葛の葉」
70分の睡魔との戦い。起伏がなくて。
早変わりと字を書くところはさすがに楽しめます。太いなあ葛の葉姫。(^_^;;;)
しかし、本物の葛の葉姫が現れたと知って、奥に入ってしまってから字を書くまで、
そして、森に帰ってしまってから最後までが意識朦朧。
配役は、葛の葉が鴈治郎。保名が時蔵。時蔵のすらっとした姿は目の保養。

「口上」
ごひいきお引き立てのほどを以下略…座頭と本人
親戚としてもうれしい。…親戚
同座できてうれしい…若手
自分がいちばん友達…勘九郎
ギャグ自慢…菊五郎・左團次
とほほ…客
ネタが同じなのは全国平等にしてるせい、と思っています。います。います…。

「吉野山」
ああああああ、やっと生き返ったーー。
やっと三津五郎らしい演目が見られてよかったよかった。やっぱりいいなあ。
以前に大河ドラマの「源義経」で見た、「しころ」の力比べ(これがドラマに思いっきり歌舞伎仕立てで挿入されるのです。笑えます。)が、忠信の踊りの中に入っていることに初めて気がつきました…。そうだったんだ。(ものを知らないやつ)
勘九郎の静ちゃん、控えめです。声が朝はダメだったけど、夜はきれいな声でした。
鼓がちゃんと鳴っていたのも安心。
左團次さんの藤内。ぜいたくー。強そうー。でもちょっと糸とずれます。気になります。

「与話情浮名横櫛」
昨年のこの月、歌舞伎座に仁左・玉でかかっていて、見たかったのに売り切れで見られなかった。今年の吉田屋も大にぎわいだそうだ。TT健在。
さておき。与三郎に菊五郎、お富さんに時蔵。金五郎に勘九郎。
おおよそ、安心してみられる演目。安定していてよろしゅうございます。
今回は、見初めがあって、源氏店があって、最後に「もう二度とはなさねえぜ」がつく型。
若旦那の菊五郎。少し遠くだったので、いつもよりぐんと若く見えました。江戸っ子の気っぷのいい役にくらべると、やさしげないい男です。放蕩息子というよりは、放蕩を装っている実はまじめな息子と見えなくもない。
客席を浜辺に見立ててのお散歩では、菊五郎、勘九郎の珍しいコンビが客席を歩くんで、ちょっとどきどき。
このあたりの一歩引いた勘九郎さんを見てたら松助さんを思い出しました。微妙な湯加減です。
して、源氏店。
時蔵さんのお富は、さらっとお富さん。
おしろいのメーカーをたずねられて「カネボウですよ」と答える様子が妙にまじめなのが時蔵さんらしい。
すねた不良青年の与三郎は、どこかにふわんとしたものがあって、あたりまえのようにそこにいる存在感。
…金をわける段になるといきなりガラが悪くなりますが。←育っちゃった弁天小僧。
「いちめえっ、にめえっ…」と威勢良く数えてゆく様子を見ているのはたのしい。でもさっきまでとはやや別人。
多左衛門は左團次さん。(…こんなに出て体調は平気?)
お店の番頭さんにしてはすこし武張っているかしら。これは羽左衛門さんあたりに来る役だったのかもしれません。
幕切れでは、「あにさん、あにさんだった…しらなんだ…」も早々に、鶴蔵さんが出てきて、それを押しのけて再び菊五郎・与三郎が登場。お富が旦那と思っていた人が兄だったとうち明けると、与三郎が手を取り、もう二度とおめえをはなさねえぜ、となります。くー、はずかしー。よーやるわ。
私は、兄さんだった、で終わるバージョンも結構余韻があって好きなんですけどね。

おわって…。
蓋を開ければ「鴈治郎で食べ過ぎ」でした。ちょっと重量感があるのよねー。
菊五郎はいいのだけど、いつもの一定の水準という気がして、注文のしどころがありません。
用心していたせいか、今回はそれほど勘九郎毒(あえて毒と呼んじゃう)にあてられませんでした。
それより客。
とどめに、ロビーを歩きながら「『カンクロウチャン』って声かけたいわー」
と言ってるおばちゃんとすれちがってしまった。ああ、今の私には、このおばちゃんの方がずっと毒。ほんとにそんな声がかかったらと考えると、もう、げっそりですがな。

(2001.10.24 junjun)